門司港で夜景を撮ろう![3日目]平尾台と香春町散策
夜更かしすると朝寝坊になってしまうのが、ほんともったいない。
10時頃、トレーラーから出て、三笠台まで歩いてみた。とはいっても駐車場から直線距離で100㍍程度の場所。ゆったり写真を撮りながら、獣道のような草の間の道を約20分程度歩いただけだから大したことはない。
一段高いところにある東屋からトレーラーを見るとこんな感じ…。そして、東屋の奥に平尾台一帯のハイキングコースを示した看板が設置されている。
良質の石灰岩が採れるのだろう。露天掘りが行われている。
三笠台から千貫岩駐車場へ降りてきたとき、東屋でお弁当を開いている年配のご夫婦がおられた。ときどき来られるそうだ。ハイキングが目的かと聞いてみると、そうではなく、自宅にバルサンを焚いている間、お弁当と鳥かごを持って、ここでしばらく過ごすのだそうだ。なるほど…
様々な形で平尾台は利用されている…。
昨夜も真夜中に、若者グループがこの駐車場に来て、はしゃいでいた。ここだったら周辺に民家がないので、遠慮無く、気遣うことなく、思いっきり喋って良いと思っているのだろう。昨夜の場合は、特に女の子の方が元気が良かった。そういう時代なんだろう…たぶん。
25時頃まで、喋っていたようだが、クルマが駐車場から出て行くと、一気に静かになった。まぁ、でもトイレがないので、いつまでもここにいることはできないだろうね。
さて、東屋の横の看板によると、この駐車場からの散策路は三笠台までの往復しか載っていないが、自然観察センターからだと見晴らし台から千仏鍾乳洞に行くルートや、平尾台山神社から茶ヶ床園地を通って目白鍾乳洞。あるいは広谷湿原から青龍窟に至るルートが記されている。
青龍窟に興味を覚えたが、間もなく昼になろうとしている。どうしたものか…
まずは平尾台自然観察センターに行って、平尾台の概要を掴もう!
平尾台自然観察センターの駐車場には11時ちょっと前に到着。トレーラーを繋いだまま、奥の駐車場のトイレの横あたりに駐めた。
そして、さっそく建物の入口に向かった。まず階段を上り、その2階玄関から入ったところに受付がある。
身障者用の入口は普段ならば1階の階段右にあるのだが、今はコロナの感染拡大防止のためとやらで閉鎖になっていた。車椅子等の方はクルマで関係者専用通用門から2階入口に向かい、そこから入ることになっているようだが、クルマは1階の駐車場に戻さなければならない。ということは車椅子の方がここにくるためにはクルマを移動してくれる介護者が必要だということになってしまう…。でも、そもそもなんで感染防止で1階入口が閉鎖なの? 私にとっては難解な問題だ。果たして、閉鎖する必要があるのか…。
しかもこの施設は、マスク着用と入館者名簿への記入を義務化しており、この3日間で一番厳しい入館条件を突きつけられた。
入館料は無料。開館時間は9:00~17:00で受付は16:30まで。休館日は毎週月曜(祝日なら火曜)と年末年始。
展示物はいろいろあるが、まずは1階から見た。
私以外の入館者は私よりも年長と思われる男性おひとりだけ。なので、ゆったりと展示物を見ることができた。
まず「平尾台の歴史」を見て圧倒される。
ここの歴史を振り返るとき、3億6300万年前の石炭紀から話が始まる。このときは赤道付近にあった珊瑚礁。それがベルム期の終わり、つまり2億4500万年前までの間に今の位置まで移動したというのだ。
それから、ざっと1億年前の白亜紀には、平尾台は大陸の一部で福岡県から山口県に至る巨大な湖になっていて、水の浸食を受けたりもした。その後5~6千万年前の第三紀に地殻変動で香春岳が大きく動き、約160万年前頃の第四紀に洞窟や地下川などのカルスト地形ができたそうだ。そして、8万年前の阿蘇山の大爆発による火砕流が英彦山を乗り越えて平尾台までやってきた…
つまり、自然に…、いや自然が…、じっくりと時間をかけて珊瑚の死骸を沈殿、堆積させ、圧迫したり、熱を加えたり、移動させたりして、平尾台で石灰岩が採れるようになったのだ。ほんとうに気の遠くなる長い年月をかけて…
でも、3億6500万年前に珊瑚礁が…とか、2億4500万年前に今の位置まで移動し…とか、言われてもなんとも実感が湧かない。
1年=1円として考えてみる? 人生は80円。え~、安っ。ミニストップのコーヒーが値下げされたらしいけど、その代金程度が人の一生の長さ。
江戸時代が終わって現代までが150円ぐらい。マックフライポテト全サイズ同一のキャンペーンを期間限定で行っているらしい。
聖徳太子が摂政になった西暦593年でも、今から1427年前。なので1430円ぐらい。アルバイト1時間半で稼げる程の金額…。秦の始皇帝が中国を統一したのも紀元前221年のことだから、2241円。バイト2時間ちょっと…。
この尺度で考えてみる。阿蘇山大爆発は8万円で、平尾台にカルスト地形ができたのは、1600万円。急に生活実感からかけ離れた数字に膨れ上がる。挙げ句の果てに、その原料となった珊瑚の死骸が堆積した頃を思えば、3億6300万円。
1年=1円で、換算しても結局は、実感できない数字だ。もちろん、年のままよりはなんとなく想像できる。
ところで、地球が誕生して46億年と言われているが、それを1年間に見立てたWebサイト「地球カレンダー」(2010/03/30更新)がある。ガス状の原始太陽系星雲の中で固体粒子が集まって無数の微惑星となり、それらが合体と衝突を繰り返しながら原始地球となるところを1月1日午前0時とし、現在を1年後の1月1日午前0時として作られたカレンダーだ。
現時点を今年の元旦として振り返るのならば、一年前の元旦の午前0時0分0秒に原始地球ができた。これでみると3億6300年前は、春も夏も秋も過ぎた12月3日頃。つい3週間ほど前のこととなる。現生人類(新人=ホモ・サピエンス)が誕生したのは12月31日の23時37分。たった23分前というところで初登場だ。キリストの降誕が23時59分46秒。20世紀が始まって終わるのは23時59分59秒内の出来事らしい。
尺度を地球誕生から今までと極端に拡大したから、平尾台の歴史も1ヵ月弱になってしまったが、その尺度で人間の歴史でも23分間。紀元後の2010年間がたったの14秒間である。
いかに人間の歴史や人生がはかなく一瞬の出来事なのか…と、思い知らされる。
このように石灰石は私たちの生活になくてはならないものになっている。それにしても歯磨き粉やビスケットにも使われているとは…。(石灰石鉱業協会の「石灰石Q&A」を調べたらパンや麺や練り物、発酵食品など様々な者に使われていた。単に無知だっただけだった!)
エレベーターで3階へ上り、周辺の風景を楽しんだ。
このプレートの絵と実際の風景を照らし合わせると…
さてさて、入館して90分ほどが経過した。トレーラーに戻って、昨日、買っておいた焼き魚弁当を食べて、空腹をおさえた。
今日は帰りに、キャンピングカーディーラー「株式会社プレジャーRV」に立ち寄り、清水ポンプの交換をお願いしているので、時間はそれほど残っていない。
今回はここまでにして、平尾台のハイキングやケイピングは次回のお楽しみということにした。
帰路につく
12時50分頃、平尾台自然観察センターの駐車場を出た。吹上げ峠休憩所前を通過し、国道322号線に出て「平尾台入口」交差点を左折した。そして、322号線をそのまま南下した。
私は2014年製の古いカーナビを使っているため、その誘導に任せて観音口交差点から旧道322へ移ってしまった。しかし後ほど、Googleマップで調べたら、新しい道が道の駅「香春」の真正面に繋がっているではないか。次回からはこのルートを利用することにしよう。
道の駅「香春」で小休止
13時30分頃到着。道の駅での基本的行動なパターンであるトイレ、スタンプ押印、物産館ぷらっとを済ませた。プレジャーRVにYさんに電話を入れた。すると、外出中なので15時過ぎに来て欲しいとのこと。ちょっとだけ時間ができた。
この道の駅には大型車の区画は13台分ある。しかし、私が来たとき、空き区画は1台分しかなかった。タイミングにもよるのだろうが、大型トラックの利用が多い道の駅のようだ。
私は後1~2分で出るつもりだったが、そのタイミングで入ってきた大型トレーラーは、大型車の区画をぐるっとひとまわりすると、そのまま出ていってしまった。タイミングがもう少し後だと駐められたのに…、少し気の毒な気持ちになった。
香春町役場へ
香春町役場に移動することにした。行き掛けに目撃した山からコンベアが繋がっている大きな工場が気になっていたからだ。
クルマを香春町役場の駐車場に駐めて、周辺を歩くことにした。
役場の駐車場から国道201号に向かって歩くと、右手に児童公園があり、その前に万葉集に収められていた香春にまつわる7首の歌とともに、その歌碑を巡るコースの案内板が立っている。
遠く奈良時代に思いを馳せながら、歩くのも一興!なのだが、片道3.5㎞。しかも、スタート地点とゴール地点がここからは遠い。返って、道の駅香春からの方がまわりやすい。うーむ、今日は無理だな。
国道201号線の役場入り口のところには2つの国道と川を渡る大きな歩道橋がある。
その歩道橋を渡りながら、香春岳や、そこから伸びるコンベアと工場を眺めることができる。その工場は、調べてみると旧日本セメント香春工場だということが判明した。
これも、結構歩きそうだな…
歩道橋から戻って、今度は役場の裏手に行ってみる。役場の裏には体育館やイベントホールなどのコミュニティ施設がある。そして、さらにその奥に香春駅がある。
駅舎には東宝映画1975年に公開された「青春の門・筑豊編」の横断幕が展示されていた。「ご自由にお取りください」と書いた陳列ケースには鍵がかかっていて、パンフを自由にもらうことはできなかった。
駅を出ると、九州オルレ「筑豊・香春」コースの案内板がある。
「オルレ」とは韓国の済州島の方言で「通りから家に通じる狭い路地」という意味。そこから派生して、トレッキングコースの総称として使われるようになった言葉だそうだ。
この九州オルレ「筑豊・香春コース」は、隣のJR採銅所駅をスタートし、矢山の丘から採銅所方面の風景を楽しんだり、鉄道写真の名所六十尺橋梁の横を歩き、「山王石」がある香春神社をまわって、ここ香春駅がゴールとなる所要時間4~5時間、約11.8㎞のコース。これも結構楽しそうだ。
それにしても、駅前には、今も鮮魚店や貴金属店、喫茶店などがある。香春駅にたくさんの乗降客がいた時代には、それらのお店も賑わっていたのだろう。今はひっそりと寂しい雰囲気が漂っている。
さて、ちょっとゆっくり歩きすぎてしまった。役場の駐車場を出たのは14時40分をまわっていた。
プレジャーRVには15時40分頃に着いた。清水ポンプを交換してもらい、ひとしきり喋った後、帰宅した。帰宅時間は18時30分頃にだった。
今回は時間の関係で、先送りにしたことがたくさんあったが、近いうちに訪れたいと思うような発見がたくさんあって楽しかった。北九州・筑豊方面は知れば知るほど魅力の詰まった場所だったのだと、気付かされる。