ふらり旅

門司港で夜景を撮ろう![1日目②]九州鉄道記念館と出光美術館駅周辺

九州鉄道記念館に到着
入場後して、車両展示場をじっくり拝見

入口に、9600型蒸気機関車534号機、その後にC59 型の1号機が見える。

窓口で入館料を支払う。支払いには現金以外に交通系ICカードが利用できた。しかも、通常、おとなの入館料は300円なのだが、門司港レトロ観光列車の乗車券を見せると、入館料が団体料金と同じ 240円に割引された。私の場合は、1日フリー乗車券の購入時に説明を受けていたので、スムーズだったが、このことは、九州鉄道記念館のご利用案内には記載されていないようだ。期間限定の対応かもしれないので、この制度を利用する場合は、直接、関係先に確認して頂きたい。

余程の鉄道ファンを除いて、一般的な見学客なら館内の見学時間は30分程度で回れるらしいのだが、小学生の頃、鉄道ファンだった私にとっては、往事の懐かしさに浸りながらだし、なおかつシャッターも押しながらなので、そう簡単にさっさと先に進むことはできない。

なんせ、入口から入るやいなや、懐かしい車輌の数々が静態保存されているではないか!

国鉄9600型蒸気機関車535号機

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9600型蒸気機関車は、国鉄の前身である鉄道院が1913年(大正2年)から製造した、日本で初めての本格的な国産貨物列車牽引用のテンダー式蒸気機関車だ。ここに静態保存されている59634号機は、9600型の535号機である。(9600が1号機、9601が2号機、19600が101号機なので、59634は535号機だ)

1912年度に12両が試作された蒸気機関車に最初(9600 – 9611の番号が振られたが、落成後わずか3か月で9580形 (9580 – 9591) に改められた。その試作車の欠点をすべて解決して、1913年から量産されたのが9600型蒸気機関車だ。

この形式は、戦前戦中に軍に供出されたり、大陸に渡ったりしたものもたくさんあったが、1976年(昭和51年)3月25日までに最後の1両 79602号機が廃車されるまで長く走り続け、この日を以て保存用の蒸気機関車以外のすべては現役を退いた。

この59634型蒸気機関車は、1921年に川崎造船所で製造された90両の中の1つだ。そして、山形県米沢市の米沢駅から新潟県村上市の坂町駅を結ぶ米坂線で活躍し、1974年に福岡県の後藤寺機関区に転属し翌年廃車になるまで使用された。当初は糟屋郡粕屋町中央公園で保存されていた。のちに整備の上で小倉工場で保存され、2003年に九州鉄道記念館開館に伴い移設されたということだ。

国鉄C59型蒸気機関車1号機

デビュー当初からC62型に引き継ぐまで、幹線で特急を引いた花形機関車だそうだ。国産最長の蒸気機関車。

C59型蒸気機関車1号機 1941年(昭和16年製造)
C59型の動輪部分

EF10型直流電気機関車35号機

この35号機は、1942年に開通した関門トンネルで九州と本州間での貨物輸送増強に対応するために作られた17機のうちの1つで、そのうちの5機は1953年以降に外板をステンレスに貼り替える改造を受けているが、そのうちの1両でもある。

EF10型電気機関車35号機

ED72型交流電気機関車1号機

九州北部の新しく電化された交流区間用として1961年に試作車である1号機と2号機が開発・運用された。1962年に設計を一部見直して3号機から22号機までが量産された。

華やかなりし頃は、ブルートレインも、貨物列車も引っ張る客貨両面で活躍をみせていたが、試作車は1976年に廃車。量産車も1978年から順次、廃車が始まり、1982年までにすべてが現役を退いた。そして今、現存する車体はここに、この1号機があるのみだということだ。

ED72型交流電気機関車1号機

キハ07型気動車41号機

キハ07型気動車41号機は、戦前の1937年に製造された旧番号キハ42055のガソリン動車。それを、1951年以降に順次ディーゼル化し、番号をキハ42540に変更。さらに1957年の気動車商号変更により、キハ07型41号機となった。そして、42,43号機とともに宮原線で活躍した。1969年の宮原泉廃止とともに現役を引退し、豊後森機関庫に引き続いて大分運転所で保管された後、2003年に修復されて、現在、ここの展示車両となっている。

それにしても特徴ある運転台部分の流線型を撮り忘れてしまった。というのも無理もない。側面の「肥後小国-豊後森」を見たとき、宮原泉を走っていた気動車だと気付いた。その瞬間、頭の中はその沿線沿いだった場所に点在する壁湯温泉、宝泉寺温泉、わいた温泉郷のことに思いを馳せて、その場でしばらく物思いにふけってしまったからだ。

車輌先頭の形状が気になる方は九州鉄道記念館展示車両一覧を参照していただきたい。

キハ07型ディーゼル動車

国鉄481系電車 クハ481 603号

クハ481について述べる前に、クロ481に触れておく。

まずは電車の記号の付け方を簡単に説明すると…

車輌の種類を表す記号で、「ク」は先頭制御車、「モ」は動力車、「サ」は運転台もモーターもない中間付随車。「ロ」はグリーン車、「ハ」は普通車だ。そして、3桁の数字の百位は1~3が直流専用、4~6が交直流、7~8が交流専用、9が予備。十位は0~4が近郊・通勤用、5~8が急行・特急用、9が試験用。一位は同系列について基本は奇数の同番号を割り当て、同系列内で区別が必要な場合にその奇数より1少ない偶数を割り当てるということだ。

ちなみに481系は交直流特急型電車の交流60Hz、483 系は同交流50Hz、485系は同交流50Hz/60Hz両用と区別されている。

ということは… 「クロ481」は先頭制御車動力はないグリーン車

1968年に奥羽本線の山形までと常磐線の喜多方までが電化されたため、それに合わせて、その区間を走っている特急「やまばと」「あいず」が電車化されることになった。その際、諸事情によりグリーン車と食堂車を入れて9両編成にすることになったため、クロ481が12両必要になった。

そこで、クロ481の1~5は1968~1969年に新しく製造され、残りは既成車のサロ481の19~25を先頭車のクロ481-50番台に改造して調達。それらはすべて仙台運転所に配備されたとのこと。

ここで疑問が生じる。奥羽本線や常磐線なら交流50Hz。ならば車番はクロ483ではないのか…。

と、しばらく悩んだが、クロには動力がないために、50Hz区間でも60Hz区間でも関係ないわけだ。東北で活躍していた頃は、動力車の部分がモハ483+モハ482になっていたということだ。

クロ481の1・2は1975年(昭和50年)に南福岡へ、3~5は1983年(昭和58年)に鹿児島車両管理所でクハ481形601~603へ改造施工された上で同所へ転出。そのうちの602はクロ481の4に復元。全車とも分割民営化時にはJR九州に承継された。それらは1995年(平成7年)までに廃車となったが、クハ481-603(元クロ481-5)は、1995年 3月24日に南福岡電車区で廃車となり、その後、九州鉄道記念館にて静態保存となった。

電車クハ481-603
側面から窓越しに車内を見る

交直両用寝台特急用電車クハネ581-8号

この電車は座席を寝台に切り替えられる直流・交流60Hzの両用特急型寝台電車として1968年に製造され南福岡電車区に配置された。「ネ」は寝台車の記号なので、クハネは、2等寝台(B寝台)電車の先頭制御車という意味である。

まず、寝台特急「月光」として博多から新大阪へ向かい、昼間特急「みどり」として新大阪→大分へ。翌朝、「みどり」として新大阪に戻り、その夜、「月光」として博多に戻る運行をおこなったそうだ。

そして、翌年からは交流50Hzにも対応した583系が青森と南福岡にそれぞれ増備され、西日本地区においては「みどり」が485系に置き換わったものの、「月光」に加えて寝台電車特急「明星」(新大阪↔熊本)と「金星」(名古屋↔博多)が増発された。そのようにして1972年までは、毎年のように583系への置き換えと増備が進んでいった。

しかし、1975年に山陽新幹線の博多駅まで伸び、東北新幹線が開業すると、在来線長距離特急が見直され、583系の電車は余剰になっていった。

ここに静態保存されているクハネ581-8号は、1983年に近郊型電車クハ715-1に改造され活用された後1998年に廃車。その後も解体を免れ、JR九州小倉工場に留置されていたが、2000年(平成12年)の小倉工場まつりのために修復工事が行われた。ただし、内装および窓・扉配置はクハ715-1のままであり、後位側扉・ロングシート・中吊り広告受の残置などがある。2003年(平成15年)の九州鉄道記念館開館により移設されたものだ。

寝台特急用電車クハネ581-8号
窓越しに撮った車内の様子

tera-pro.comさんの583系に関するYouTuber動画はこちら

14系寝台客車 スハネフ14形-11号

14系客車は、冷暖房などに用いるサービス電源を、床下のディーゼル発電機でまかなう「分散電源方式」を初めて採用した12系客車をベースに、特急列車での使用を前提とした車内設備に変更したもので、座席車と寝台車がある。

展示されているスハネフ14形-11号は、1973年に日本車輌製造株式会社で製造されたベッド幅70㎝のB寝台車である。東京↔九州の寝台特急「さくら」「みずほ」「あさがぜ」など、2005年から2009年まで寝台特急「はやぶさ」「富士」に使用された。2015年に廃車となり、九州鉄道記念館に保存された。

ちなみに、ボギー客車で「ス」は重量が37.5㌧以上42.5㌧未満、「ハネ」はB寝台車(2等寝台車)、「フ」は段急車(概して車掌室付きの車両)の意味。

14系車掌室付きB寝台車スハネフ14-11
寝台車の中を窓から覗くと…

ちょっとやり過ぎ…。展示車両のことを書き過ぎた!
それにしても、14系寝台客車の向こうに、貨車セラ1239号が隠れていたとは…。

そして、セラ1239号に気付かないまま本館へ

車両展示場より1階分高いところにある本館

ゲートから直接上がるスロープもあるが、車両展示場から直接、本館正面に上がる階段もあるんので、こちらを利用した。

煉瓦造りの本館の中に入ると、先ず正面の「明治42年製造!明治の客車」が目に入る。左手に進むと鉄道グッズや土産物を売る売店「ショップゼロマイル」がある。

階段から2階に上がると、貴重な鉄道関連資料が展示されている「常設展示コーナー」、写真展や模型店が開かれる「企画展示コーナー」、パソコンや書籍で鉄道情報が入手できる「情報コーナー」がある。

そして、反対側の階段で1階に降りると、一番奥にHOゲージの鉄道模型のジオラマ「九州の鉄道大パノラマ」がある。残念ながら、この日は休止中だった。

そして、その隣に「運転シミュレーター」がある。1回の利用料は100円で約8分間、本物の811系近郊形電車の運転台に座って、門司港から折尾までの映像を見ながら運転の疑似体験ができるのだ。

利用するためには入口に座っている受付係に利用を申し込む。この日は、来館者がほとんどいなかったので、運転シミュレータを使っている人は全くおらず、待ち時間ゼロ。というか、受付係も控室に引っ込んでいたので、担当を呼びに行ってもらうという別の理由で2~3分の待ちが生じたぐらいだった。

運転シミュレータは未経験。来館者がほとんどいないので、このときばかりに鷹狩の人に操作方法とコツを聞き出そうとしたのだが、意外に淡泊で、説明書きがあるのでそれを参照すれば分かると軽く突き放された。世の中は厳しい。

100円を投入して、スタートボタンを押すと、時計が動き出す。

クルマの運転には結構自信があるのに、電車の運転だと全く要領が掴めず、面食らった。表示された評価があまりに酷かったので、恥ずかしくてここに書くことができない。

後から思うと、せっかく、人がいないのだから、何度か練習して、コツを掴めば良かったのに…。そのときは再挑戦する気にもならなかった。なんとも情けないかぎりだ。

本館を出て、出口に向かう

入り口に向かうスロープを進むと左手にキハ07型気動車が見える

少々けち臭い話だが、せっかく門司港レトロ観光線の1日フリーパス券を購入したので、一往復以上は乗車しないと気が済まない。バイキングの店に入ったら、元を取ろうと、つい無理をしてでも食べてしまうのと同じ行動パターンだ。

九州鉄道記念館駅発の最終は16時40分発なので、最低でも1本前の16時ちょうど発に乗って、次の出光美術館駅で途中下車して、約40分間の周辺散策を目論んだ。

ミニ鉄道公園の横を通って、入り口ゲートに向かったが、車両は1台も動いていなかった。ゴーカートの鉄道版みたいなものだろうか、3人まで乗車できて、本物と同じように運転体験ができる仕組みらしい。

前頭部展示を会場内からちらっと見て、ゲートを出て、外から1枚写真を撮ったら、そのまま九州鉄道記念館駅へ急いだ。

前頭部展示

九州鉄道記念館駅発16時00分のトロッコ列車に乗車

今度の列車にも乗客はほとんどいなかった。私以外には外国人旅行者の女性二人連れと、もう一家族だけ…。

九州鉄道記念館駅発16時00分のトロッコ列車

出光美術館駅までの所要時間は約2分。到着する直前に、恋人の聖地にもなっている歩行者専用はね橋「ブルーウィングもじ」が、ゆっくりと橋を持ち上げて、開いているところだった。

全国でも最大級の歩行者専用はね橋「ブルーウィングもじ」

出光美術館駅で下車して、レトロ散策

乗ってきたトロッコ列車「潮風号」を見送った。九州鉄道記念館側の機関車にはかつてのブルートレイン「明星」のヘッドマークをつけていた。これは、九州鉄道記念館とのコラボ企画によるもので、期間限定だ。さあ、いよいよ散策開始。

門司港レトロ観光列車「潮風号」はブルートレイン「明星」のヘッドマークをつけていた。

これが、約40分間の散策コース

まずはGoogleマップの航空写真の①青色の道を通って、「喫茶ゆき」に行ってみた。

だいたい旅先で食事の店を探すとき、Googleマップを多用する。場所と現在地からの所要時間もさることながら、写真や口コミも参考になるし、現在営業中かとか、高評価かということで絞り込むことも可能だからだ。

不思議だったのは、喫茶ゆきの営業時間がGoogleマップ食べログでは、真逆!になっている。Googleマップでは日曜営業、食べログでは連休以外の日曜休業。

でも、そんなことよりGoogleマップで検索したときの店の看板に「本家本元、歴史ある焼きカレー」と大々的にうたってあるところに興味を覚え、行ってみることにした。

しかし、店の前まで行ってみると準備中の札がかかっていた。食べログによると昼の部が9時00分から14時00分まで、夜の部が17時30分から20時00分までとある。どうせ、夜、出直すので、そのとき訪ねることにした。

すぐ近くには割安なコインパーク「タイムズ門司浜町」があることも確認した。平日110円/60分で最大料金440円、土日祝は11円/20分で最大料金660円だ。

軽食・喫茶ユキ? カタカナとひらがなはどっちが正しいのか???

上記の地図の②赤線に沿って、歩いた。

いで持つ美術館通とレトロ中央通りの交差点からはね橋「ブルーウィングもじ」を見ると、まだ開いたままだった。

交差点からはね橋「ブルーウィングもじ」を望む
同じ場所から望遠レンズで撮影

このはね橋は00分に上がったら、20分に降りる。20分間は通行止めだ。

バナナマンとバナナマン・ブラック

ガス灯通りを歩く。食事処や土産物屋が数軒連なっていて、その間にバナナマンとバナナマン・ブラックがかっこよくポーズを決めている。

振り返って、ガス灯通りを見渡す
遊覧船乗り場の横にじーもは立っている
国指定重要文化財「旧門司三井倶楽部」 

旧三井倶楽部は門司区谷町に大正10年に建てられていたこの建物の向こう側が門司港駅。

だったら、九州鉄道記念館から歩いた方が早かったんじゃないの、という突っ込みがありそうだが、喫茶ゆきを覗いてみたかったし… というか食べ放題の元撮り心境。ちょっとだけでも乗りたいものだ。

旧大阪商船

今は門司港デザインハウス(2020年8月31日閉店)となっている旧大阪商船の前を通って、グリーンシッピング株式会社ホームリンガ協会の建物の前を横切り、海に出る。

グリーンシッピング株式会社とホームリンガ協会の建物
海に出ると関門海橋が見える
そして、「ブルーウィングもじ」にたどり着く

このはね橋、たどり着いたときには渡れる状態に戻っていた。恋人の聖地、この橋を渡ると、その二人は幸せになるという話だが…。

信じたい気持ちは、よく分かる…。

はね橋から門司港第一船溜を挟んだ向こう側の飲食店・土産物屋を望む
旧門司税関
はね橋「ブルーウィングもじ」を渡り終えると、どうしても視界に入って気になる店

レトロな建物に控え目にモダンな飾り付けの「門司港地ビール工房」。どうしても視界に入って無視できなかった。

最終のトロッコ列車まで残り時間約15分。

迷っている時間はない、入り口のメニューでWEIZEN(ヴァイツェン)をオーダーすると心に決めて、入店。店員に時間がないことを告げると、快く対応していただいた。

ヴァイツェンは「小麦麦芽を60%使用した芳醇で優しい味わいのドイツスタイルのホワイトビール。バナナやグローブのようなフルーティーな香り、ホップの苦みが抑えられている為、苦みより麦芽の甘味が感じられます。」とのキャッチフレーズに魅了され、即決!

ヴァイツェンと店内の雰囲気
WEIZEN(ヴァイツェン)Alc 5.6% IBU 10 SRM 4 グラス(320㎖) ¥480

キャッチフレーズ通り、フルーティーなカクテルのような味で、何杯でも美味しくいただけそうな好みの味だった。

メニューにはビールに合うおつまみ、門司港名物焼きカレー、シェフのおすすめ料理、石窯焼きピッツァやパスタなど、時間が合ったらゆっくりと楽しみたい食べ物が満載。今度はゆっくりと時間を取って訪れたい…

最終電車まで、それほど時間がない。店を出ると、レトロな建築物が続く。パパッとシャッターを切りながら、出光美術館駅まで急いだ。

九文字税関を北側のレトロ中央通りから見る
北九州市大連友好記念館 門司港レトロ倶楽部
これが、出光美術館駅。飾りっ気が全くない

<後日談>

お気に入りの「門司港地ビール工房」、どうも移転するらしい

門司港レトロの雰囲気にマッチした建物の中で、味わったビール。また訪ねたいとウエブで検索すると…。移転?

<2020年12月18日に追記>

門司港地ビール工房は、レトロ地区でのレストラン営業を9月30日に終了し、12月3日から、JR小倉駅より徒歩5分の西鉄イン小倉そばに移転して営業を再開したそうだ。

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