ふらり旅

野焼き支援ふらり旅第2弾[3日目]楢木野南牧野野焼き支援と白水の滝

いよいよ野焼き支援ふらり旅第2弾の1本目、通算では野焼き支援3度目の朝を迎えた。今日は、阿蘇市の楢木野南牧野での作業。どのような風景、どのような仲間と出会えるのか…。

2021年3月25日(木)の行動履歴

熊本県、朝倉市、大分県
<徒歩移動> 5.3 km 4時間29分 <車移動> 69.5 km 2時間12分
A.道の駅 波野 8:19
↓ 車- 6.0 km 9 分 国道57号 and 県道41号 経由
B.波野支所前ふれあい公園駐車場 8:28~9:04
↓ 車- 1.9 km 2 分
C.楢木野南牧野野焼き 9:06~9:33
↓ 徒歩- 2.8 km 2 時間 45 分 
楢木野南牧野野焼き 12:17~13:07
↓ 徒歩- 600 m 29 分
楢木野南牧野野焼き 13:36~13:39
↓ 車- 2.2 km 6 分 県道41号 経由
B.波野支所前ふれあい公園駐車場 13:45~13:49
↓ 車- 6.5 km 13 分 県道214号 経由
A.道の駅 波野 14:02~14:55
↓ 車- 26.4 km 33 分 国道57号 and 県道640号 経由
D.陽目の里名水茶屋駐車場 15:28~15:34
↓ 徒歩- 1.9 km 1 時間 15 分
陽目の里名水茶屋駐車場 16:48~16:56
↓ 車- 1.8 km 5 分
E.音無井路十二号円形分水 17:01~17:12
↓ 車- 7.8 km 20 分 奥豊後グリーンロード/県道695号 経由
F.白水溜池堰堤(白水ダム) 17:32~18:08
↓ 車- 16.9 km 44 分 県道640号 and 国道57号 経由
A.道の駅 波野 18:52

道の駅 波野

朝、外に出ると、大型トラックが1台だけ、中央付近にデーンと駐まっていた。区画の白線はほとんど消えてしまっているので、どう駐めても大丈夫。他のクルマに支障が出る心配がないほど、ガラガラなのだ。

私のトレーラーはというと、昨夜は暗くてよく見えなかったが、薄~く残っている白線跡とは90度の方向違いになっていた。まぁ、それでも全く問題は無いのだが、一応、アウトリガーを4箇所とも少しだけ上げて、手動で90度方向転換をし、またアウトリガーを接地させた。

さてと…、おちょやんが始まる前に、出発準備を整えておこう。作業服に着替えて、リュックの中に昼食の弁当と飲料水、それから消火用のペットボトルの水2㍑を入れる。作業服のポケットにはボランティア手帳とマスクとペン…。ちゃんと入っている。タオルと着替えは別の袋に詰めた。

あとは、クルマのトランクにヘルメットとゴーグル、革手袋、登山靴はある。これでバッチリだ。さすがに3度目ともなると準備も板に付いてくる…。そう思った瞬間…、すっと背筋が冷たくなった。

ゼッケンを自宅に忘れてきたことに気付いた。ガーン!どうしても何か1つは忘れてしまう。第1弾でかなり汚れたので、洗濯し、干していたじゃないか! ゼッケンだけ別の場所に置いていて意識が飛んでいた。

ゼッケンは牧野メンバーではなくボランティアであることを示す大切な目印だ。そう考えると、急にテンションが下がってしまった。

でも…、まぁ、なるようになるさ。

今日の集合は、阿蘇市波野支所付近の駐車場に9時00分(時間厳守)になっている。基本的には30分前到着が推奨されている。リーダーは前回の南小国吉原野焼きで、一緒に行動して頂いたベテランの Y.Tさんだ。早めに行って相談しよう。

道の駅波野から集合場所までは約6㎞。10分ほどで到着できる。であれば集合30分前を目指すなら、ここを8時20分に出れば良い。

8時19分、道の駅を出た。

↓ 車- 6.0 km 9 分 国道57号 and 県道41号 経由

集合場所になっている

波野支所前ふれあい公園

駐車場には、8時28分に到着できた。すでに10人程度のゼッケンを付けた人達が、それぞれのクルマのところで身支度を始めていたり、それも終えて集まって話をしていた。

ボランティアリーダーのY.Tさんは、参加者名簿を挟んだクリップボードを片手に到着した人を確認していた。まずは挨拶に行こう。

Y.Tさんに近づき、挨拶と先日の御礼を言ったあとに
「実は~、うっかりしてゼッケンを忘れたんですけど…。予備の物とかあればお借りできませんか?」
と聞いてみた。すると
「予備、あったかなぁ~。いや、ゼッケンいらんですよ。大丈夫、大丈夫。」
と、ほぼ即答。
「えっ、大丈夫ですか?」
「ええ、まぁ、分かりますから…。」
本当に良いわけではないが、他に方法がないし、不安がっているビギナーを安心させようとされたのだろう。経験を積んだリーダーは判断が早い。

最終的には、事務局からの物資の中に、他の参加者のために準備されていた貸し出し用のゼッケンがあったので事なきを得た。

間もなく、ボランティア参加者が集められて、今後の動きについての説明がなされた。今日は、まず牧野の方に各自で移動するのだが、移動車両を減らすためできるだけ相乗りにして、他のクルマはここに駐車したままにしておいてほしいということだった。

クルマを出してもいいという人が数人、手を挙げた。もちろん、私も出して良かったのだが、既に相乗りできる台数の申し出があったので、同じ班のIさんのクルマに同乗せてもらうことにした。

9時04分、牧野へ移動開始。先導者を見失わないように、前のクルマについて走った。

↓ 車- 1.9 km 2 分

楢木野南牧野

には9時06分に到着した。下のGoogleマップ航空写真でいうと①の場所だ。先導車が①の赤い枠の下の方で駐まったので、連なってきた他のクルマも赤い枠の中に次々に停車した。
「あれ?車道に停まったけど、クルマはどこに駐めるんでしょうね…??」
「う~ん、どうするんでしょうね~。分かりません。」
走行していると、先導車から人が降りてきて、それぞれのドライバーに一言二言言葉を掛けながら、こちらに歩いてきた。Iさんが窓を開けると、その人は
「ここに、このまま駐めておいてください。大丈夫ですから…。」
と…。

内心、え~~と、驚いた。私道なのだろうか、この道は!まぁ、私たちも活動が終わったら全員同時に移動するので、私たちには不都合はないけど…。この道を通る地元の人達もいるだろうに…、と。

しかし、地元の人達が言うのだから、大丈夫だということに間違いはないだろう。私たちも、クルマを降りて、それぞれ自分のリュックを背負った。

②の場所に、集まるよう指示があった。そして、牧野の代表者の挨拶とボランティアリーダーからの諸注意などが説明された。今回、昼食は必ずこの場所に戻ってから撮るので、作業中のリュックの中に、食料を入れておく必要はない。そして、給水タンクを積んだ軽トラが牧野内の野焼き中のところに移動してくるので、ボランティアメンバーは今回、予備の消火用水2㍑のペットボトルを持ち歩かなくて良いとのことだった。これで、リュックは大分軽くなる。

まぁ、必要なのは飲料水ぐらいのものだ。身に付けれてしまえば、リュックは自体は不要になる。

まだ、全体装備を載せた軽トラックの到着が遅れていたので、しばらく待機ということになった。私たちも、リュックの中身を、クルマに戻って整理するなど、しばしのんびりと過ごした。

牧野の方は一家族と手伝いの若い方数人だけのようだった。間もなく、ゼットシューターと火消し棒を載せた軽トラックが到着した。今回も、私はゼットシューター担当になった。給水して、背中に背負った。その上で火消し棒も持った。ゼットシューターを使うときには両手が必要なので、火消し棒は邪魔になるのだが、火消し棒は、燃やす範囲の調整や、ちょっとした火消しには有効だ。そして、何と言っても杖代わりにもなる。持っておいた方がいいのだ。

9時33分、活動開始。先ず、②から道路を③まで移動し、そこから牧野内のあぜ道を歩いて行く。登山道のようなものだ。一旦、④まで全員登った。ボランティアは輪地に沿って、一定間隔に広がる。輪地とは、草を刈ったり、土を掘り起こしたり、あるいは舗装するなどして、その外側に火が広がらないようにした防火帯のことだ。

曇り空で、太陽が顔を出していないので、今ひとつ枯れ草が渇いていない。風もほとんど吹いていなかった。

高台の④の位置から、牧野の火付け担当がノズルの長いガスバーナーを使って、枯れ草に火を付け始めた。着火は高い場所の風下側からが基本だ。しかし、今回はやはり炎に勢いがない。火を着けたところだけ黒くなって、その周囲にはなかなか燃え広がらず、牧野が牛柄のようになっては消えていく…。

もっと太陽光線を浴びて、カラカラに渇いていれば、着火したところから周囲に向かって、じわじわと、そして加速しつつ着実に燃え広がっていく。炎が強ければ、上昇気流によって風が起こるので、さらに炎が大きくなり、一帯を一気に燃え尽くすことさえある。

そんなときは、炎から5㍍以上離れていても、作業服を突き刺す熱を感じるし、顔をタオルやゴーグルで隠していても、部分的に肌が露出していると強烈な熱線を感じ、さらに炎から離れたり、後ろを向いて躱したりすることもある。

野焼き支援ボランティアの仕事は、本来、自分自身の安全を確保しながら、輪地を超えての延焼や飛び火を早期に発見して、食い止めること。つまり、火の動きの観察と消火が主な仕事なのだ。

ところが今回は、なかなか燃え広がらない炎に、じれったくて、じれったくて、どうしようもなく、吹き下ろす風が起こるよう念じたり、火付けが仮にもう一度やり直して欲しいと懇願したくなる衝動に駆られた。

挙げ句の果てには、本来の役割を忘れ、火消し棒を使って枯れ草を炎の上に押し倒したり、渇いた枯れ草を抜いては炎の上にくべたりと、炎の側を応援する行動に出てしまった。

それでも、炎は、大きくならずじまい…。炎にやる気が感じられなかった。最初だけ、オレンジ色の光を放ち、闘志を表すが、湿気た草という障害の壁が立ちはだかると、あっという間にその輝きを失い、ただ黒い斑点を残して消え去っていった。ただただ、黒い牛柄を残して…。

④地点から③地点まで降りて行くのに、相当時間がかかった。燃えないので歩いている時間より、止まっている時間が長かったためだ。

牛柄では納得はいかないが、これ以上は燃えないのだろう、そのまま③まで降りたら、今度は道路を⑤地点まで移動した。そこからまた牧野内の登山道のような道を上がっていく。⑥→⑦→⑧までが登山で、⑨→⑩は稜線を歩くようなものだった。⑩地点には水タンク積載の軽トラックが別ルートで登ってきていた。

今度は⑩地点から→⑨→⑧に火を着ける人と、→⑪に向かって火を着けていく2方向に分かれた。私は⑪方向に降りていく斑だった。大分時間が経って日差しも良くなっていたためか、こちら側は本来の火消し業務に戻った。

軽トラックの水タンクから直接給水する方式のコンプレッサー付き水噴射機がメインに働いたが、我々のジェットシューターと火消し棒も一緒になって、隣の森林に火が入らないよう活動した。そして、⑪地点では、道路までが急斜面の崖になっているので、道路と牧野の間にある燃えだした若木を上からジェットシューターで消火した。

こちら側は結構、綺麗に燃えた。⑪からは⑥→⑤を通って道路に降り、②に戻った。

↓ 徒歩- 2.8 km 2 時間 45 分

楢木野南牧野野焼き

12時17分だった。いよいよ昼食と休憩だ。Iさんのクルマに弁当と飲料水を取りに行き、道端の草の上に腰を掛けて、弁当を出した。水を張る前の田んぼを眺めながらの野外での食事は、懐かしい遠足気分を思い出す。食べながら、語らう楽しいひとときだ。まぁ、弁当自体は昨日、フレイン竹田店に滑り込んで購入した40%割引のノリ弁当だが、こういう環境で食べると、これもきっと誰かの愛情こもった手作り弁当に思えてくるから不思議なものだ。

Iさんは、熊本市在住のバイク乗り。阿蘇にはお世話になっているので…、というのが、野焼き支援ボランティアに参加した動機だそうだ。確かに阿蘇をツーリングするバイク乗りは数知れない。バイク乗りの聖地と呼んでも過言では無いだろう。

私は大野城市在住。今年の2月9日に講習会に参加し、今年度3回目の参加。3月8日に瀬の本レストハウスに来て、キャンピングトレーラーに宿泊、その翌日の3月9日に1回目の扇瀬の本、その2日後、3月11日に2回目の吉原で野焼き支援をして、大野城に帰宅。その2回で結構、ゼッケンがすすけたので、洗って干していたら、うっかり持ってくるのを忘れてしまった…。

そう話すと、Iさんは、
「ゼッケンは洗ってはいけない。洗いすぎると数字が段々と薄くなって読めなくなる。そもそも、ゼッケンは薄汚れていたほうが年季が入っていていい。」
という。まぁ、確かにそうかも。洗わずにゴーグルやヘルメットと一緒にクルマに積みっぱなしにしておけば、決して忘れることはない。納得!

キャンピングトレーラーだと、近くに前日入りできるので、当日はそれほど早起きする必要はないし、日程が合えば、数日間連続して参加することも可能だと、メリットも話した。

将来的には、田舎暮らしをしてみたい。土地だけクルマ2台以上駐められる広さがあれば、家自体は小さくても窯はないので、安いとこはないだろうか…と言うと、Iさんは、五木村は10年在住すると土地付きの家が貰えるのだと教えてくれた。

そんな村もあるのか…、凄いなぁ。でも、年金生活者でも良いのだろうか…。調べてみないと行けない…。
それより、阿蘇・九重の周辺でもバブルの時期にはあちこちに別荘地が開発されたのだが、今はほとんどが空き家になっているそうだ。それに、年に数回しか来ないのに、役場には下水道を完備しろとか、再三要求されて困っているという話も聞いた。自治体も人口減少や労働力不足による税収不振などがあるだろうから、どう施策を打っていくかの舵取りは困難を極めるだろう。

話は変わって、私の野焼き参加の切っ掛けは…。昨年の春、南阿蘇で田植えを終えてあぜ道で休憩中の男性と会話したことだった。私はそれまで、阿蘇の山肌が茶色になっているのは、熊本地震の傷跡だと思い込んでいたのだが、彼は、それだけではなく野焼きができたかどうかでも色が変わっていると教えてくれたのだ。

興味が沸いて、阿蘇の野焼きをネットで検索すると、グリーンストックの活動がヒット。秋になって、講習会参加の申し込みをしたという流れだ。

風景写真を撮るのが好きだというと、Iさんも、バイクに乗りつつ、結構写真も興味を持っておられるようだった。ライカだったか、フイルムカメラを使っていた話や、熊本空港の夕陽と離陸直後の飛行機を重ねた写真が撮れる時期と場所、宇城市の海岸で夕陽と干潟の風紋が取れる場所、江津湖のカワセミ…などスポットを幾つか教えてくれた。

熊本空港の夕陽は12月から2月の間だそうだ。狙えそうな日には、早くから立派な三脚と良いカメラを持った人達が大勢集まるのだそうだ。滑走路の延長に太陽が来る時期は限られているし、いくら条件が整っても、その瞬間に飛行機が離陸するかは神のみぞ知るといった感じか…。

こうやって、また、行くべき場所が増えていく…。

ところで、この昼食休憩は何時までだろう。あとの予定を聞いていなかったので、気になってきた。13時を回っても、集合の指示が出ない。

13時07分。ようやく②の場所に集められた。
今度は⑫地点の向こう側を焼くらしい。そこで、装備を持って、また最初と同じように、③から斜面を登って④まで上がる。そして、その裏にいくのだ。

↓ 徒歩- 600 m 29 分

上に上がってみると、太陽はずっと照りつけていたので、草は乾いている。しかし、風が強くなってきて、しかも向きが不安定になった。これだとどこから火を入れるべきか…。牧野の代表者は悩んだ挙げ句、苦渋の決断を下した。


牧野代表は
「上まで登ってきてもらって申し訳ありませんが、風向きが不安定なので、今、火を着けるのは危険です。なので、今日は一旦、ここで区切って、夕方に続きをやるかどうか判断します。やる場合は牧野だけでやりますので、皆さんはこれで終了となります。」
と言われた。

私は内心、どうせ27日までこの辺にいるつもりなので時間もあるし、ボランティアのいない少人数で野焼きをやるのもかえって大変になるのではないかと想像し、私は残って手伝っても良いのにな…、なんて思い巡らしていた。

しかし一方で、ボランティアはあくまでもチームワークで後方支援に徹するのが原則だし、永年野焼きに向き合ってきた方の判断だから…と逸る気持ちを思いとどまらせた。

牧野代表の思いを受けて、ボランティアリーダーが下山を指示。登ってきた道を降りることになった。

楢木野南牧野野焼き

13時36分に②地点に戻った。ジェットシューターと火消し棒を一箇所に集めて置き、その場に集まった。牧野代表の挨拶に続き、反省会が行われた。特に意見は出なかった。

牧野の方々からは、予定の作業が完了したわけでもないのに、おみやげを幾つもいただいて…、もちろん嬉しかったが、少々申し訳ない気持ちにもなった。
「今日はありがとうございました。ここは、5月には座っていても、袋にいっぱいになるほどゼンマイが出ますので、どうぞ採りに、また来てください。」と奥さんが言われていたのが心に残った。

借りたゼッケンを返却し、Iさんのクルマへ。

そして、13時39分。ボランティアはそれぞれのクルマに乗り込み、牧野の方々の見送りの中、波野支所前ふれあい公園の駐車場に戻った。

↓ 車- 2.2 km 6 分 県道41号 経由

波野支所前ふれあい公園駐車場

には、13時45分到着。こちらでは、集会はない。このまま流れ解散だ。同乗させて頂いたIさんに御礼を言って、クルマを降りた。

ヘルメットとゴーグルを外し、タオルとマスク、革手袋を外して、ラゲッジに放り込んだ。靴もスニーカーに履き替えた。装備の締め付けから解放される。解放感、爽快感、達成感…。

13時49分、駐車場を出た。

↓ 車- 6.5 km 13 分 県道214号 経由

道の駅 波野

に停泊中のトレーラーに14時02分に戻ってきた。作業着を脱いで、普段着に着替える。ベッドに寝ころんで、これからの行動を検討する。さあ、どうしようか。

風景写真を撮るのなら、少し急がないと…

14時55分、慌てるようにトレーラーを出た。

↓ 車- 26.4 km 33 分 国道57号 and 県道640号 経由

陽目の里名水茶屋駐車場

には、15時28分に到着。クルマを降りて、まずは駐車場の正面にある総合案内図をチェック…。

総合案内板

総合案内板は駐車場の西側にある。その後の建物が陽目ひなための里名水茶屋になっており、その前を通って、川沿いを西に進めば白水の滝がある。その前に飲み水を確保しよう…。

駐車場の北側にある水汲み場

とめど流れる天然水。ヘッド車のカップフォルダに置いている雪峰を持っていって、よく洗ってから水を汲み、味わってみる…。うーん、至って極自然な天然水だ。500㎖ペットのお茶を空にして、天然水に詰め直した。

駐車場から陽目の里名水茶屋の前を通って延びる遊歩道

陽が傾いてきているので、茶屋は後回しにして、とにかく白水の滝を目指す。

茶屋ノ前を通り過ぎて、その先の様子
お茶屋跡に付近にある生け簀
たくさんの魚が泳いでいた
この辺でも岩肌から水がしみ出し滝になっている。
こぶしの花

川沿いの道には、白い花をつけたこぶしの木が、青空に映えていた。

こっちは桜 ソメイヨシノ
この道路の左側に大谷川が流れている

陽目の里名水茶屋の駐車場から舗装道路を約500㍍進んだところが駐車場のような広場になっている。私は歩いていったので、今もそこまでクルマで進入できるのかどうかについては気に留めていなかったので、わからない。でも、その道すがら、右の崖には伏流水の染み出し口が多数あり、幾筋もの滝を形成している。時間と体力が許すならば、歩いて楽しむ方が良いだろう。

その先は階段と遊歩道が続いていく。その遊歩道を少し入ったところにも大きめの滝があり、初めはこれが白水の滝かと思ったくらいだ。実際には、これは母滝。ここから更に階段を上っていったところに白水の滝がある。遊歩道になってから白水の滝までは約300㍍。ほとんどが上り階段だ。

母滝
こちらが白水の滝
白水の滝までにも幾つもの滝がある
降りて行く途中に振り返って、もう一度、白水の滝をみる

遊歩道の元来た階段を、今度は降りていく。母滝の展望所から少し下ったところは、谷川を渡る橋になっている。その橋のところから、谷川に降りていくと、母滝を下から見上げられる場所があった。大きな石を伝って降りたり、谷川を飛び石で渡ったりと、多少の恐怖感を覚えつつ、慎重に慎重に進んだ。最後は、大きな岩の上に登って、三脚を据え、シャッターを切った。私が滝に近づけるのは、ここまでが限界だった。

母滝
ここの飛び石を渡った
遊歩道を降りきったところにある橋、手前が駐車場

ここから、名水茶山では約500㍍。名水茶屋はまだ開いているだろうか…。風景を楽しみつつ、少し急ぎ足で歩いた。

陽目の里名水茶屋

17時まで残り10分ぐらいの時間になっていたので、名水茶屋は既に店を閉めていた。

残念!名水珈琲をいただきたかったのに…。

↓ 徒歩- 1.9 km 1 時間 15 分

陽目の里名水茶屋駐車場

に戻ってきたのは16時48分。さてさて、もうトレーラーに戻る?それとももっとどこかに行ってみる?

駐車場にあった総合案内板の写真を見ると、音無井路十二号円形分水と白水ダムがお勧め周遊スポットの欄に載っている。レアな観光スポットかもしれない。比較的近くでもあるので、この2つを経由して、道の駅に戻ることにした。

16時56分にここを出発した。

↓ 車- 1.8 km 5 分

音無井路十二号円形分水

の駐車場には17時01分に到着。駐車場から道を隔てた反対側にこの円形分水がある。

この円形分水が作られたのは1934年(昭和9年)なのだが、そこに至る経緯が余りにも過酷で理不尽、それでも諦めない情熱と執念…。詳細はこの記事を参照しほしいが、江戸中期の1693年(元禄6年)、岡藩士須賀勘助は、藩財政を思い、宮砥みやど入田にゅうた嫗岳うばだけなどの南部地域一帯の水利開発を計画、難工事の末、九重野上西までの通水に成功。しかし、喜びもつかの間、その後の暴風雨で壊滅的な被害を受け、勘助はその責任を一身に背負って切腹したというのだ。

その後も、岡藩や在郷庄屋によって、幾度となく復旧計画が持ち上がるが、実施には至らずで、約200年が経過する。

1876年(明治9年)、入田の旧岡藩士井上藤蔵と宮砥の熊谷桃三郎は、非情な最期を遂げた勘助に感銘を受け、水路再建を決意。そして、周到な準備の後、1884年(明治17年)に着工。しかし、想定以上に工事は進まず、工費がかさんだ。ふたりは私財をなげうってまで続けたが、破産。藤蔵は入田を去らねばならなくなった。

それでも桃三郎は宮砥に留まって工事の再開に尽力。良き協力者も得られて、1892年(明治25年)にようやく12号分水の場所まで通水することができたというのだ。

とてつもない歳月と人々の努力と犠牲、連携プレイによってなされた灌漑用水路建設だったのだ。

しかし、このことが、今度は皮肉な結果を招く。円形分水の入口にある看板にはこうある。

伝説

頭首工から円形分水に至約2000mの暗渠あんきょに12箇所の窓(ズリ出しの跡)があることから、12号分水と言う。
円形分水のできるまでは、三線の幹線水路に導入される水の分配で、互いに反目し合い、組合員が騒動を起こし、連日のように水争いが繰り返された。このようなことから円形分水が施行され、適正な分配ができるようになった。
円形分水は知恵の結晶ともいえる。

円形分水の入口にある説明板の1部抜粋

1900年(昭和25年)、人々の知恵と努力でこの円形分水が完成。耕地面積に応じて平等に水量を配分できるようになり、水争いもなくなった。

この円形分水にまつわる歴史と営みは、説明板の締めに書かれていた言葉「水は農家の魂なり」を痛感させるエピソードがてんこ盛りだった。

音無井路十二号分水
遠景

17時12分、様々な思いを胸に、この場を離れた。つぎはナビに誘導されながら、白水溜池堰堤(白水ダム)に向かう。

↓ 車- 7.8 km 20 分 奥豊後グリーンロード/県道695号 経由

その途中に、珍しい風景があった。両側が岩の壁になっている道路だ。

もちろんその区間にクルマを駐めるスペースなんてない。切り通しが終わった先の路肩にクルマを駐めて、歩いて戻って、撮った写真が下。

両側を岩の壁で挟まれた土道路

白水溜池堰堤(白水ダム)

には、17時32分に到着した。ため池の浚渫しゅんせつ作業中だったことが関係しているのかどうかは不明だが、想像していた一面に広がる白い水流にはなっておいなかった。

この工事は、6月18日まで続く。

白水溜池堰堤(白水ダム)
説明板

白水溜池堰堤は、大分県竹田市の大野川上流にある重力式コンクリート造及び石造の堰堤で、1999年(平成11年)に明治以降の近代化遺産として国の重要文化財に指定された。1934年(昭和9年)からの4年半の歳月を掛けて施工された。説明板「農耕への熱い思いが実らせた白水溜池堰堤と水利施設一構」を読むと、ここでも人々が田畑を潤そうとする農耕への熱い思いが語られている。

宮砥地区万田迫より取水して、総延長15㎞の幹線水路を経て、緒方町内の受益地の田畑を潤している。この堰堤には水を安定して供給するための工夫と、水量が増したときの圧力分散の仕組みなどがふんだんに盛り込まれ、しかも美的センスにも溢れており、設計者と豊後石工の技術と英知の結晶になっている。

今度は堰堤一面に水が流れている様子をこの目で見るぞと思いつつ、18時08分、ここを後にした。

↓ 車- 16.9 km 44 分 県道640号 and 国道57号 経由

道の駅 波野

には、18時52分に帰ってきた。

さてさて、今日も一日よく働き、よく動いた。夕食は、出発直前に自宅で作っておいた白菜を初めとする野菜と豚の細切れ肉を合わせた鍋を持参していたので、それで済ますことにする。

ずっしりと重い多重構造鍋なので、トレーラーの壁と食器類を入れたコンテナボックスで挟んでおけば、倒れてこぼれたりする心配はない。

食事後は、パソコン開いて何かしらの作業をするのだが、こういった日はあっという間に気絶してしまう。悪あがきはせずに、さっさと寝てしまった方が良いのかもしれない。

夕食

ところで、今日、ゼッケンを忘れてしまった件だが、一緒に行動した先輩Iさんからは「ゼッケンは洗わないまま使い続けて、すすけた方が箔が付く。」と言われ、その時点では「なるほど。そうしよう」と100%受け入れていた。

だが、改めて考え直したら、どうせ作業着は洗うのだから、それと一緒に洗って保管しておけば、忘れないのではないか…。ということに気付いた。作業着と一緒にしていても、もし忘れるようなことになったら、それはボランティアに限らず、様々なことから引退を決意する時期かもしれない…。

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