小国・阿蘇・天草周遊[1日目]集会に備えて、ひとまず小国へ。杖立温泉で蒸し場、元湯、一丸食堂を楽しむ
ここ3週間ばかり、自宅内あるいは自宅近辺をうろうろするだけで、まったく旅に出ていなかった…。何かと平日にもぽつりぽつりと予定が入って、まとまった空き時間がとれないのだ。以前から漠然とだが、7月20日過ぎになったら、3週間ほどのぐるっと長旅に出掛けるつもりでいたのだが、その日程が近づくにつれ、やんごとなき予定が入り込んできて、出発を見送らざるを得ない状況が続いた。
やはり、昨年秋に父親が亡くなってしまった関係で、今年はお盆過ぎまではどうやらまとまった時間はとれない雰囲気なのだ。行けたとしてもふらり旅、それ以上の長旅はとても難しいようだ。
前回、小国にある S&Aシェアハウスを訪ねたとき、毎月1回のペースで、瀬の本にあるユースホステルでプロテスタント系キリスト教の家庭集会が開かれているという話を聞いた。家庭集会というのは、Webサイト「キリスト教用語辞典」にあるように、家庭を解放して、聖書を読んだり、讃美歌を歌ったり、ともに祈ったりする集会のこと。
ここでは、熊本市内にある教会から牧師先生が来られて、讃美と祈り、聖書輪読。そして、牧師の発題を受けてのディスカッションが行われているそうだ。その後は、いつも、ユースホステルオーナー夫人の手作りランチが振る舞われているらしい。
家庭集会にもユースホステルにも興味を覚えたので、日程を聞くと、次回は7月26日(火)だという。その時点では、このあたりの日程で長旅に出る可能性を秘めていたので、なんともいえなかったが、もしタイミングが合えば、参加したいと伝えていたのだった。
ぐるっと長旅に出掛けていたら、参加はできなかっただろう。しかし、ぐるっと長旅の方を先送りせざるを得ないことがらが次々と起こり始めたことから、こちらの家庭集会には参加できる可能性が高まっていった。
最終的には、その集会参加を名目に今日、ふらり旅に出発することになったわけだ。
2022年7月25日 (月)の行動履歴
小国町、太宰府市 <車移動> 114 km 3時間55分 <徒歩移動> 850 m 9分 実家 10:20 ↓ 車- 21.8 km 55 分 国道3号 経由 九州三菱自動車販売(株)筑紫野店 11:16~11:50 ↓ 車- 3.1 km 12 分 水城駅前通り 経由 自宅 12:02~15:08 ↓ 車- 350 m 3 分 上大利3338号線 経由 トレーラーの駐車場 15:11~15:39 ↓ 車- 5.0 km 25 分 県道76号 経由 株式会社プレジャーRV 16:05~16:37 ↓ 車- 10.9 km 27 分 県道76号 経由 道の駅 筑前みなみの里 17:04~17:28 ↓ 車- 6.3 km 13 分 県道597号 and 国道386号 経由 南国殖産㈱甘木給油所(ENEOS EneJet) 17:40~17:47 ↓ 車- 8.8 km 16 分 国道386号 経由 ダイレックス 朝倉店 18:03~18:20 ↓ 車- 44.7 km 1 時間 1 分 国道210号 and 国道212号 経由 杖立温泉共同駐車場 19:21~19:42 ↓ 徒歩- 400 m 4 分 杖立温泉元湯 19:46~20:07 ↓ 徒歩- 240 m 4 分 一丸食堂 20:11~20:44 ↓ 徒歩- 230 m 1 分 杖立温泉共同駐車場 20:45~20:56 ↓ 車- 12.9 km 22 分 国道212号 経由 S&Aのシェアハウス 21:18~23:59
実家
で、3日目の朝を迎えた。つまり、一昨日の土曜日から2泊したのだ。こんなことは珍しい。
いつもなら、日曜日の夜には大野城市の自宅に戻っているのだが、母が思い付きのようにいろいろと言ってくるので、やむを得ずもう一泊することにしたのだ。
母は、亡くなった父の初盆のことが気になって仕方が無いらしい。だけど、具体的に何をどう準備していいかは分からないらしい。とにかく身内にそばに居てほしいという。
ただし、相談相手はほしいのだが、いろいろと小言を言う相手は居てほしくないらしい。
私自身、新型コロナに纏わる諸問題を勉強しているうちに、ワクチンの不都合な真実も学んだし、自然治癒力を高めるには、ストレス、運動や睡眠のこともあるが、一番大切なのは食の見直しであることを知った。
加工食品に使われている食品添加物、遺伝子組み換え食品、農薬の問題。グルテン、植物油…。食に関わる諸問題を知れば知るほど、コンビニはまったく使えなくなるし、スーパーマーケットでも、購入できる食材はほんの少しになっていく。これほど日頃の食事の見直しに迫られる。白米や白砂糖のように精製穀物にも問題があるので、糖質は減らし、米も段階を踏んで玄米に替えていくつもりだ。
ところが、戦中戦後の食糧難時代に幼少期を過ごした母親は、雑穀の混じったご飯、いや、雑穀しか入っていないメシにうんざりとしていたのだろう。96歳になった今でも白米をこよなく愛していて、食の見直しには懐疑的だ。こちらとしては健康長寿でいて欲しいとの願いから、グルテンや揚げ物を避け、食品添加物が多量に含まれている加工食品や惣菜を避ける…。そして、日本人が昔から採っていた玄米や味噌汁、発酵食品を中心とした食事に戻すよう促している。
それに対して母親は、
「今更何を言っているの… 何年このやり方で生きてきたと思っているの?」
と反論してくる。口煩いと感じているようだ。その続きは決まってこうなる。
「こどもの頃、真っ白いご飯にどれだけ憧れたことか…。戦後しばらくして白米をお腹いっぱい食べられるようになったとき、どれだけ嬉しかったか…。あんたにはわからんやろう。なのに、あんたは、また麦ご飯を食べろと言いだした。この年になるまで白米を食べ続けて、何の問題も無かったのに…。」
「だから~~、麦ご飯じゃ無いよ!玄米だって!」
母は雑穀米と玄米の区別ができなくなっているようで、何度説明しても間違うし、記憶に残らない…。もしかして、これもAGEの影響だろうか…。
あれも駄目、これも駄目と、禁止ばかりするのは、ストレスが掛かって、返って健康に悪いという専門家の意見がある。しかし、よれよりも食の改善の方が重要だと思う。
母はときどき「いちいち、せからしい」と文句を言ったりもするが、結果的にはその方向性を受け入れてくれているようだ。いつも、玄米入りのご飯を自分で炊いている。
母には昨日のうちに、もう一泊するけど午前中には帰宅するから…と伝えておいたのだが、果たして覚えていただろうか。
朝食を食べた後の10時20分、帰宅の途についた。
↓ 車- 21.8 km 55 分 国道3号 経由
途中、
九州三菱自動車販売(株)筑紫野店
に立ち寄った。11時16分。もちろん、駆動用バッテリーに充電するためだ。店内で待ち時間を過ごしながら、パソコンを起動して前回訪れた平戸のブログ記事を綴る。
まぁ、なかなか筆は進まないのだが…。何もしないでボーッとするよりはマシだろう。毎回、店内で出してくれるホットコーヒーはありがたい。
そして、30分たった頃の切りのよいところでパソコンを閉じ、店を出た。11時50分出発。
↓ 車- 3.1 km 12 分 水城駅前通り 経由
自宅
に帰り着いたのは、12時02分。
出発準備を始める前に、母の心配事をひとつを解決しておこう。
今年は父の初盆だ。今までは何でも夫婦で話し合って、夫婦で解決してきたのだが、長年連れ添った相手がいなくなると、何事も相談できず、買い物にも不自由して、困ってしまうようだ。
心配事というのは、初盆のときに飾る盆提灯。今までなら必要なものは父と出掛けて、買ってきていたのだが、それすら出来なくなった…。
盆提灯の準備は私が引き受けたので、ネットで探してみる。
すると、割安な割に高評価の2個セットが見つかった。
大きさは、我が家にちょうどいい。ただ値段は安すぎて、不安が過る。何かあるのかも…。
疑えば切りが無いのだが、口コミもほぼ高評価。良さそうだ…。
思い切って購入することにした。
その後、昼ご飯にした。13時30分頃だった。
ご飯は玄米と白米を混ぜた米だが、カレーは業務スーパーの野菜ゴロゴロカレーライス。
味や分量、価格は申し分ないのだが、やはりレトルトパウチの加工食品。母親に健康的な食事を半ば強要している割には、自分には少々甘いのかもしれない…。
「甘い」とは、もちろんカレーの辛さのことでは無く、健康食に対する心構えのことだ。
原材料名欄を見る限り、余程危険な食品添加物は使われていないようだが、小麦が入っているし、原材料の産地も分からない。やはり、ときどき楽しむ程度にして、多用しないよう、心掛けなければならないだろう。
隣の皿は、胸肉をフライパンで焼いただけ。塩コショウで味付けしたものだ。
食後、着替えや食材を初めとする携行品を準備し、シャワーを浴びた。そして、家を出たのは、15時08分、いよいよふらり旅の始まりだ。
↓ 車- 350 m 3 分 上大利3338号線 経由
トレーラーの駐車場
には、15時11分に到着。
トレーラーを連結する前に車内を確認する。
ああそうだった。5日前、そう先週の木曜日の夕方、ふと思い立って、電子レンジを載せる棚を自作したのだった。出来上がったときには、周囲は真っ暗になっていたので、片付けもろくにせず帰宅していたのだった。角材の余りは、トレーラーに残ったままだったし、木ネジも散らかっていた。まず、それを片付けないと出発できない。
角材は、新築工事中の廃材置き場から譲り受けてきていたもの。木ネジも元々自宅にあった。なので、棚板だけナフコに買いに行けば、棚はできる。急に作る気になったのだ。
メジャーで測ると、必要な棚板のサイズは、610㎜×780㎜。スマホにメモして、近くのナフコへ。店内をぐるっと見渡しても、そのサイズを切り出せる一枚板は見当たらなかった。そこで、12㎜厚の幅30㎜×長さ910㎜のパイン集成材を2枚購入して、長さを783㎜のところで正確に切り落としてもらった。
それを、トレーラーに持ち帰って作業開始。まず、3本の角材に5㎝ごとにビス穴をドリルで開けた。次に、その角材を三方の壁に木ネジでしっかりと固定した。もちろん、左右の床からの高さが揃うようにし、水平も意識して取り付けた。そこまでできれば、あとは棚板を載せるだけだ。
棚板の座面からの高さは、シュラフに潜ったあしがすっぽり入るように、かつ、レンジの前に置いたモニタがテーブルの高さとほぼ一緒になるように調整した。
お陰で、すっきりしたし、座席をベッドとしても使用できる形に戻った。まあまあのいい出来だ。
ただ、掃除をしていなかったことが今日の出発を遅らせた。掃除機を持ってきていなかったので、
掃除が終わり、トレーラーをヘッド車に繋いで、出発したのは、15時39分。
↓ 車- 5.0 km 25 分 県道76号 経由
株式会社プレジャーRV
に到着したのは、16時05分。笠原店長にトレーラーの下回りの点検をお願いした。
今日はお互いに時間が無いので、ダベリングはそこそこにして、16時37分に店を出た。
↓ 車- 10.9 km 27 分 県道76号 経由
道の駅 筑前みなみの里
には、17時04分に到着。トイレ休憩のためだ。
コロナ対策で営業時間は17時までに変更されている関係だろうか、ほとんど人はおらず、閑散としている。
快適…。個室の中で今後の動きを検討しながら、ゆったりと過ごした。そして、17時28分に車に戻ってきて、出発した。
↓ 車- 6.3 km 13 分 県道597号 and 国道386号 経由
南国殖産㈱甘木給油所(ENEOS EneJet)
には、給油のために立ち寄った。17時40分着。エンプティサインが出ていたわけでは無いが、これから先に行くほど、ガソリン単価が上がっていく。とりあえず、今の段階で満タンにしておこう。
このスタンド、LINE登録をするとバーコードで給油単価が値引きされるシステムを採用している。昔のような会員カードを持ち歩く必要が無くなったのは嬉しい。
ただちょっとだけ…、このようなLINEを使ったシステムを導入しているスタンドが増えてきているので、LINE友達の中から訪れたスタンドのものを探し出すのに時間がかかったりする。
まあ、もちろん、メンバーカードが多数ある中から探し出すよりはまだマシだ。
給油をして、17時47分に出発した。
↓ 車- 8.8 km 16 分 国道386号 経由
ダイレックス 朝倉店
に到着したのは、18時03分。日田方面に行くときは、大概ここに立ち寄って、食材を購入する
S&Aシェアハウスのふたりにお土産は…。杖立温泉の蒸し料理でどうだろう…。
じゃあ、サツマイモと鶏の手羽元、それにたまご…でいいかな? あとは、ビールと…。
その他、適当に購入して、レジ袋に入れた。ああそうそう、レジ袋中と大がいつの間にか2円に値上げされていた。なんてこった!
たかが1円の値上げだが、2倍になっていると思うと、魅力が半減したように感じる…。
それはともかく、冷却用の氷が手に入るのは嬉しい。氷を袋に詰めて、トレーラーの冷蔵庫に入れた。18時20分出発。
↓ 車- 44.7 km 1 時間 1 分 国道210号 and 国道212号 経由
杖立温泉共同駐車場
に到着したのは、19時21分。周囲は薄暗くなりかけていた。
観光案内所の前の坂道を下りて、だいこんの湯の前を右に曲がるところで、湯かたば前の蒸し場に目をやった。煙突から湯気が出ている。
「よし、空いている。」
蒸し場の前にトレーラーをバックで着ける。
1つのざるにたまご10個を、もうひとつのざるに鶏の手羽元を1パック分並べ、ボールを下に添えた。
まずはたまごを蒸す。
蒸し場の説明板には、たまごは15分と表記されているが、そこまでしなくても十分にゆで卵になる。そう、十分までもしなくてよい。8分前後だ。
時間を確認し、セイロを蒸気口のセットする。
たまごを取り出し、次の手羽元をセットする。
今度は30分以上蒸す。時間があるので、この間を利用してひとっ風呂浴びることにした。
風呂セットを持って歩き出したのは、19時42分。
↓ 徒歩- 400 m 4 分
杖立温泉元湯
に着いたのは、19時46分。誰もおらず静まりかえっている。お湯は張ってある。
湯温を確認する。
「若干、熱い? 」
概して湯面だけ熱い場合があるので、桶でお湯をかき混ぜてみる。そして、水量を増やし、調整してみた。だからといって急激に温度が下がるわけでは無い。じっくり、ゆっくり変化する。
照明はないので、外灯りを頼りに動く。脱衣所も今は1~2人分のスペースしか無い。
サンダルは脱いで湯がかからない場所に置く。そして、服を脱ぎ、かけ湯をして湯船に浸かる。
今日は、長湯はしない。10分ほどで上がった。それでも、気持ちいい~~、良いお湯だった。
湯船から出て、熱る身体を何度もタオルでふきながら、クールダウン。
服を着て、20時07分に元湯を出た。
元湯の右側の階段を上がっていくと、紅葉橋の東側に出る。そのまま橋を渡らずに、さらに上に上がると共同湯薬師湯がある。その建物の上の部分が東林瑠璃堂だ。
そして、更に上ると、旧国道沿いの和風別館大自然の前に出る。
そこから南に向かって旧国道沿いに歩く。時折、建物の間から杖立川を見下ろせる場所がある。
↓ 徒歩- 240 m 4 分
一丸食堂
の前に辿り着いたのは、20時11分。お腹が空いたことだし、一度は訪ねてみたいと思っていた食堂だ。
「食事をしていこうかな。」
引き戸を開けながら、中を窺うと、誰もいない…。大きめの声で…。
「こんばんは~~、すみませ~~ん。」
と、声を掛けると、奥の方から、
「は~~い」
と返事が聞こえた。
「食事できますか?」
「できますよ~」
女将さんが、出てこられた。
「どこでも良いですか?」
「どうぞ…」
テーブル席に座って、メニューを見た。
ラーメン、ちゃんぽん、うどん、やきそば…。麺類が中心のようだ。そして、居酒屋メニューが若干と焼きめし類…。昭和の雰囲気を醸し出す店内…。
「定食類はありますか?」
と聞くと、
「それならば数軒先に店があります。」
と。
「ああ、それはこまつ食堂のことですか? そこなら何度か行ったことがありますので…。じゃあ、キムチラーメンください。」
「ところで、ここは、いつからされているんですか?」
と聞くと、カウンター内で、ラーメンの準備をしながら、何か言っておられるのだが、よく聞こえない…。カウンターに移動することにした。
改めて聞くと、この店の創業は明治45年だそうだ。ということは…。
「明治45年って、西暦でいうと何年ですかねぇ?」
女将さんは、明治45年は大正元年で…、大正は15年間…と、頭と指を使って考えておられたが…。
今はスマホで聞くと簡単に解決する。トップ画面のGoogle検索のマイクアイコンをタップして、
「明治45年」
と音声入力すると、瞬時に画面に、明治45年は1912年と表示される。
つまり、創業110年ってことだ。女将さんは3代目だそうだ。
喋っている間に、ラーメンが完成。豚骨スープにしてはさっぱりしている方。ドクドクはしていない。美味い。
ここは、19時に店を開ける。以前は24時まで開けていたこともあるが、今は22時頃閉める場合もあるそうだ。
食後も、杖立温泉の昔と今について、いろんな話をしながら、ゆっくりと過ごさせてもらった。
ただ、蒸し場で鶏を蒸していることを思い出したので、支払いを済ませた。
20時44分に店を出た。旧国道を歩いて、桜橋に出た。
桜橋から階段を下りて共同駐車場へ。
↓ 徒歩- 230 m 1 分
杖立温泉共同駐車場
に戻ってきたのは、20時45分。
蒸し場のセイロを開けると、手羽元はしっかりと蒸されていた。やり過ぎ感もあるが…。
とりあえずざるをボウルごとレジ袋に入れて、鶏の脂がこぼれないようにし、車の後部座席の足下に置いた。
車の中が、美味しそうな鶏の香りに包まれた。
さあ、出発しよう。共同駐車場を出たのは、20時56分。あとは一路、二人のいるシェアハウスに向かう。
↓ 車- 12.9 km 22 分 国道212号 経由
S&Aのシェアハウス
に到着したのは、21時18分。いつもならば、トレーラーだけを流展望所に駐めてから行くのだが、今日は遅くなったので、トレーラーを連結したまま住宅下の道路脇に駐めた。
そこから、50㍍ほど細い坂道を上がったところに、住居がある。
ここに泊まるときは、いつも空き部屋ひとつを使わせてくれる。以前は布団も敷いてくれていたのだが、申し訳ないので、シュラフを持っていくことにした。それに、着替えの袋やパソコンバッグなどを持ち込む。その上、今回は、杖立で蒸した鶏とたまごもあるので、坂道を2往復ほどした。
小国には平地が少ないので、山間部にある家は、道路から住居までが坂道になっていることが多い。
この家は、以前、空き家バンクに登録されていた物件のひとつ。私もこの二人が入居する前に下見に来たことがある。1年以上前のことだ。家は広くて、裏庭もある。建物としては魅力的だったが、アプローチのこの坂道がネックとなった。とてもトレーラーを牽引して上ることが難しいのだ。結局、ここへの入居を断念した。
その後、まさか、こういった形で、この物件に関わることになるなんて…。ほんと、人生はどうなるのか分からないし、不思議なことが起こる。
さて、荷物を運び込んだあとは、居間で、二人が用意してくれた遅めの夕ご飯というか、晩酌…。
こうやって、1日目の夜は更けていった…。