ふらり旅

平戸周辺のカトリック教会を訪ねて[1・2日目]中野・宝亀・紐差・木ヶ津の天主堂、福田酒造、根獅子海岸

今日は、朝から久し振りにブログの更新と写真素材【PIXTA】への写真アップを行っていた。

ただ、そういうことをしていると、実際に旅に出たいという気持ちがふつふつと湧いてくる。ここのところ西九州方面がご無沙汰だったので、これから出掛けるとしたら…、と思考実験というか、脳内シミュレーションというか…、空想を繰り広げてしまうのだ。

長崎方面に行くのであれば、何を中心に見る? 教会?、それとも自然景観? 頭の中に旅の一場面が出てくる度に、パソコン作業への手が止まっていることに気付く…。

集中できない…。

そんなこと当たり前。家の中でじっとして、こちょこちょこと入力作業をしているより、外に出て、リアルな世界に身を置く方が楽しいに決まっている。

でも出掛けるには、ずいぶんと遅くなった。こんな時間から出掛けても、今日は何もできないだろう…。

しかし、遅くなっても、今日中に呼子付近まで行っておけば、翌朝、呼子の朝市でわかめも買えるし、ウニや海鮮丼も食べられるかもしれない。ならば、今から出掛ける意味もある。19時ぐらいまでに到着できれば、温泉にも浸かれる…。

ならば、出掛けるか…。準備しよう…。

だが、風呂から上がったのは、16時30分を廻った頃だった。呼子にある温泉の営業終了は20時だ。だから今から出発しても到底間に合わないに違いない…。

また、出掛ける気持ちが下がってくる。やるべきことを片付ける方が先じゃないのか?と。

念のためにGoogleマップでルート検索をしてみる。すると、下道でちょうど2時間。
「えっ? そんなもんで着くの?」
意外にも想定以上に近かった。17時に出られていれば、温泉にも間に合って、翌早朝に朝市めぐりもプラン通りにできたのだ。

もっと早く決断して、出掛ければ良かったのかもしれない。そう考えるとなおさらもたもたして決断が付かなかったことで気が滅入りだす。

2022年 6月14日(火)・15日(水)の行動履歴

平戸市、唐津市
 2022年6月14日(火) 
<車移動> 120 km 2時間54分
自宅 19:25
↓ 車- 400 m 1 分 上大利3338号線 経由
トレーラーの月極駐車場 19:26~19:40
↓ 車- 31.2 km 55 分 県道56号 経由
戻るためにUターン 20:34~20:36
↓ 車- 27.6 km 36 分 県道49号 and 国道202号 経由
ダイレックス 鏡店 21:12~21:47
↓ 車- 59.6 km 1 時間 8 分 国道204号 経由
エレナ田平店 22:55~22:57
↓ 車- 260 m 2 分 国道204号 経由
夕焼け食堂の奥でUターン 22:59~23:00
↓ 車- 1.2 km 12 分 国道383号 経由
平戸公園第1駐車場 23:12

 2022年6月15日(水) 
<車移動> 117 km 4時間5分 <徒歩移動> 800 m 31分
平戸公園第1駐車場 9:51
↓ 車- 10.5 km 16 分 国道383号 経由
カトリック中野教会 10:07~10:30
↓ 車- 9.4 km 17 分 国道383号 経由
カトリック宝亀教会 10:47~11:33
↓ 車- 5.5 km 18 分 国道383号 経由
マタラ 宣教師様の墓 11:51~12:06
↓ 車- 5.0 km 8 分 国道383号 経由
紐差カトリック教会 12:14~12:57
↓ 車- 9.2 km 11 分 国道383号 経由
Uターン 13:10
↓ 車- 350 m 1 分 国道383号/県道19号 経由
ドライブイン峠 13:12~13:42
↓ 車- 5.3 km 9 分 
浦漁港公園 13:51~13:57
↓ 車- 450 m 1 分 
福鶴じゃがたらお春博物館 13:59~15:06
↓ 車- 10.3 km 33 分 県道19号 経由
本土と繋がった道の最西端 15:39~16:00
↓ 車- 26.3 km 38 分 県道19号 and 国道383号 経由
木ヶ津カトリック教会 16:39~17:06
↓ 車- 3.4 km 6 分 県道60号 経由
紐差カトリック教会 17:12~17:24
↓ 車- 4.5 km 8 分
根獅子海水浴場前駐車場 17:33~17:42
↓ 車- 150 m 1 分 
根獅子海水浴場北側の駐車スペース 17:43
↓ 徒歩- 800 m 30 分
根獅子海水浴場北側の駐車スペース 18:13
↓ 車- 100 m 1 分 県道19号 経由
路肩に停車 18:14
↓ 徒歩- 1分
根獅子教会跡遺跡 18:15~18:19
↓ 徒歩- 1分
路肩に停車 18:20
↓ 車- 16.0 km 49 分 県道19号 経由
ホームプラザナフコ 平戸店 19:12~19:18
↓ 車- 4.8 km 10 分 県道19号 経由
酒の一斗平戸店 19:28~19:42
↓ 車- 2.3 km 8 分 国道383号 経由
平戸公園第1駐車場 19:50~20:19
↓ 車- 1.8 km 4 分 国道383号 and 国道204号 経由
JASS-PORT 平戸口 20:23~20:29
↓ 車- 1.5 km 5 分 国道204号 and 国道383号 経由
平戸公園第1駐車場 20:33

自宅

いや待てよ…。

冷蔵庫が心許ないトレーラー旅。呼子で魚介類のお土産を買うつもりなら呼子訪問は最終日の方が良い。そうか!帰りに呼子のパターンが望ましい。じゃあ、今日はどこまで行けば良いのか?

軍艦島の夕陽や、島原半島は? 今回は、金曜日の夜にこっちで予定が入っている。それまでに帰ってこなければならないのだ。ならば、長崎の県南までを廻る時間的余裕はないのではないか…。

じゃあ、平戸周辺と呼子周辺に絞って廻るか…。

1泊目は平戸口辺り、2泊目は平戸のどこか、そして、3泊目に呼子。そうすれば、その日の夜の会議に間に合うだろう。

イイ感じだ…。少しだけ気分が持ち直した。じわっとテンションが上がってくる。でも、このように外枠を決めて出掛けたら、もはやふらり旅では無いのかもしれない。

自室の観葉植物に水をやり、戸締まりと消灯を確認して、家を出たのは、19時25分。今回は、旅用の衣類は、スーツケースに入れっぱなしだったので、パソコンとカメラとポーチを持っていくだけで済んだ。あ、そうそう、今回は電気スタンドも持っていくんだった。それだけ、取りに戻って、マンション2階の自宅と駐車場の間を1往復半するだけで出発できた。

↓ 車- 400 m 1 分  上大利3338号線 経由

トレーラーの月極駐車場

に通いたのは、19時26分。極小雨粒の雨が降り続いている。夏の野外イベントで用いられるミストのような雨だ。トレーラーのドアを開け、中身をザッと確認してすぐに閉じた。足を上げ、ヘッド車に繋いだ。19時40分に出発。

もうすぐ夏至だというこの季節。霧雨だといっても、まだ、外は薄明るい。帰宅を急ぐ高校生の自転車がひっきりなしに走ってくる。街は人口が多すぎるせいか、自分勝手な動きをする自転車も目に入る。相手があることを意識しない走り方だ。その顕著な例が、路地から本道に出ようとしている私の車の前を平気で横切るのだ。しかも、右側からきちんと左側通行してくる自転車ならまだ良いのだが、左側から平然と右側通行してきて、突っ込んでくる者もいる。こんな自転車に、特に警戒しておかなければならない。

こんなところで事故を起こすわけにはいかないのだ。

夕暮れの中、街の雑踏のなかをしばらく走る。

それでも、那珂川市に入って、新幹線車両基地の南端を通り過ぎると、傍若無人な自転車などは影を潜め、松木南交差点を左折したあとは、交通量も減って、穏やかな気持ちで走ることができる。やはり、田舎の方が私は肌に合っている…。

遠出するときの誘導は、カーナビではなくGoogleマップを使っている。車載カーナビの地図データは5年前の2017年版なので、最近開通したばかりの道などは地図データに反映されていない。かと言って、アップデートするとなると、結構な費用が発生する。

したがって、最新地図を安価に使う為には、スマホのGoogleマップアプリによる、Googleマップの経路案内音声をカーオーディオのスピーカから流れるように設定している。

最近は、スマホ画面の動画をそのままカーオーディオのモニターに表示させ、音声もクルマのスピーカーで鳴らすことができるようになっているらしい。

それと同時に、スマホでYouTubeを流し、それをカーナビで聞いている。

今日は、道中、【参政党】コレが利権構造そのモノなんです!吉野敏明 魂の街頭演説! とワクチン後遺症に対する国の救済認定にある変化が! 救われる人は増えるのか?【大石が深掘り解説】 を聞いた。

彼らの演説は、説得力があって、心に響く…。

YouTubeの音声に集中しすぎると、曲がり口を間違えたりする。Googleマップが「左折します。」といったような気がして、とっさに左折してみたのだが、まったく違う方向だった。

↓ 車- 31.2 km 55 分 県道56号 経由

戻るためにUターン

したのは、交差点を左折して、約600メートルほど進んだ地点だった。20時35分前後のことだ。バス停のようにバス1台分ほど路肩を広くしている場所さえあれば、牽引中でも難なくUターンは可能だ。逆にそういった場所を探すために、600㍍も進まざるを得なかったとも言うことはできる。ちょっと間違うと、後戻りに苦労するのがトレーラーの特性の一つだ。

元の道に戻って、更に唐津方面へ走る…。

↓ 車- 27.6 km 36 分 県道49号 and 国道202号 経由

ダイレックス 鏡店

には、21時12分に到着した。駐車場も広く、店舗も大きめのダイレックスだった。

晩酌のつまみとして、2割引の刺身の盛り合わせにイカの天麩羅。半額になったハムスパサラダ。チーズにスナックSピーナッツとカシューナッツ&フルーツ。SUNTORY天然水2本に、牛乳1本。ビール500を2本。国産鶏むね身、フリクションボール4色を購入した。

21時47分に店を出て、更に西へ走る。道中は、またもやYouTube【日本流入は】「“サル痘”『極めて異常』ナゼ世界で感染拡大 … を聞きながら…。

↓ 車- 59.6 km 1 時間 8 分 国道204号 経由

Googleマップの航空写真で、平戸大橋の東端の真下その北側に駐車場があるのを確認していた。そこにトレーラーを駐車させようという目論見なのだが、なんせ初めてだし、暗くて、どこから入るのかがわかりにくい。

「ここだったんだ!」とわかったときには、通り過ぎている。到着の土壇場になって、もたもたしてしまう…。Uターン場所を探すと、左にエレナ画見えた。ここの駐車場ならUターンできそうだ。

ということで、22時55分、ここ

エレナ田平店

に進入し、Uターンした。店はすでに閉店していたが、店内の照明はついたままで、駐車場の門も、開いたままだった。

そして、少し戻って、今度こそということで、夕焼け食堂への狭い入口に進入した。

↓ 車- 260 m 2 分  国道204号 経由

しかし、奥の方に行くと、駐車場に繋がる下り道は、ゲートがあり、既に施錠されていた。それで、仕方なく

夕焼け食堂の奥でUターン

。ちょうど23時だった。やはり、ここも夜間閉鎖の駐車場だったか…。

こうなったら平戸大橋を渡り、平戸大橋第1駐車場に行ってみるしかない。

↓ 車- 1.2 km 12 分 国道383号 経由

そして、

平戸公園第1駐車場

に進入し、大型区画にきちんと駐めたのは、23時12分だった。

平戸公園第1駐車場から見た平戸大橋  23時18分
トレーラーは第1駐車場の北の端に駐めた  23時18分

公衆トイレは24時間利用可能だ。しかも、まあまあ綺麗。ただし、男子ト イレの大便器は和式が2つ。「みんなのトイレは洋式です。ご自由にご利用く ださい。」の貼り紙があった。

男子トイレ
公衆トイレの外観

それにしても、大型トラックは、このような過ごしやすい季節にも、夜中中エンジンを止めないのは何故だろう。騒音がうるさくてたまらない。

晩酌したので、車を運転できなくなってしまったが、こんな騒音に悩まされるぐらいなら、この辺の別の車中泊スポットに移動すれば良かったのかもしれない。

晩酌

結局、一晩中、うるさいエンジン音に苛まれ、熟睡できなかった。

寝られないのなら、起きて仕事をしよう。パソコン作業に没頭した。ついでに、明日の教会めぐりのルートもある程度、決めておこうか…。

結局、4時半頃まで夜更かししてしまった…。いくら何でも、こんなことしていたら身が保たない。もう寝よう。

平戸公園第1駐車場

6時半、7時半…。ときどき目が覚めるが、横になったまま。スマホで時間を確かめ、天気を調べたり、充電スポットを調べたり…。そして、またまどろむ。

9時過ぎに、身体を起こした。そろそろ動こう。今日は、カトリック教会を中心にめぐるつもりになっていた。

ただ外の天候は今ひとつ…。青空が見えない。

車を走らせる前に、この公園を歩いてみることにした。

駐車場脇から平戸大橋を眺める  9時37分

駐車場の西南西に併設されている平戸大橋第1駐車場公園に向かうと、一番奥に展望所がある。

平戸大橋第1駐車場公園の展望所
展望所の上から海を眺める

一段高くして、見晴らしの良い展望台を整備しても、数年経つと視界が妨げられることがある。周囲の樹木が成長したり、背の高い雑草が生い茂ってしまうのだ。維持管理が追いつかななかったり、放置されたりして、展望台が展望台らしくなくなってしまうのは、あちこちで見られる展望台あるあるだ。

展望所の左側にある説明板

この展望台も例外ではなかった。かえって展望所の左側に下りる方が、まだ眺望が良い。そこには「平戸瀬戸」の説明板がある。

これを読むと、この辺りでは紀元前4千年の縄文時代から、捕鯨が行われていたこと。それに、明治15年(1882年)から昭和22年(1947年)にかけては、国内では珍しい銃殺捕鯨が行われていたということがわかる。

日本における捕鯨は、太古からの歴史と伝統があったのだ。

説明板のアップ

公園内には円形の遊歩道があり、その中央に円形の外向きベンチが3つほど設置されている。

煉瓦のテーブルとベンチ
駐車場と公園の境目から、公園を望む

9時51分、では、そろそろ出発しよう。

トレーラーは駐車場に残し、ヘッド車だけで周辺散策に出た。

↓ 車- 10.5 km 16 分 国道383号 経由

まず、1番目に訪ねたのは

カトリック中野教会

。10時07分に到着。教会入り口の石碑のところに、他のクルマに邪魔にならないように入口の隅に駐めて、坂道を上がっていくと…。

入口に立派な石碑が建っている

中野教会天主堂があり、その向こう隣には、神父館か集会所のようなものが建っていた…。

中野教会礼拝堂と聖母マリア像
礼拝堂の入口

礼拝堂の入口は施錠されて居らず、中に入る事ができた。しばらく後の方の椅子に座り、黙想する。

礼拝堂のイメージ
礼拝堂の東側側面

カトリック 中野教会
平戸から生月に向かう途中にある教会

平戸で250年間潜伏し続けてカトリックとなった信徒が住む集落の教会。1871(明治4)年に7戸が信仰を表明した。コロンバン会の神父の援助を得て1952(昭和27年)、念願の教会堂ができた。

平戸観光協会のWebサイト

満たされた気分に包まれた。そのまま礼拝堂を出て、坂道を下り、10時30分にクルマを出した。

↓ 車- 9.4 km 17 分 国道383号 経由

次に訪ねたのは

カトリック宝亀教会

。国道から狭い道に入ると、高台に向かって登っていく。教会駐車場に10時47分に到着した。

駐車場から教会と反対側、つまり南側を眺めると、眼下に海があり、点在する島々が見えた。

駐車場より南側の眺め
駐車場の北側に宝亀教会の天主堂が建っている
駐車場の端に「平戸島の文化的景観」説明板が設置されている
説明板のアップ

説明板の要点は、「①この景観地が、県内で初めての国の重要文化的景観に選定されたこと。②宝亀教会は1898年(明治31年)に建設されたこと。③平戸松浦家35代熈(ひろむ)(観中)が、当時の集落の呼び名を「保々木」から「宝亀」に改めたのだが、その切っ掛けとなった亀石様が集落内に残っていること。」の3つ。

宝亀教会天主堂の正面
天主堂の正面と左側側面
カトリック宝亀教会の説明板

カトリック宝亀教会

カトリック宝亀教会は、明治31(1898)年、マタラ宣教師の指揮のもと、五島列島宇久島出身の大工・柄本庄市によって建てられました。平戸市内で最も古い教会建築で、数ある長崎県内の教会の中でも15指に入る歴史を誇ります。正面の外観からはレンガ造のように見えますが、主体構造は木造で、両側面にベランダと床面まである窓を設けているのが特徴です。建設当初からのステンドグラスは、美しく貴重です。

カトリック宝亀教会の説明板より
天主堂正面入口に取り付けられている宝亀教会献堂百周年記念碑

宝亀教会献堂百周年記念碑
今から百有余年前、宝亀は京崎、雨蘇の仮教会で御ミサが捧げられていたが、司牧者マタラ師の私財投資と信徒達の献金及び労働奉仕によって教会建設を成し遂げ、1898年(明治31年)3月19日、現在の宝亀教会が献堂された。
宝亀教会は、現在の教会献堂百周年に当り、先人の偉大な信仰をたたえ、この碑を建てる。
1998年5月31日 百周年実行委員会

正面入口の宝亀教会献堂百周年記念碑

礼拝堂に入ると、天井、正面の壁、側面の壁、梁、柱、床…、それぞれが異なる色で塗り分けられているがお互いに調和し、溶け合っていて、そこにステンドグラスを通過した光が重なって、美しく温かな雰囲気の空間を作り出している。柱から天井に向かう曲線の重なりが特に美しい。

ここでも、しばらくの間、後方の椅子に腰をかけ、心静かに黙想の時を持った。

宝亀教会礼拝堂内部のイメージ
右側側面
帰途につく。天主堂を振り返る
駐車場に向かう

それぞれの個性溢れる礼拝堂で、心洗われるひとときを持てるのは、なんと贅沢な事だろう。

11時33分、クルマに戻り、次のスポットへ。

↓ 車- 5.5 km 18 分 国道383号 経由

次のスポット、紐差教会を目指して国道383号線を南下していると、右カーブから左に分岐する交差点に「←マタら神父様の墓」という標識が立っていた。

この時は、マタラ神父が宝亀教会を建てた方だということと結びついていなかったのだが、カトリック関連のスポットだろうと思い、とっさにハンドルを左に切って、狭い道に入った。行ってみる事にしたのだ。ただ標識には距離が載っていなかった。どれぐらい入れば良いのか…。

マタラ 宣教師様の墓

は標識の交差点から、2.9㎞、約7分入ったところにあった。11時51分、田崎公会堂前の道端に車を駐めて、歩いた。マタラ神父様の墓はクリスチャン墓地の一角にあった。

重要文化的景観「平戸島の文化的景観」田崎・神鳥・迎紐差地区の説明板

この説明板に書かれている内容の要点は、「①この地区が明治以降の平戸地方のカトリック財布教の中心地になったこと。②「静かな場所が良い」というマタラ神父の勧めで田崎に修道院が建てられたこと。③マタラ神父は田崎に埋葬される事を望んだこと。」の3つ。

今回は、行かなかったが、マタラ神父が作った修道院「田崎愛苦会」の跡地が近くにあることが分かった。

クリスチャン墓地への上がり口である階段
墓地の一角に、マタラ神父様の墓はある

墓碑に「マタラ神父は、この地方に於いて宣教を40年間行い、65歳で永眠された」とある。

マタラ神父様の墓は広い
マタラ神父様の足跡

マタラ神父は、マルセイユから日本宣教に出発して、1881年10月26日に長崎に上陸したあと、40年間長期に亘る宣教活動を行われた。北松地区の教会(黒島、田平、生月、馬渡島など)の巡回司牧、こどもの霊的教育、邦人司祭養成、伝道師養成、田崎愛苦会(修道院)の運営・発展。それを通じて平戸における最初の福祉事業の育成。そして、教会建設や修道院の創立にも尽力。

マタラ神父の足跡
1856年9月15日 フランス、リヨン教区ファルネに生まれる
1878年9月7日 パリミッション会の神学校に入学
1881年9月24日 司祭叙階
1881年10月26日 マルセイユから日本宣教に出発し長崎に上陸
1886年 ラゲ神父と共に紐差教会建設
1887年 黒島・平戸地区長就任
1896年 上神崎にザビエル教会建設
1898年3月19日 宝亀教会建設
1903年 田崎愛苦会の新修道院建設
1909年 平戸に小さな御堂と司祭館を建設
1911年 生月に山田教会建設
1912年 大佐志教会建設
1918年 田平26聖人教会建設
1921年 平戸地区信徒数8,300人
1921年6月 病に倒れ、同月28日午前3時に永眠

説明板「マタラ(J.F.Matrat)神父様の足跡」から一部を転載
他には家ごとの墓標が立っている。
コミ箱の注意書きが興味深い

来てみて良かった。マタラ神父の偉大な働きを知る事ができた。

クルマに戻り、12時06分にここを出た。

↓ 車- 5.0 km 8 分 国道383号 経由

紐差カトリック教会

に着いたのは、12時14分。教会は国道から近いが、高台にあるため、急勾配の坂を上って駐車場に入る。天主堂は、更にその一段上にある。クルマを降りて、階段を上がっていく。

教会の駐車場
駐車場奥にある正面階段から天主堂に向かう
天主堂は建物の2階部分 更に階段を上がる
ファチマの聖母

フェチマの聖母とは?

それは、カトリック教会の中では有名な話で、ポルトガルの小さな村フェティマで起きた聖母出現のことだそうだ。聖母が3人のこども達に何度も現れ、死後の地獄の実在、大戦争の終園と勃発、秘密を伝えたとされる出来事だ。

まったく知らなかった…。

これについての詳しい解説はWikipediaにある。

天主堂の正面階段
正面と右側側面
天主堂階段右手にある設立百周年祈念碑
天主堂左側側面
カトリック紐差教会の説明板

カトリック紐差教会
 カトリック紐差教会は、1,929年(昭和4年)、紐差の町を一望する高台に、教会堂設計で有名な鉄川与助によって建てられました。鉄筋コンクリート造で、梁間48尺(約14.5㍍)に桁行144尺(43.6㍍)と規模が大きく、礼拝空間が2階に設けられているのが特徴です。天井や壁面につけられた花や葉の彫物が、ステンドグラスとともに堂内を華やかに演出しています。現在の教会堂が建つ以前にあった旧紐差教会(明治中期建造)は、紐差教会の布教範囲であった馬渡島(佐賀県東松浦郡鎮西町)に、1928年(昭和3年)に移築され、馬渡島まだらしま教会として現存しています。

カトリック紐差教会の説明板日本語部分より

さあ、では、そろそろ礼拝堂に入ってみるとするか…。
階段を上がって、アーチ型の入口から中に入る。

階段の上にある礼拝堂入り口

礼拝堂の出入口は3箇所。サンダルを脱いで、扉のノブに手を伸ばす…。

「あれ?閉まっているなぁ」

そのまま、左側のドアまで移動して、ノブを握る。

「あらら、ここも閉まっている。えーっ??」

当然、真ん中のドアも閉まっている。

「え?入れないの? そんな馬鹿な…。」

天井を見上げると、ツバメが巣を作っていて、親鳥が雛にせっせと餌を運んでいた。

礼拝堂の中に入りたい! 神父を訪ねたら、開けて貰えるのではないか…。しかし、どうも人の気配がない。不在のようだ。

諦めがつかない…。

天主堂の向かって左側から裏手にいってみると、外に十字架の道行が造られていた。

十字架の道行
祈りましょう。主の祈りと聖母マリアの祈り

そして、この正面左手からぐるっと右回りに回るように、岩製の道行が並んでいる。

第1留から第3留

第一留 イエズス死刑の宣告を受け給う
第二留 イエズス十字架を担い給う
第三留 イエズス始めて倒れ給う

第四留~第六留

第四留 イエズス聖母にあい給う
第五留 イエズス シレネのシモンに助力を受け給う

第六留~第八留

第六留 イエズス御顔を布に写させ給う

第七留~第九留

第七留 イエズス 二度 倒れ給う。
第八留 イエズス エルサレムの婦人を慰め給う

第九留

第九留 イエズス 三度倒れた舞う

第十留

第十留 イエズス 衣をはがれ給う

第十一留

第十一留 イエズス 十字架にくぎ付けにせられ給う

第十二留~第十四留

第十二留 イエズス 十字架の上に死し給う
第十三留 イエズス 十字架よりおろされ給う
第十四留 イエズス 墓に…

第十三留と第十四留

第十四留 イエズス 墓に葬られ給う

天主堂の背面は平屋構造
ぐるっと一周回ってきた
天主堂 側面の出入口 ここも施錠されている

一旦、ここを出て、時間があれば、もう一度戻ってこよう。そのときには神父が帰宅しているかもしれない…。

12時57分にクルマを出した。

↓ 車- 9.2 km 11 分 国道383号 経由

いや待てよ。今のうちに昼食を採っておかないと、いつでもどこででも食べられるというわけではない…。

駐めて、Google検索。ドライブイン峠…。通り過ぎたところに、あった店かぁ。戻ってみるか…。

13時10分にとある場所

Uターン

した。

↓ 車- 350 m 1 分  国道383号/県道19号 経由

ドライブイン峠

に着いたのは、13時12分。

入店すると女性の店員さんが
「いらっしゃいませ~。空いている御席のどちらでもどうぞ~~。」
と言ってくれた。
「こちらでもいいんですか?」
「どうぞ。」

すでに数組のお客さんが入ってい手食事中だったが…。その並びの入口に近いボックス席に入った。
4人用のボックス席だった。

さて、メニューに目を通す。カツカレーにするか、それともチャンポンにするか…。

「すみません〜」

店員さんを呼ぶと、女将さん?がやってきた。

「ここのカレーはオリジナルですか?」
「いいえ、オリジナルではありませんが、カツはこちらで揚げています。」
「そうなんですね。では、チャンポンをお願いします。」

正直に答えてくれる良心的なお店だ。カレーかチャンポンで迷っていたが、これで決定。チャンポンをオーダーした。

寛ぎつつ、周囲を眺めていると…。
あれっ? 隣の並びは、カウンター席になっているではないか!
知っていたらそっちに座ろうとしたはずなのだが、店員さんはどちらでも好きなところに座ってくださいというスタンスだった。都会の繁華街にあるような回転率を上げることに躍起になっている店舗とはまったく違う。

チャンポンはオーソドックスな味、しつこさのないさっぱりとした美味しさだった。

「ご馳走さま。」

これでエネルギー充填完了。13時42分に店を出た。

↓ 車- 5.3 km 9 分

浦漁港公園

に着いたのは、13時51分。ここはグランド横の無料駐車場。公園もあって公衆トイレもある。

浦漁港公園の駐車場

この近くに博物館を併設する蔵元がある。そこの蔵開きの際は、こちらに車中泊すれば、どれだけ試飲しても大丈夫かも…。なーんてことを空想しながら、この駐車場を見渡した。

「歩いてみるか…。」

蔵元までの歩いてみるつもりだった…。公衆トイレを見て、その裏手の公園を歩き始めた。でも…。

いや待てよ。それほど時間が残されているわけでもない。やはり、クルマで移動視する方がいいんじゃないか?

公園から道路に出かかったところで、思い直し、クルマに戻った。そして、13時57分にクルマを出した。

↓ 車- 450 m 1 分

福鶴じゃがたらお春博物館

の前に着いたのは、13時59分。博物館入口前の駐車スペースにクルマを駐め、博物館入口の前に立った。ドアは閉じられているままで、人の気配も感じられない。ドアの左側手前に置いてある木樽には、貼り紙がしてある。

「博物館不在の場合 事務所までご連絡ください 0950-27-1111」

そうか…。ならば、事務所に行ってみるか…。と、反対向いて、歩き出した時、軽バンが入ってきて、男性ドライバーが降りてきた。

「博物館の見学に来られましたか?」
「ええ。」
「そうでしたら、そちらの事務所に言われたら見学できますよ。」
この方は、蔵元の関係者かと思いきや、どうやらそうではない様子。
「分かりました。行ってみます。ありがとうございます。」
「それで~、大変恐縮なんですけど…。博物館の駐車場は、そちらになっていまして…。」
「えっ?ここは博物館の駐車場ではないんですか?」
「そうなんです。こちらは、漁協の駐車場でして…。」
「あ、そうでしたか。じゃあ、移動しますね。すいません。」
「いいえ~、よく間違われるんですよ~。」

クルマに戻り、隣の蔵者の駐車場に移動し、駐めた。そこには、「焼酎、じゃがたらお春」の文字がかかれた大きなタンクがあり、その隣に倉庫と事務所のような建物があった。クルマを降りて、入口横の事務所風の場所に行ってみたが、ここにも誰も居ない…。

じゃがたらお春の大きなタンクとショールームや作業場入口

ここにも「ショールーム不在の場合は、奥の事務所までお声かけ又はお電話下さいませ。」の貼り紙があった。

そこで、作業場のような倉庫のような通路に入ってみた。そして、抜けると通りを挟んでその向こうに、店舗が…。

作業場のような倉庫のような通路の向こうに店舗があった
福鶴の店舗と作業場

店舗に入って、応対してくれた女性に「博物館の見学をしたいのですが…。」と申し出た。
すると、アニメのキャラクターのような可愛らしい声の持ち主である女性の店員さんが
「そうでしたらご案内しますので、少々お待ちください。こちらの奥の蔵もご覧になられますか?」
「あ、はい。こちらにもあるんですね。よろしくお願いします。」

店舗の奥にある蔵に通された。そして、説明が始まったのだが、ぽーっとしていて、説明が頭に入らない。そこで、
「すみません。録音してもいいですか?」
「どうぞ。」
「ありがとうございます。」
スマホを取り出して、ボイスレコーダーアプリを起動した。
「すみません、もう一度はじめからよろしいですか?」
「はい。」
嫌がらずに笑顔で対応してくれた。

「うちの創業が元禄元年、西暦で1688年。今年で344年。日本酒と焼酎を造っています。ここの蔵が元禄から残っている土蔵蔵です。いくらか修復をしていますが、だいたい当時のままの姿です。柱が四本立っています。ニホンマツ、松の木です。300年以上経っていますのでコンクリートみたいに固くなっています。どうぞさわってください。」
「いいんですか?」
「どうぞ。」
「これでしょう…。わっ!ほんと石みたい。」
「この大きさになるまでには100年ほど経っている松の木だと思うので、この柱は400年以上経っているものになります。」

「はぁ~、なるほど…」
「建物は2階建なんですけど、すべて松の木で出来ています。杉などは一切使わず、当時の人達の手で3年かけて造られたそうです。」
「3年…、はぁ~~」
「今は、ここは1年中クーラーを入れてまして、この蔵全体が冷蔵庫の役割をしています。どうしてクーラーを入れいているかといいますと、このタンクの中には今年できたお酒が入っています。この出来たてのお酒をお客様にも飲んでいただけるように…ということで自分たちは、全部クーラーの中とか、瓶詰めしたものは大きな冷蔵庫の中に入れましてから出荷しています。」
「へぇ~。ここも写真を撮っていいですか?」
「はい、どうぞ。」

「今は、クーラーがありますからこうやって中に置く事ができますけど、昔はありませんでしたから壁が土壁なんですね。厚みが30センチほどあります。ここの下には川を引いてお水を流して蔵の中が冷えるように工夫してありました。今でもそのお水は流れています。」

「じゃあ、この床は冷たいんですか?触ったら…。」
「そうですねぇ~。(笑)」

「じゃあ、何本か溝みたいに?」
「そうですねぇ、溝みたいになってて、お水が流れて…。」
「へえ~~。」

「お酒の名前は福鶴と言いまして、普通種、純米酒、吟醸酒、一番いいお酒が長崎美人という大吟醸酒になります。長崎美人は福岡の国税局と全国の品評会で金賞をいただいるお酒です。そして、今年も金賞をいただきました。 … じゃあ、暑いですけど、こちらにどうぞ。」

蔵から外に出た。そして、歩きながら説明の続きを聴いた。

「あの前の道路を隔てて向こう側が焼酎なんですね。お酒と焼酎は菌が違いますから、道を隔てて分けています。」
「はぁ~~、そこまでしないといけないんですね。」
「そうです。で、お酒は缶仕込みと言って寒い時期の、10月の終わりぐらいから4月の初めぐらいまで、今終わったばっかりなんですね。今度春から秋までは、焼酎の仕込みをしております。」
「ふぅ~~ん。」
「で、じゃがたらお春というのがジャガイモの焼酎なんです。長崎県は北海道に次いで2番目にジャガイモが採れる県です。ハルデラ?は日本一採れる。これをどうにか活用できないかということで、国と共同で開発したのがじゃがたらお春という商品になります。薩摩芋に比べてデンプンが少ないですので造るのが凄く大変ですけど。昭和58年に出来上がったものなんですね。焼酎自体はまだ30年ちょっとと若い焼酎なんですけど、他にももっといろんな焼酎…、お米とか麦とかわかめとか酒粕の焼酎とか…たくさんの種類を造っております。」
「そうなんですねぇ~。」

「なんか、あそこに、試飲用って書いてありますね。」
「はい。うふふ~。試飲もできます。はい。」
「運転してますからね。」
「うちは甘酒も造っておりますし、みりんも造っております。博物館の方は今、見ていただいた蔵の中にいろんな古い物が眠っていましたので、20年ほど前に完成させた博物館になります。お酒と戸焼酎の博物館なんですね。昔から使われていた古い道具とかあとお米作りが一番大切でしたので、昔使われていた農機具などを展示しております。入場料を300円いただいておりますが、よろしかったでしょうか?」
「はい。後払いでよろしかったでしょうか?現金だけですか?」
「カードでも大丈夫です。」

博物館の入口を開けていただいた。

「はいどうぞ~~。こちらが博物館になります。向かって右側が昔ながらのお酒が出来る工程です。左側が焼酎になります。そして、2階が古い道具とかお酒に関する古い物が展示してあります。ここはどうぞごゆっくりご覧くださいませ。」
「それと、写真も自由に撮っていいんですか?」
「はい、大丈夫で~す。」

「ありがとうございます。で、最後はどうすればいいんですか?向こうまで戻ればいいんですかね。」
「正面で…。甘酒はアルコールが入っていないので飲む事が出来ますので、あそこで準備しておきますね。」
「はい、ありがとうございます。」

じっくりと見させていただいた。それにしても写真を撮り過ぎたかも…。

それにしても、これだけ広くて展示物が多かったら管理が大変だろうな。掃除も…。たぶん、従業員の方だけでは、行き届かないのではないだろうか。

博物館を出て、ショールームへ戻る途中、建物正面に立っていた2本のタンクについての解説があった。

「2本のタンクにはジャガイモの焼酎“じゃがたらお春”の原酒40度が入っています。上が10㌢ほど空いているだけであとは全部焼酎なんですね。1本に1億円分入っています。」

「はぁ~~、じゃあ、この2本で2億円分なんですね。」
「はいっ、うふふ。」

ショールームに入ると、正面右手に貼られている大量の表彰状が目に飛び込んできた。まさに品質の証明、美味しさの証しだ。

壁に貼られた大量の表彰状

店員さんは、試飲の為、ノンアルコールの甘酒を準備してくださっている。

表彰状下の説明板がおもしろい!

うまい酒の見分け方
「甘」「辛」「酸」「苦」「渋」いわゆる五味が、ほどよく調和している酒ほどうまい酒です。
「甘口」「辛口」と申しますが、名酒は名水のごとし、とも言われるように、うまい酒はすっきりと調和し、すーっと喉に入っていくような爽やかな味わいがあります。
また、地酒にはその土地独特の味わいがあり、その捨てがたい人情生活風土の肌触りが伝わってくるような、よろこびがあるものです。

日本酒は百薬の長
例えば、植木(松など)にお酒をかけると元気が出る。ことはよく知られています。
まして人間が飲めば、なおさら身体に良く元気が出ます。
病気やケガのときに日本酒は、かくれた特効薬として、昔からよく使われてきました。
糖尿病や血圧に悪いというのもウソで俗説にすぎません。日本酒を適量に飲むとき、それはまさに百薬の長です。

表彰状したの説明板より

試飲の準備が整ったようだ。カウンターに向かうと店員さんから甘酒を手渡された。

「お米と米麹だけで、アルコールとかは一切入っていません。はいどうぞ~。」
「ありがとうございます。」
「(俳句では甘酒の)季語は夏なんです。なんとなく冬のイメージがあるんですけど、季語は夏。昔から夏バテ防止とかに昔から飲まれています。お米の粒が入っているので、ご飯を食べたくない時とかに飲んでいただくと、元気の源になります。飲む点滴です。」
「飲む点滴ですかぁ。凄いですねぇ…。美味しいわ、これ。」
「また、これにお酒や焼酎をちょっと入れて召し上がっていただきますと又美味しいですし、また寒い時は温めて生姜をちょっと入れると、身体が温まりますし、美味しいです。」
「ありがとうございました。」

だいたいこの店員さんの声が可愛らしくて、心地良い。解説を聞いて、気持ちを良くしてくださるなんて、さすが名門酒蔵。お酒とトークのダブルパンチで人を酔わせてくれるのだ。

調子に乗って、まとめ買いした。お土産用と自分用で、甘酒3本、日本酒3本、焼酎2本…。
今晩が楽しみだ。

15時06分に、店を出た。女性の店員さんふたりが、走っていくクルマの後で、見えなくなるまで手を振ってくれた。

↓ 車- 10.3 km 33 分 県道19号 経由

さて、福田酒造から県道19号平戸田平線を更に南下し、そして進路を西向きにジグザグに走ったら野子町にはいる。そこからが、いよいよ本土と繋がった道の最西端に向かう1本道になる。

そこは、ストリートビューも撮られていない過酷な道だった。

本土と繋がった道の最西端に向かう過酷な道のGoogleマップ航空写真
アップダウンもあるし、ガードレールもない車幅ぎりぎりの荒れた道で路肩の強度も不明…
上りの切り通しの先は、左に曲がって下る。右手は崖… そんな道が続く…

とにかく、生還できるかが心配になるほど、過酷な道だった。離合箇所はほとんどない。

ハラハラドキドキしながら、慎重に走った。そして、間際になって、視界が開け、下り坂の先に

本土と繋がった道の最西端

が見えた。そして、まもなく到着。15時39分だった。無事に着けるはずと固く信じてはいたものの、実際にたどり着いたときには、本当にホッとした。こわばっていた筋肉から力が抜けた。

こんな道、オフロードバイクなら楽しいかも…。幅のある大きめの普通車以上だと慎重に走らざるを得ない。ある程度、運転に自信がないと通れないし、路肩強度や対向車の事など、運も必要かもしれない。

道の終点に来た。軽トラックが1台停車していたが、ドライバーはどこに居るのやら…。周辺には見当たらなかった。

道の終点のある半島の突端から隣の島までは砂州で繋がっていた。潮が満ちても、繋がったままなのだろうか…。草が生えていない部分があるので、たぶんその辺まで海水が入ってくるのだろう。

その他には取り立てて何か言うべきことは見つからない。

あまりの悪路ぶりに心労が祟った。またその道を戻らざるを得ないと思うと、気が重い。

本土に繋がった道の最西端
北側の風景
終点から東側の風景 通ってきた道

こんなところでも電線は伸びている。灯台でもあるのかな…。

海岸には流れ着いたゴミが溜まっている

水は綺麗だが、海岸は石がゴロゴロしていて、海水浴にはそぐわないかも…。

最西端の看板

海岸をほんの少しだけ歩いてみた。

しかし、向こうの島まで渡ってみようとか、向こうの島を一周してみようという気持ちまでにはならなかった。もうすぐ16時になるし、もう一度、来た道を運転しなければならない。隣の島を一周する気分になるには、時間的、精神的ゆとりが必要だ。

さあ、戻ろう…。16時00分だ。

クルマに乗り込み、東向きにしかない一本道を走り出した。

本土と繋がった道の最西端

初めてのときよりは、少しだけゆとりがあった。一度経験しているという安心感だ。ただ、舐めてはいけない。少なくとも入口までは気を引き締めて走る…。

↓ 車- 26.3 km 38 分 県道19号 and 国道383号 経由

木ヶ津きがつカトリック教会

に着いたのは、16時39分。高原の緑に囲まれたかわいい教会だ。

小さな教会に見えたが…
全然小さくない

調べてみると、1962年(昭和37年)に平戸猶興館高校の古い体育館を利用して建立されたものだそうだ。

教会の前は花畑がある
喜々津カトリック教会の正面
喜々津カトリック教会の礼拝堂イメージ

礼拝堂内にある「十字架の道行」は病床にあった永井隆博士が描かれたもので、亡くなられた後、浦上教会に寄贈されていたもの。それを木ケ津教会が譲り受けた貴重なものだそうだ。

そのことを額に入れた説明書が掲示されていた。文章は以下の通り。

パウロ永井隆筆
「十字架の道行」御絵について
この画は医学博士パウロ永井隆氏が1951年、すなわち博士死去の春、死の床にあって仰臥ぎょうがのまま筆を執り、1ヶ月余りの時日を要して描き上げたものであって、絶筆ともゆうべき貴重なものである。
つかれると、すなわち、ロザリオの祈りを唱えてこれを癒やし、まさに精魂の限りをつくして描き上げられており、その一枚一枚に吾人は博士の信仰心の深さを見いだすことができる。
博士の死後、その遺族はこれを浦上天主堂にかかげて永く信者の信仰の対象となることを願い、浦上教会に寄進したものである。
1962年にいたり、木ヶ津教会天主堂落成にあたり、木ヶ津教会はこの御絵を新聖堂に掲げ、永く博士の偉業とそのカトリック的精神を伝えんことをこいねがい、ここに浦上天主堂より移すことにいたった。

礼拝堂に掲げてある額縁の文章

礼拝堂の出入口付近によりみちコーナーがあって「永井隆博士の道行」の額縁や絵はがきが販売されていた。

帰り掛けにもう一度、天主堂をパチリ

さて、17時06分だ。クルマに戻り、始動ボタンを押した。

↓ 車- 3.4 km 6 分 県道60号 経由

しつこさが取り柄…。もう一度、

紐差カトリック教会

を訪ねてみた。駐車場に着いたのは、17時12分だった。階段を上がって、礼拝堂の扉を調べたが、やはり鍵が掛かったままだった。

階段を下りて、神父館の方に目をやると、ちょうど、玄関先に宅配業者がいて、そこから誰かに電話で話をしていた。

その様子からすると、どうやら、神父は不在のようだ。

今回も礼拝堂に入ることは叶わなかった。

楽しみは次の機会に回すことにし、階段を下りた。すると、階段の下に道があり、右手方向に延びている。そこを歩いてみると、その先にはもうひとつ広い駐車場があった。

奥の駐車場から天主堂を眺めると…

これだけ大きな教会だから、考えてみれば、駐車場も合わせて広くないといけないのは当たり前。17時24分に第1駐車場に戻って、クルマを出した。

切支丹資料館はとっくに閉館しているが、根獅子海岸は、夏至に近いこの季節だし、ここからさほど遠くない。明るいうちに十分散策できて、美しい夕景を堪能できるだろう。

↓ 車- 4.5 km 8 分

根獅子海水浴場前駐車場

にクルマを駐めたのは、17時33分。駐車場から道路を渡って、松林を海の方に真っ直ぐに歩いた。すると、砂浜までは2~3㍍高くなっており、下りられない。

その高台から海を眺めると、太陽は薄雲の向こうにあり、海は引き潮で、波打ち際は遠くにあった。

17時39分
17時40分
17時40分
17時41分

日没までは、まだいっときある。

クルマをもっと北側に移動し、路肩に駐車して、そこから海岸に下りるとしよう。

一旦、駐車場に戻った。

駐車場に掲示されている注意事項  17時42分
無料駐車場は、アスファルトの上だけになっていた

以前は、アスファルトの上だけでなく、未舗装部分にも駐められるようになっていたが、いまでは、アスファルト部分の周囲にロープが張ってあり、その先に進入できないようになっていた。

7月の海水浴シーズンになったら、解放されるのだろうか?

ちょっと心配だ…。17時38分にクルマを出した。

↓ 車- 150 m 1 分

駐車場からちょっと先の左カーブになって、路肩が広くなっているところの

根獅子海水浴場北側の駐車スペース

に、17時43分にクルマを駐めた。ここからちょっとだけ戻ると八幡神社の参道があり、そこから砂浜に下りることができる。

その前に、八幡神社へ行ってみることにした。

参道入口付近にある砂浜に下りる橋
八幡神社参道入口に看板が3つ 向こうに見えるのが一の鳥居と石灯籠
その1つ目は昇天石の説明書き

昇天石
 1550年フランシスコ・ザビエルのキリスト教布教により、平戸は多くの人が信者となったが、後の豊臣秀吉によるキリシタン禁教令(1587年)や徳川家康の禁教令(1612年)によって、ことごとく禁圧を受けることとなった。
 その後も根獅子地区の信者をはじめ、おもて向きは仏教徒をよそおう「隠れキリシタン」として信仰を続ける人達もいたが、1566年(永禄9年)に「おろくにん様」が処刑、さらには1635年(寛永12年)70数人が捕らえられ、この浜辺において処刑をされた。処刑はこの浜辺にある小岩で行われ、ここからパライソ(天国)へ逝ったことから「昇天石」とよび、今なお聖地として祀られている。
      平戸市

昇天石の説明板より
昇天石
昇天石は、この説明板から50㍍先にある
2つ目は、「日本の水浴場五十五選」認定書、3つ目は根獅子の浜の「昇天石」説明板

根獅子の浜の「昇天石」
 根獅子の浜の渚に横たわる「昇天石」は、キリシタン弾圧時代に、おろくにん様一家6人が里人をかばって殉教したといわれる神聖な場所であり、畳1枚程度の平たい小岩がふたつに割れたように砂に埋もれています。
 根獅子町では、おろくにん様が処刑された小岩を「昇天石」と呼び、「登ると海が荒れて里を飲み込んでしまう」と、この小岩を粗末にしたり汚したりすることを強く戒めてきました。
おろくにん様
 入り婿によって告発された際、「キリシタンは私たち一家だけである」と、根獅子の里人をかばって昇天石の上で殉教したとされる人たちで、夫婦と3人の娘、生まれたばかりの赤子の6人のことと伝えられています。6人の遺体は、ウキワキの森に埋葬されたとされ、今も大切な場所としてまつられています。

3つ目の説明板より
参道より砂浜を眺める
八幡神社二ノ鳥居と拝殿
右は八幡神社末社
境内

参道を戻る途中の左側にある建物…、海の家?

夏の間は営業するのかな?
一の鳥居の石灯籠のところから簡単に砂浜に下りられる
だいぶん夕方らしくなってきた 風紋が目立つ
金色に輝く海面  18時00分
砂浜に文字入れ  若い頃には、よくやった
美しい夕焼けの海
波打ち際から「昇天石」をみる
太陽の真下にいる漁船
金色の海
石灯籠のところで、砂浜から参道に上がる
参道から夕陽を眺める
日没までは、まだしばらく掛かりそう

↓ 徒歩- 800 m 33 分

根獅子海水浴場北側の駐車スペース

に戻ったのは、18時13分。この後すぐにクルマを出した。

↓ 車- 100 m 1 分  県道19号 経由

しかし、すぐその先の右手に何かがある…。ということで、すぐ

路肩に停車

した。18時14分だった。何かを確かめるべく、今度は道路を渡って、海と反対側にある建造物に向かって歩いた。

↓ 徒歩- 1分

ここは、

根獅子教会跡遺跡

だったのだ。18時15分。

説明板と聖母マリア像
説明板の解説文
聖母マリア像

18時19分にここを出た。

↓ 徒歩- 1分

路肩に停車

していたクルマまで戻って、18時20分に走り出した。

途中、高越展望所から棚田のある風景を味わった。

高越展望所から見た風景
高越展望所

さあ、今日は精力的に動いたし、もう暗くなってきた。そろそろ帰ろう。

↓ 車- 16.0 km 49 分 県道19号 経由

ホームプラザナフコ 平戸店

があったので立ち寄った。19時12分。閉店までにほとんど時間が残っていない。

立ち寄ったのは、米1合を計る計量カップが欲しかったからだ。入店して台所用品の棚を見回ったが、見当たらなかった。

「すみません、米1合の計量カップはおいてありますか?」
と店員さんに尋ねた。すると、熱心に探してくれたけど、どうやら見つからない様子…。
そして、耳打ちするように、
「ダイソーさんにはありますよ。」
「ああ、そうかぁ、そうですね。近くにありますか?」
「近くには…、どうでしょうか…。」
といいながら、まだ探してくれた。普通の計量カップは見つかったが、少々大きかった。
「これはちょっと、大きいですねぇ。すみません、ありがとうございました。」

御礼を言って、19時18分に店を出た。
とにかく、店の利益ではなく、客の利益を優先してくれる店員さんの姿勢に感謝した。

↓ 車- 4.8 km 10 分 県道19号 経由

酒の一斗平戸店

の横を通ったとき、Can☆Doの文字が目に入った。百均だ。19時28分に店に入った。

百均ショップCan☆Do

売り場が大きめの百均ショップだった。ここでも店員さんに探して貰ったら、ちょうど良さそうなものが見つかった。それを求めて、19時42分。

それにしても、この店といい、ナフコといい、店員さんが感じいいのは、地域性だろうか…。

↓ 車- 2.3 km 8 分 国道383号 経由

平戸公園第1駐車場

に戻ってきたのは、19時50分。遅くなった…。

平戸大橋がライトアップされている。公園の芝生の上に三脚を据えて、写真を撮った。

ライトアップされている平戸大橋

一刻も早く、トレーラーに乗りこんで寛ぎたかったのだが、明日の行動のことを考えると、今のうちに給油しておいた方が良いに決まっている。

わかっているが…。もう遅くなっているし、今日はかなり動いたし…。

20時19分に「えい、や!」っと、気合いを入れてクルマを出した。

↓ 車- 1.8 km 4 分 国道383号 and 国道204号 経由

JASS-PORT 平戸口

に到着したのは、20時23分。給油して、20時29分に出発。

↓ 車- 1.5 km 5 分 国道204号 and 国道383号 経由

平戸公園第1駐車場

には、20時33分に帰ってきた。これで、やっとゆっくりできる。

昨日はトラックのエンジン音で眠れなかったが、今日はどうなるのだろう…。もしも、同じ状況だったらたまらない。移動するか、しないのか…。

今から動くのも面倒だ。幸いなことに、今のところは静かだ。このままここに留まることにしよう。

夕食は自炊。買ってきた計量カップで米と玄米を3/4合ずつ合わせて、1.5合にして炊いた。おかずは鶏肉を小さく切って、野菜入りもやしと一緒に出汁醤油で炊いた。

調理中
できあがり
今晩の夕食

コレールのお皿に盛り付けて、後部座席のテーブルにて、夕食をとった。

昨日の寝不足が祟った上に、今日は意欲的に行動したので、晩酌をしたら、22時過ぎには一気に睡魔が襲ってきたようだ。いつの間にか、意識を失ってしまった…。

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