平戸周辺のカトリック教会を訪ねて[3日目]田平・上神崎・山田・壱部の教会と白岳・大バエ灯台
3日目になった。明日の夜は二日市での予定が入っているので、それまでに旅は終わらなければならない。初めの思いを尊重するならば、明朝は呼子の朝市で買い物をするのだが、そのためには、今日中に呼子まで移動することになる。
かと言って、平戸で行くべき場所はまだまだ残っている。さあ、どうするか…。とりあえず、今日は平戸を満足できるまで動いて、移動するかは、その後考えよう。今、思い煩ってもしょうがない。
2022年6月16日(木)の行動履歴
平戸市、唐津市 <車移動> 83.5 km 2時間44分 <徒歩移動> 6.9 km 2時間29分 平戸公園第1駐車場 11:48 ↓ 車- 300 m 2 分 平戸公園第2駐車場 11:50~11:51 ↓ 車- 4.2 km 10 分 国道383号 and 県道221号 経由 田平天主堂 12:01~12:35 ↓ 車- 4.1 km 12 分 県道221号 and 国道204号 経由 たびら平戸口駅 12:47~13:04 ↓ 車- 650 m 2 分 国道204号 経由 カトリック平戸口教会 13:06~13:09 ↓ 車- 8.0 km 16 分 国道383号 and 県道153号 経由 上神崎カトリック教会 13:24~13:37 ↓ 車- 1.8 km 6 分 白岳公園駐車場 13:44~13:46 ↓ 徒歩- 210 m 2 分 白岳公園 13:48~13:55 ↓ 徒歩- 450 m 6 分 白岳 14:01~14:12 ↓ 徒歩- 170 m 2 分 白岳公園駐車場 14:14~14:16 ↓ 車- 22.6 km 39 分 県道19号 経由 カトリック山田教会 14:55~15:19 ↓ 車- 5.5 km 14 分 県道42号 経由 壱部カトリック教会 15:33~15:42 ↓ 車- 3.9 km 6 分 県道42号 経由 御崎野営場 15:48~16:18 ↓ 徒歩- 2.9 km 1 時間 17 分 大バエ灯台 17:35~17:47 ↓ 徒歩- 3.2 km 1 時間 2 分 御崎野営場 18:49~19:09 ↓ 車- 1.2 km 2 分 県道42号 経由 塩俵断崖 19:11~19:25 ↓ 車- 31.2 km 55 分 国道383号 経由 平戸公園第1駐車場 20:20
平戸公園第1駐車場
7時30分頃目が覚めた。1泊目とは打って変わって快適だった。心地良い目覚め…。熟睡できた証しだ。こんなに違うものなのか…。
初日の夜は、止め処なく響いてくるトラックのアイドリングに悩まされた。晩酌していなければ、他の駐車場に移動していたかもしれないと思うほどの騒音だった。
ところが、昨晩は、駐車していたトラックも何故だかエンジンを止めてくれていた。たったこれだけの違いで、夜中の快適度は大幅にアップする。まさに雲泥の差だ。
午前中に、明日の会議の準備を整えておきさえすれば、ぎりぎりまで旅を楽しむことができる。さあ、やってしまおう。
集中して、やりこんだ。これぐらいいつも集中できれば、いろんなことがサッと片付くだろう。しかし、なかなかそうならないところが、残念なところだ。何なのだろう、この違い…。意欲なのか、スタミナなのか…、それとも能力なのか、性格なのか…。
そして、資料作りを済ませた後の朝食は昨夜の残りもので済ませた。つまり、資料づくりは朝飯前だった。良い感じの一日のスタートだ。
ところが…、次に取り組んだのは、dカードが使えなかった理由の調査。これが、難航した。
dカードの問い合わせのために、指定の番号に電話を掛けるのだが、接続後、最初に繋がるのは自動音声。オペレーターに繋ぐ前に、要件と本人確認のために、散々番号を入力させられる。そして、やっとオペレータの呼び出しとなるのだが、驚くことに「ただいま大変、電話が混み合っています。(中略)しばらく経ってから、お掛けなおしください。」という自動音声が流れるのだ。しかも、待機するのではなく、通話自体が切れてしまう。
何度掛け直しても同じ状況。一向に先に進めない。
どうやったらオペレータに辿り着けるというのか! あまりにも門前払いが続くと、怒りの感情が湧いてくる。せめて、待っていれば繋がるようにしてくれると、何度も繁雑な操作を繰り返さずに済むのに…。これで、本当にユーザ目線と言えるのか…。
こんなところにdocomoの体質を垣間見た気がした。
何度掛け直しても同じこと…。時間ばかりが過ぎていく。
こんなことをやっている場合ではない。解決しないが、dカード問題は後回しにして、出発しよう。
11時48分、気を取り直して、トレーラーを出た。
↓ 車- 300 m 2 分
天気がいいので
平戸公園第2駐車場
にもまわってみた。11時50分。しかし、車を停めてまで、歩いたり、撮影したりしたくなるような場所を見いだせなかったので、そのままぐるっと回って、平戸大橋方面へと走った。
↓ 車- 4.2 km 10 分 国道383号 and 県道221号 経由
田平天主堂
に到着したのは、12時01分。聖堂の北側に墓地があり、東側が駐車場になっている。
車を駐車場に駐め、案内所の方に歩き出したとき、看板が目に入った。
「コロナ渦のため、聖堂内の見学はできません。トイレの使用も禁止しております。」
まさか!
看板表記と同様に受付の方からも、聖堂内に立ち入ることができない旨の説明を受けた。
神様の御手の中にあるはずの教会ですら、例外なくコロナ騒動に巻き込まれ、翻弄されている。人のよいクリスチャンほど、国やメディアが流す情報を鵜呑みにして、そのまま信じ込んでしまうのではないだろうか。冷静に考えれば、今回のコロナ騒動には、おかしな点がたくさんあるというのに…。
例えば、国会でも地方議会でも、有効性や安全性が確認されていないと答弁されている。そもそも治験中のワクチンなのだ。しかし、コロナが凄く恐ろしい感染症かのように報道され、煽られてワクチン接種が大々的に始まった。大規模な人体実験だ。PCR陽性を感染者とカウントする間違った報道。PCR検査の開発者であるキャリーマリス自身が「これを病原体検査に使ってはならない」と警告していたにも関わらず、連日、PCR陽性者数が感染者数のように報道され、世界中の人達が恐怖感を植え付けられていった。
マスク着用や3密、さらにロックダウンなども統計的に見たらほとんど効果が無かったようにみえるのだが、未だにこればかりが大事な対策として推奨されている。逆にこれらの弊害について、マスコミではまったくといって良いほど、取り上げられておらず、偏りが激しい。
このようなことを冷静に受け止めると、今回のコロナ騒ぎは、ほんの一部の利権を持つ者が利益をむさぼるために引き起こした事件のように思われて仕方が無いのだが、多くの善良な一般民衆は気付かない間に、その片棒を担がされている状態になっている。
YouTubeなどに、本来の専門家、あるいはしがらみのないジャーナリストのようなYouTuber達が、科学的、統計的に分かりやすく解説した動画などを発信しているが、言論封鎖のように一方的にBANされている事例も多数見受けられる。一方、河野太郎ワクチン担当相が、何の根拠も示さず、あるいはウソを述べて、「デマに惑わされないように」と報道している様は、もう末期的だと言わざるを得ない。
数年後に、このコロナ茶番の全貌が明らかになったとき、キリスト教会は、かつての戦争責任の問題のように懺悔の祈りを捧げるのだろうか。
そもそも、ウイルスから身を守るのに最も有効な仕組みは、神様が元々私たち一人ひとりに備えてくださっている自然免疫システムである。カトリック教会は、世界最大の宗教であるキリスト教の最大教派なので、謙虚な姿勢で、神の御胸を解き明かし、民衆に癒しと平和を述べ伝えてもらいたいものだ。
しかし、今回の入場制限は、この受付の方が決めたわけではない。この方は、与えられた任務を聖日に遂行しているだけである。
今回の拝観停止は、この教会の役員会が決定したそうだ。ここに限らず、それぞれの組織の意思決定に加わっている方々は、その判断をするだけの十分な情報を多方面から入手し、客観的かつ合理的な判断をしていただけるようにお願いしたい。一般民衆を礼拝堂から遠ざけない対策を講じてほしいものだ。
北西の隅に、貝殻焼き場跡がある。聖堂建設の際、レンガの目詰めにはコンクリートではなく、石灰と赤土を混ぜたアマカワを使ったのだが、中田神父はその石灰を自分たちで貝殻を燃やして作ったそうだ。信徒の各家庭で食べて出た貝殻だけでなく、平戸や生月島で貝殻を集めて、昼夜問わず交代で火の番をして焼いたとある。
案内所に戻って、近隣教会を尋ねたら、「平戸14教会の紹介」を見せてくださった。
これをみて、①田平教会は今、外観のみ見学中。②宝亀教会は昨日訪問。礼拝堂にも立ち寄った。③紐差教会は外観のみ。④木ヶ津教会は昨日訪問。⑥中野教会は昨日一番に訪問。
5教会、訪問した。
まだ、行っていないのは、⑤大佐志教会、⑦山野教会、⑧山田教会、⑨壱部教会、⑩古江教会、⑪上神崎教会、⑫平戸ザビエル記念教会、⑬平戸口教会、⑭福崎教会の9教会。このうち、今日は幾つ回れるだろうか…。
この説明板によると、田平天主堂は1915年(大正4年)12月着工、1917年10月に竣工、1918年5月14日に献堂式が行われた。この建築の設計・施工にあたったのは、長崎県内の数々の教会堂建設に携わった鉄川与助氏で、しかも、レンガ造教会堂建築では最晩期のもので、外観・内観共に意匠を見ることができる、とある。そして、特質すべきはこれだけの建設がすべて信徒の手作業で行われたということ。これは驚きだ。
今回、内観を見学できなかったことは、誠に残念だったのだが、きっと近い将来、解禁され、見学が可能となるはずだ。そのときの改めて訪れ、じっくりと聖堂内に佇んで味わいたい。そのときのお楽しみとした。
車に戻り、12時35分に駐車場を後にした。
しかし、バックミラーに映る田平天主堂の建物に魅了され、すぐさま道端に車を停めて、遠景を楽しんだ。
さあ、もう一度、平戸大橋を渡って、島内に移動しよう。そうだ、その前に、最西端の駅にも立ち寄ってみることにしよう。
↓ 車- 4.1 km 12 分 県道221号 and 国道204号 経由
たびら平戸口駅
車を駅に向かって左側のスペースに停めて、駅舎に入った。
ホームに入るのは自由のようだ。
駅舎の左手に、鉄道博物館があった。
入ってみると、狭い室内ながら展示物がびっしり…。鉄道マニアと思われる青年2人が時々小声で意見交換しながら、展示物を熱心かつ注意深く鑑賞していた。
駅舎の角に、木々に隠れるようにして日本最西端の碑が設置されている。
それにしても、日本最西端の駅を名乗っているのは3駅あるらしい。ここ、たびら平戸口駅と、JR佐世保駅、ゆいレール那覇空港駅だ。
さあ、次に行こう。13時04分にたびら平戸口駅を出発した。
↓ 車- 650 m 2 分 国道204号 経由
この後、
カトリック平戸口教会
にも回ってみた。着いたのは13時06分。残念ながらゲートが閉まっていた。車を停める場所がないかと辺りを見回したが、発見できなかった。なので、仕方なく立ち寄るのを断念した。クルマを出したのは13時09分。
↓ 車- 8.0 km 16 分 国道383号 and 県道153号 経由
再度、平戸大橋を渡って、平戸の中心街を抜け、平戸島の北部に向かった。
上神崎カトリック教会
に到着したのは、13時24分。駐車区画が15台分ほどあるので、らくらくと停めることができたのだが、人の気配は全くなかった。
この建物は2014年に建てられたようだ。まだ、築8年。新しい礼拝堂だ。
残念ながら神父様や信徒の方は不在で、入口には鍵が掛かっていた。
入口の透明ガラス越しに、礼拝堂内部を見学できた。
正六角形の聖堂内部には、長椅子がずらりと並んでいて、ザッと見、優に100人は座れそうだ。広い礼拝堂だ。
正六角形の斬新な形状。外観よりも室内がより広く感じた。中に入ることができなかったのは残念。また、別の機会に訪れるしかない。
13時37分、車に乗りこみ、ここを後にした。
↓ 車- 1.8 km 6 分
さらに上へ、上へと進んで、狭い道もなんのそので
白岳公園駐車場
までやってきた。13時44分到着。
ここは、トイレもあるやや広めの無料駐車場だ。ここに車を駐めて、白岳公園には歩いて行く…。林間の緩やかな登り道、車も走れそうな平坦な道だ。
13時46分、歩き開始。
↓ 徒歩- 210 m 2 分
白岳公園
に着いたのは、13時48分。小高い丘の上にある原っぱという印象だが、周囲にある樹木が成長していて、素晴らしいであろう展望を隠している。
東屋の周囲をぐるっと一周、歩いてみる。
反対側に下る道があった。しばらく下ってみたが、深入りはせずに公園に戻った。このまま下れば、白岳神社があるらしい。
白岳公園の一角には、電波塔のような施設があった。これは、海上自衛隊の無線中継所らしい。
無線中継所の脇を通って公園から駐車場に戻ると、その向こうにも林間の遊歩道が続いていた。13時55分、そこを東向きに歩いてみた。
↓ 徒歩- 450 m 6 分
白岳
下のGoogle航空写真①地点に着いたのは、14時01分頃。
白い船の向こうに見える小島は、横島。そのさらに先に見える白い煙突が、九州電力松浦火力発電所。
ここから、更に遊歩道を右手方向に進むと、南側の展望が開けた場所があった。
白岳は、平戸島の北部にくっついた島のように、本体との間にくびれがある。左側に見える海の奥に、微かに赤い橋、平戸大橋が見えている。
こちら側に来てみて良かった。ここから南側の眺望は素晴らしい。知る人ぞ知る無名の展望スポットだ。
今度は戻り際に、再度①地点から東側の眺望を楽しんだ。
そして、今度は②地点に向かう。ここからは北側の眺望が楽しめる。見えている島は、手前左が度島。その向こうが的山大島。天候が良く空気が澄んでいれば、壱岐島も見えるらしい。
14時12分に②地点を出て、駐車場に戻った。
↓ 徒歩- 170 m 2 分
白岳公園駐車場
に戻ったのは、14時14分。車に乗り込み、今度は生月島方面に向かう。14時16分、出発。
↓ 車- 22.6 km 39 分 県道19号 経由
生月大橋を渡り、
カトリック山田教会
左の聖トマス西六左衛門神父については、石碑に経歴が記されているが、右の京都の聖ラザロについては、どんな人物かの説明がなかった。ネットで調べると…。由愛さんのサイト「天上の青」に京都の聖ラザロについての記述があった。
残念ながら聖堂入口には鍵が掛かっていて、中に入ることができなかった。
15時19分に山田教会の駐車場からクルマを出した。
↓ 車- 5.5 km 14 分 県道42号 経由
壱部カトリック教会
は、高台の中腹にあり、前の道も狭い。門も閉まっており、車を駐車するスペースを発見できなかった。15時33分、門の前に車を停め、門の外から教会堂を撮った。
今日は、門も閉まっていて、残念ながら敷地内にも入ることができなかった。次回にまたチャレンジすることにして、15時42分に車を出した。
↓ 車- 3.9 km 6 分 県道42号 経由
さらに生月島を北上すると…。
御崎野営場
がある。県道42号線から約300㍍入ったところにある素朴なつくりの草原キャンプ場だ。
ここには15時48分に到着した。
設備は、炊事棟、シャワー室(冷水)、トイレ、駐車場それに東屋が1つ。開設期間や利用料金については、平戸市のサイトを参照して貰いたい。
テントサイトへの車の乗り入れは制限されており、駐車場もさほど広くないので、キャンピングトレーラーでの利用には向いていないと思われる。
しかし、西側には、東シナ海が広がり、天候が許せば、美しい夕陽を眺めることができるようだ。利用者の声を参照すると、傾斜地が多く強風に悩まされることもあるようだ。キャンプ上級者向きだろう。
左上に上がっていく小路が生月島自然歩道。このハイキングコースの解説pdfファイルによると、ここ御崎野営場から大バエ灯台までは、片道 2.5㎞とある。
それぐらいなら、歩けるかも…。
その気になった。車はここに駐め、大バエ灯台に歩いて行ってみよう!
軽いノリだった。ただし、靴はちゃんとウォーキングシューズに履き替えた。そして、リュックには飲み水を準備した。
16時18分、出発。まずは、自然歩道案内板のところから石畳の坂道を登っていく。
遊歩道が北向きになったところから階段になり、雑草が道を覆い始めた。
この辺りは、昭和55年頃までは草原で、牛の放牧が盛んだった。石塁は、牛が海に転落しないように作られたものだそうだ。
また、この辺りは生月島にある7箇所の山見の1つで旦那山と言われていた場所。山見とは鯨を監視所のことで、生月島では、江戸時代の初期から昭和にかけて、春に捕鯨が行われていたのだそうだ。
自然歩道から、県道に向かう道は、綺麗に除草されている。しかし、自然歩道のその先を見たら、完全に怯んだ。ますます雑草に激しく覆われていて、安全に歩けるかどうかすら分からない。
マムシなどは潜んでいないのだろうか…と、不安が過る。
それに、今回は軽いノリで歩き始めたので、汚れても構わないという服装ではない。以前、熊本県小国町で、夜露に濡れた草ぼうぼうの道、宮原線の廃線跡を歩いたときのことを思い出す。肥後小国駅跡から北里駅跡までの約4㎞を歩いたら、ズボンの裾が真っ黒に汚れてしまったのだ。
今回はそうはなりたくない。
勇気ある撤退か…。
前進を諦めて、県道に出ようか…、それとも、もうちょっとだけ先の確認して判断するか…。
日当たりの良い場所は、草が勢いよく伸びているが、林の中はそれほどではなかった。先に進めないことはなさそうだ。
ここまでなると、もはや歩道とは呼べない。道が完全に隠されてしまっている。
先に進むと、テーブル付きのベンチがあった。周りの樹が成長しているので、眺望が遮られているが、昔はきっと東シナ海を一望できる展望所だったに違いない。
崖下の海岸まで、下りられるのか下りられないのかは、確かめなかった。高所恐怖症の者にとっては、覗き込むことすら憚られる。
こんなところまで来て釣りをする人がいるのだ…。釣り人然り、登山者然り…。自然相手の趣味をする人達のパワーと好奇心は計り知れない。
↓ 徒歩- 2.9 km 1 時間 17 分
大バエ灯台
に無事到着。17時35分。意外にも人は誰ひとりいない…。烏が一羽、海を眺めている。
一応、灯台にも登っておくか…。
西海国立公園大碆鼻について
説明板の日本語部分より
ここ大碆鼻は生月島の北端に位置し海と空が溶け合う雄大で素晴らしい景観が眺望できます。碆(はえ)とは海に突き出た岬状の岩礁を指す方言で、断崖の北側海岸に広がる岩礁が狭義の「大碆」です。
大碆鼻断崖は、900万年前の伊万里方面からの噴火で何度も流れてきた溶岩(松浦玄武岩)が、厳しい波浪を受け形成された海蝕崖で、崖の高さは約80mに達します。
また断崖北側の海岸にはハマオモト(ハマユウ)群落があり、初夏には白い可憐な花を咲かせます。付近の斜面草地にはシバハギを食草とする環境省レッドリスト絶滅危惧Ⅰ類のタイワンツバメシジミという 希少かつ減少傾向の著しいチョウが生息しています。また朝鮮半島と日本を行き来する渡り鳥の中継地にもなっていて、季節によって様々な種類の野鳥を観察できます。
17時47分になった。そろそろ帰ろう。誰か車で来ていたら野営場までヒッチハイクさせてもらおうかなぁ、などと身勝手なことを考えていたのだが、灯台周りをブラついている間、誰ひとりやってこないとは…。
⑥地点までは、自然歩道を歩き、その先は、県道を歩いて帰ることにした。あの草ぼうぼうの道はもう歩きたくない…。
県道42号線をてくてく歩いていると、対向車線の歩道を歩いてくる年配のご婦人がおられた。たぶんだが、ご近所の方でウォーキング中なのだろう。
こちらを見て、軽い会釈をされた。こちらも会釈して、すれ違った。
しかし、その5秒後ぐらいに、やや後側から
「どちらから来られましたか?」
と声を掛けられた。
「え、私ですか? 福岡からです。」
「どうやって帰られますか?」
どうやら、どこまで歩いて行くのだろう…と思われたようだ。心配して声を掛けてくださったのだ。
「ああ、いえいえ、御崎野営場に車を駐めていまして、そこから自然歩道を歩いて大バエ灯台に行きました。帰りは御崎野営場までこの道で帰ろうと…。」
「そうですか…。どこまで歩いて行かれるのかなと思いました。ところで、自然歩道は歩けましたか?」
「かなり荒れていましたねぇ。」
「そうでしょう。歩く人がほとんどいませんからねぇ。では、気を付けてお帰りください。」
「ありがとうございます。」
それにしても、ほとんど、人と出会わない。行き掛けは⑥地点を過ぎて、県道から遊歩道に入る辺りで、電動シニアカートに乗っているおばあちゃんに挨拶したが、その方だけだった。
帰りは、これも⑥地点の駐車場に駐まっているワンボックスカーで、バックドアから道具を出している車中泊旅を楽しんでいる雰囲気の青年男子1名と挨拶を交わしただけ…。このご婦人が3人目だった。
御崎野営場
に戻ってきたのは、18時49分。まもなく日没をむかえる時間帯だった。
水平線の上に横たわる雲が夕陽を隠し始めた。これだと、水平線に沈む夕陽は望めない。
「今日は、ここまでか…。」
今日の活動はここで終了。トレーラーに戻ることにした。19時09分、車に乗り込み、御崎野営場を後にした。
↓ 車- 1.2 km 2 分 県道42号 経由
ところが、また西側の海沿いに出たとき、またもや太陽が顔を出した。
塩俵断崖
のところに、車を停めてもう一度夕陽の写真を撮った。19時11分。
真っ赤に染まった太陽が、またもや水平線近くの薄雲の向こうに隠れていった。
19時25分、太陽はいなくなってしまったが、しばらくの間、オレンジ色に染まった空が余韻を楽しませてくれた。
↓ 車- 31.2 km 55 分 国道383号 経由
生月大橋までは、生月島サンセットウェイを走った。
あとは、どこにも寄らずにノンストップでトレーラーの元へ。そして、
平戸公園第1駐車場
に到着したのは、20時20分。
ようやく帰り着いてホッとした。そして、これから宿泊場所を移動するという気持ちも冷めていた。当初の予定にあったのだが、呼子の朝市に行くのであれば、トレーラーを繋いで移動となる。しかし、平戸でまだ見ていない場所がある。
今回は、呼子訪問を見合わせ、明日は、ここから福岡に戻ることにした。
さて、今日も良く活動した。残りの時間は、トレーラーでゆっくりと過ごすことにする。
LINEの返信などをし終えたのが21時過ぎ。それから、夕食の準備をした。
YouTubeを見ながら食事をして、その後は今日一日を振り返った。そして、23時過ぎには床についた。明日は午前中だけ、余裕がある。平戸の中心街でも行ってみるか…。