小国・阿蘇・天草周遊[5日目]大江教会・崎津教会、天草ロザリオ館を回って白鶴浜海水浴場で一泳ぎ
天草に入って2日目。今日は2つのカトリック教会を中心に巡るのだが、思いも寄らぬレアな景勝地、あるいは第二のベースキャンプ候補地を探し出すことも念頭に置きながら、天草下島を回ることにする。
2022年7月29日(金)の行動履歴
熊本県、福岡県 <車移動> 35.7 km 2時間20分 <徒歩移動> 3.2 km 1時間8分 十三仏公園駐車場 8:53 ↓ 車- 140 m 1 分 仏像2体と碑文 8:54~8:58 ↓ 車- 100 m 1 分 十三仏堂 8:59~9:07 ↓ 車- 900 m 5 分 白鶴浜海水浴場 9:12~9:19 ↓ 車- 7.8 km 22 分 国道389号 経由 JAあまくさ 大江給油所 9:41~9:46 ↓ 車- 260 m 7 分 サンセットライン 経由 大江天主堂 9:53~10:33 ↓ 車- 300 m 2 分 サンセットライン 経由 天草ロザリオ館 10:35~12:12 ↓ 車- 3.6 km 12 分 国道389号 経由 道の駅 﨑津 12:25~13:15 ↓ 徒歩- 850 m 13 分 ごはん屋『凪』 13:27~14:07 ↓ 徒歩- 58 m 1 分 紋付屋旅館跡 14:09~14:11 ↓ 徒歩- 29 m 1 分 つどい処 まつだ 14:12~14:24 ↓ 徒歩- 75 m 1 分 カトリック﨑津教会 14:25~14:30 ↓ 徒歩- 170 m 4 分 﨑津諏訪神社 14:35~14:38 ↓ 徒歩- 750 m 10 分 道の駅 﨑津 14:49~14:54 ↓ 車- 4.6 km 19 分 国道389号 経由 お万が池駐車場 15:12~15:23 ↓ 車- 3.7 km 11 分 Uターン 15:33~15:35 ↓ 車- 1.4 km 6 分 北請稲荷神社駐車場 15:41~15:43 ↓ 徒歩- 300 m 9 分 北請稲荷神社 15:52~15:56 ↓ 徒歩- 300 m 5 分 北請稲荷神社駐車場 16:01~16:04 ↓ 車- 2.9 km 8 分 西平椿公園駐車場 16:12~16:16 ↓ 車- 2.2 km 4 分 Uターン 16:45~16:46 ↓ 車- 6.7 km 13 分 国道389号 経由 白鶴浜海水浴場 16:59~17:52 ↓ 車- 1.1 km 28 分 十三仏公園駐車場 18:20
十三仏公園駐車場
昨日の夜更かしが祟った。一度は目覚まし音で7時半に起きたものの、まさかの二度寝。次に目覚めたのは8時だった。う~ん、身体が重い…。そして、暑い…。
今日こそは、風呂に入りたい…。寝ころんだまま、日帰り入浴施設を検索する。
やすらぎの湯 と天草市総合交流施設 天然温泉 愛夢里(あむり)がヒット。しかし、やすらぎの湯は、ここから30㎞離れているし、愛夢里は20㎞程度だが、日帰り入浴ができるのか、できるなら入浴料はいくらなのか…。そういった情報が、公式サイトからは見つけ出せない…。
今日のコースが定まっていない以上、今の段階で電話で問い合わせるのもなぁ…。まあ、いいか。
トレーラーの窓を開け、天気を確認すると、今日もすばらしい青空が広がっていた。早速外着に着替えて、車外に出た。
クルマを出す前に、まずは公衆トイレへ。そして、ついでに展望台にも行ってみる。
鉄幹 天草の十三仏のやまに見る 海の入日とむらさきの波
与謝野夫妻歌碑より
晶子 天草の西高浜のしろき磯 江蘇省より秋風ぞふく
天草下島の西側には、夕陽の絶景スポットが幾つもある。
①下田の夕陽 夕陽が丘 ・ 鬼海ヶ浦
天草夕陽八景マップより
②十三仏公園の夕陽
③大ヶ瀬の夕陽
④マリア像の夕陽
⑤拝瀬・鳴瀬の夕陽
⑥魚貫・黒石の夕陽 魚貫海岸・黒石海岸
⑦遠見山公園の夕陽
⑧小森海岸の夕陽
8時53分になった。さあ、ヘッド車に乗りこみ、行動開始だ!
ヘッド車のリアハッチを開けて、電源ケーブルを収納する。そして、カメラその他の携行品をトレーラーからヘッド車に移す。忘れ物はないか?
まぁ、大丈夫だろう…。スタートボタンを押し、シフトレバーをDレンジに入れて、アクセルを踏む。駐車場を出て、進路を左にとった。
↓ 車- 140 m 1 分
出てすぐのところに
仏像2体と碑文
があった。8時54分着。
碑文は蘇鉄の葉で一部が隠れているため、読みにくいが、大筋こんな文面であろう。
献辞
碑文より
潮風かおる十三佛の丘陵に天草灘観光株式会社のご協力により、私たち天草住民が長年の悲願であった魚籃観音の像が建立されました。
私たち人類は遠い遙かなる昔から生命の始まりである海 此の大自然の恩恵に浴して今日まで育まれてまいりました。
そして 天草灘一帯の奇岩怪石波濤には私たち祖先漁師の汗と労苦が浸み込んでおります
私たちはこの萬物の母なる海に感謝し このすばらしい母なる海を後世に残さなければなりません
そして この大自然の大海原で不幸にして遭難されました物故者の霊を慰め 海で働く人々の安全を祈願すると共に 悠久の昔から私たち人類の犠牲となった無数の魚介類の霊を供養し 併せて今後我々の豊漁を祈念致します
昭和63年6月吉日 天草町漁協協同組合
ここでは写真を2~3枚撮っただけに留めて、先を急いだ。8時58分に出発。
↓ 車- 100 m 1 分
しかし、その後もすぐに
十三仏堂
が現れたので、立ち寄ることにした。8時59分だった。
ここは駐車スペースがあるので、クルマを停めて、しばし見学する。
続いて、隣の十三仏堂へ。
そして、ここからは白鶴浜が一望できる。
さあ、テンポ良く進もう。9時07分…、出発だ。
↓ 車- 900 m 5 分
白鶴浜海水浴場
に到着したのは、9時12分。浜沿いの道路では、ところどころに路肩を広くして、クルマを停車できるほどのスペースをつくるとともに、そこから浜へ入れるように出入口が設けられている。
とりあえず、先に進んで、時間があればまた戻ってこよう。童心に返って、海水浴を楽しみたいものだ。ひとっ風呂の代わりにもなりそうだ。
そう思いつつ…、9時19分にここを出た。
↓ 車- 7.8 km 22 分 国道389号 経由
そして、大江天主堂に行く前に給油しよう…。さっきから点灯しているエンプティサインが気になっていた。ということで
JAあまくさ 大江給油所
に立ち寄ったのは、9時41分。
店員さんにガソリン単価を尋ねると、リッター 172円だという。高い!しかも、決済は現金のみで、クレカすら使えない。
仕方がないので、3,000円分だけ給油することした。給油量は 17.44㍑だ。
そして、9時46分。
↓ 車- 260 m 7 分 サンセットライン 経由
少し戻って、天草ロザリオ館の先を右折。大きく蛇行してつつ、緩やかに登っていく坂道を登って行くと、丘の上にある
大江天主堂
に辿り着く。教会の道向かいにある駐車場に車を駐めたのは9時53分だった。この駐車場はバス停の手前に普通車2台、身障者用2台分があり、奥に8台分ほどある。
もちろん、ロザリオ館の駐車場に車を降りて、階段と歩道を歩いて上がることもできる。
大江天主堂は、フランス人宣教師のフレデリック・ルイ・ガルニエ神父が私財を投じて建てたロマネスク様式の天主堂。聖堂内に入ると、100人分ほどの会衆席があり、柱は白、壁や天井は明るいクリーム色を基本にしたパステル調の色でデザインされている。
会衆席の一番後ろにしばらくたたずんで、物思いにふけった。静かで落ち着くし、安らげる空間だ。
礼拝堂の後には、大江教会のパンフレットや絵はがき、はがき大の白い厚紙に印刷されている祈りのシートなどが販売されている。そのひとつである「運転者の祈り」シートは50円。これは、クルマで旅をする者にとっては打って付け。これに、100円の教会パンフを合わせて購入した。代金は料金箱に入れるシステムだ。
今度は外に出て、建物の周囲を歩く。
読みづらいので、転記しておこう。
ルルドの聖母
大江カトリック教会
1858年2月11日、フランスのルルドという村で14歳の少女ベルナデッタかマッサピエルの洞窟の近くで薪を拾っていた時、聖母マリアが出現されました。マリア様のごめいれいのままに地面を掘ると、そこに泉が湧き出でました。その後、その泉では数多くの奇跡が起こり、現在では世界中から巡礼者が絶えません。
聖母マリアに心を捧げ、お恵みを祈るために、ここにルルドの地形を模し、御出現の聖母マリアと聖ベルナデッタの像を安置し祈りの場としました。
殉教の時代においても、現代の信者にとっても、聖母マリアに対する信心は重大な役割を果たしています。 「神の御母、聖マリア、我らの為に祈り、神の御約束に我らをかなわしめたまえ」
天主堂の周囲を散策した後、正面から教会を眺め、車に乗りこんだ。10時33分、丘を降りて、この下にあるロザリオ館を訪ねてみよう…。
↓ 車- 300 m 2 分 サンセットライン 経由
天草ロザリオ館
の駐車場に車を止めたのが、10時35分。駐車場はゆったりしており、普通車区画21台分、大型区画4台分がある。駐車場からロザリオ館の建物越しに、大江天主堂が見える。玄関に向かい、入館料300円を支払って、館内に入った。
館内には、日本、特に九州西海岸におけるキリスト教宣教の歴史が詳しく説明されている。布教開始後、短期間で一気に教勢が拡大し、キリスト教は為政者から民衆に至るまで幅広く受け入れられ、人々の生活や文化に強い影響をもたらした。しかし、天草島原の乱を境にして、一転して禁教令が敷かれ、激しい迫害の弾圧の時代に入った。それでも、キリシタンは潜伏し、信仰の火を消えることはなかった。そして、明治に入って、鎖国が解かれると、またもや宣教師達が来日しだすと、潜伏キリシタン達の多くがカトリックに復帰した。そういった一連の事柄を、展示品を交えてパネルで詳しく解説されている。また、映像ホールでは、キリシタンの歴史や文化を分かりやすくまとめた動画が流されており、視聴することができる。
展示物は撮影禁止なので、その内容をブログにアップすることはできないが、公式サイトの「お知らせ」の資料解説コーナーに詳しい紹介がある。
内容が充実しているので、映像を視聴したあと、じっくりと解説文に目を通して、展示品を見ると、併設されている天草玩具資料館はざっとしか見ないとしても、ある程度の時間を要してしまう。ここには、ゆったりと時間をとって、訪れてもらいたい…、そんなお勧めの場所だ。
施設を出たのは12時12分。さあ、次は崎津教会へ向かおう。
↓ 車- 3.6 km 12 分 国道389号 経由
道の駅 﨑津
に到着したのは、12時25分。車を降りると、容赦なく夏の太陽光線が降り注ぐ。暑い…。
とりあえず、﨑津集落ガイダンスセンターの建物内に逃げ込んだ。そして、椅子に座り、流れているビデオ映像に目をやった。
13時15分、見始めたときの映像のシーンが現れたので、視聴はここまでにして、外に出た。ここからは歩いて、崎津教会の方へ向かう。
ガイダンスセンターの裏側にある駐車場が見える。
ここから約120㍍先の交差点を左折すれば崎津教会なのだが、腹拵えが先だ。
↓ 徒歩- 850 m 13 分
交差点を曲がらず、さらに90㍍先の狭い路地を左に入ると
ごはん屋『凪』
がある。13時27分に玄関前に着いた。ちょうど、食事を済ませたお客さん達が出てくるところだったので、店の前でちょっとだけ待った。路地は人ひとりが歩けるほどの狭さなので、4~5人の家族連れが出てききたら、すぐに混雑状態になる。
出てきた人が捌けた後に入店を促された。
玄関を上がると、普通の民家の和室。それを食堂として利用している店だった。
座卓が4つほど。もちろん、掘りごたつにはなっていない。座布団に足を崩して座り、メニューに目をやる。
全体に目を通し、エソのすり身揚げの乗った凪のカレーに決めた。
市販のルーを幾つかブレンドしたのだそうだが、それだけではない感じがした。ルーが黒く、コクのあるカレーだった。スパイスが程好く効いている。それにエソのすり身揚げも軽くサクッと揚がって旨味が閉じ込められている。カレーにもよくマッチしている。
美味かった。
14時07分に店を出た。路地を奥に行くと、家の裏手はすぐ海だ。
↓ 徒歩- 58 m 1 分
路地を出て、車道に戻ると、元来た道の右に石畳のやや狭い道が続いている。辛うじて車1台が走れる幅だ。そこを北向きに歩いた。両側に張りだしている民家の間を抜けると、右側に開けた公園のような場所があった。そこが
紋付屋旅館跡
だ。14時09分着。整備されてそれほど時間が経っていないのだろう。芝生も、石のタイルの道もまだ真新しい。そして、海側にはデッキがあり、海風を感じながら、崎津の入江の風景を楽しめるようになっている。
公園をフラット歩いて、隣の建物へ14時11分に向かった。
↓ 徒歩- 29 m 1 分
つどい処 まつだ
に公園側の出入口から入った。14時12分。
建物内部には、何本もの柱が建てられ、その間に絵などを展示できるようパネルが張られている。
パネルの写真に目を通し、映像も観て、14時24分に道路側の出入口から外に出た。
モダンな作りだ。この広い軒下は、雨宿りにも重宝されそうだ。
↓ 徒歩- 75 m 1 分
さて、石畳の突き当たりにあるのが
カトリック﨑津教会
だ。14時25分に門を通り、教会堂の正面に立った。
この教会堂が建てられたのは、1934年(昭和9年)。フランス人宣教師ハルブ司祭の希望で、かつて踏み絵が行われていた庄屋跡に建てられたそうだ。
天主堂の内部は、畳敷きになっている。
建築様式等の詳しい記述はWikipediaに記載されているので、参照してほしい。
観光客が次々に訪れるので、ここでは、短時間だけ佇んでから、外に出た。
天主堂前の池には、コイが数匹泳いでいる。
14時30分に門を出て、山手の方に向かう。
↓ 徒歩- 170 m 4 分
車道を越え、観光トイレの前まできた。正面の階段の上が
﨑津諏訪神社
だ。
観光トイレのところに設置されている説明板には、崎津神社のことを4ヵ国語(日・英・中・韓)にて以下のように記している。
崎津諏訪神社~Sakitsu Suwa Shrine~
天草市崎津・今富の文化的景観
崎津村の鎮守。「天草崩れ」の取り調べで提出された口述書「文化二年四月二日崎津村ヨリ差出候書付写」によると、「何方江参詣仕候而も矢張あんめんりゆす(アーメンデウス)と唱申候」とあり、神社へキリシタン信者が信仰の枠を超えて参詣していた「共生」を示す場所です。
また、鳥居の前を右に登る階段を上ると、広めにとられた休憩スペースがある。晴れた日なら、2~30人の団体でも、一緒に休むことができそうだ。もちろん、崎津諏訪神社への階段の途中にも繋がっているので、参拝の前後に利用できる。そして、そこにも説明板が立っていた。
天草の崎津集落④
世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の説明板より
「天草の崎津集落」は潜伏キリシタンが何を拝むことによって信仰を実践したのかを示す4つの集落のうちの一つである。禁教期の崎津集落の潜伏キリシタンは、大黒天や恵比寿神をキリスト教の唯一神であるデウスに、アワビの貝殻の内側の模様を聖母マリアにそれぞれ見立てるなど、漁村特有の生活や生業に根ざした身近なものをキリシタンの神心具として代用するということによって信仰を実践した。 解禁後はカトリックに復帰し、禁教期に祈りをささげた神社の隣接地に教会堂を建てたことにより、彼らの「潜伏」は終わりを迎えた。
参道に戻り、階段を上がると、拝殿に着く。
拝殿前に到着したのは、14時35分。
ガラスが反射して読みづらいが、美しい木目の板に達筆の毛筆で書き込まれている。
そして、拝殿の左側に続く小路を進むと、鳥居があって、その上に階段が延びている。
この上にはどんな風景があるのかと、興味をそそられた。でも、履き物はサンダル、時間もそれほどゆとりがない。良く見ると石段は約500段あるそうで、今回は勇気ある撤退をした。
14時38分に、元来た階段を下り始めた。
↓ 徒歩- 750 m 10 分
道の駅 﨑津
に戻ってきたのは、14時49分。
クルマに乗りこんで、小休止。ベースキャンプ方向で立ち寄る場所を検索した。自然豊かなレアスポット、あるいは、ベースキャンプにできそうな車中泊スポットを見つけたい…。
Googleマップの航空写真を見ていると、お万が池というところがあった。駐車場がある程度広く、周囲は森か畑しかない。公衆トイレもある。池の周りは遊歩道がある。400㍍も離れない場所に須賀無田海岸がある。良さそうだ。ぜひ下見しておこう。
14時54分に、スタートボタンを押した。
↓ 車- 4.6 km 19 分 国道389号 経由
お万が池駐車場
駐車場のクルマを駐める部分は芝生になっている。
トイレの奥には大型区画がある。ここだったらトレーラーを繋いだまま駐車できる。それと、普通車区画の奥の方にも縦に2台駐められる区画があるので、そちらも利用できそうだ。
車中泊スポットとして十分利用できそうだ。今回はその確認のために訪れた。時間があれば、お万ヶ池の遊歩道や須賀無田海岸もチェックすべきなのだが、次回のお楽しみとする。
では、次に北請稲荷神社と西平椿公園に行ってみるか…。
15時23分、出発。
↓ 車- 3.7 km 11 分
お万が池から北請稲荷神社の駐車場をGoogleマップのナビ機能を使えば、右のようになってしまう。
これは、Googleマップが、駐車場入口(航空写真の黄色スターマークを入れている場所)から駐車場までの道をデータ化しておらず、マップ上で道だと認識されていないためだと思われる。
それに気が付かないまま、運転に集中していたので、入口を通り過ぎてしまった。
先で
Uターン
したのは15時34分。今度は周囲を慎重に見ながら戻ってみると…。あるじゃないか!北請稲荷神社入口の標識が…。
↓ 車- 1.4 km 6 分
北請稲荷神社駐車場
に到着したのは、15時41分。駐車場はGoogleマップ航空写真で確認すると分かるように普通車が8台程度駐められる。
駐車場の一番奥のところに鳥居が立っており、そこから海側に参道が続いている。
↓ 徒歩- 300 m 9 分
北請稲荷神社
の鳥居をくぐって、石段を下ると、社殿の前に出た。15時52分。誰もおらず、森の中にポツンと佇む、静かな場所だった。
↓ 徒歩- 300 m 5 分
16時01分に
北請稲荷神社駐車場
に戻ると、すぐに乗りこんだ。もうちょっと、北に向かってみよう。もっとレアで美しい夕陽スポットはないものだろうか…。
微かな可能性に期待しながら、スタートボタンを押した。クルマを出したのは、16時04分だった。
↓ 車- 2.9 km 8 分
西平椿公園駐車場
に到着したのは、16時12分。クルマを降りて歩いてみると、なんとなく見たことのある風景…。この公園は数年前に立ち寄ったことがあったようだ。すっかり忘れてしまっていた。
たぶん、時間が無い中短時間立ち寄って、展望台に行ったぐらいで次に移動したのだろう。だから、記憶に残っていないのだ…。
駐車場の脇にある案内版に目を通すと、ここは、日本の椿が119品種、世界の椿が22品種、合計141品種に「ヤブツバキ」を加えて、約2万本の椿が観賞できるようになっているそうだ。しかも、広大な敷地を縫うように遊歩道が張り巡らされ、様々なスポットが用意されている。
現在地から西側の遊歩道を下っていくと展望台への分岐点があり、さらに下ると、巨岩に根を張るアコウの木がある。さらにその先に下っていくと、東屋や希望の鐘がある。いずれからも東シナ海にある岩礁群である、大ヶ瀬、小ヶ瀬が一望できる。
では、巨岩を包むあこうの木を見に行こう。遊歩道に戻り、下っていく。
「お~~、凄い!びっしりと生えた木の根が岩をしっかりと掴んでいる。たくましい! この巨木は高さ20m、幹回り6.1m、樹齢は不明だが100年以上ある模様。それにしても、ここから150mとは、いったい何のこと?あこうの木はすぐ目の前にあるのに…。」
看板を良く見ると、あこうの木までではなく、下の東屋までということらしい。看板に「あこうの木はそこに!↑」と手書きの文字が落書きされている。
勘違いしたのは私だけではなかったのだ。
ここからさらに下に下ると、希望の岬があって、希望の鐘があるようだが、今日はここまでにしておこう。
この辺一帯の海は1970年(昭和45年)に、海中公園に指定されている。美しい珊瑚や熱帯魚・かいそう等の海中景観を保護するためだそうだ。どうりで、暑いはずだ。もうこのあたりは、南国なのだ。
途端に喉の渇きを覚えたので、先ほど目に入っていた水飲み場に行ってみた。しかし、残念ながら、コックをひねっても、水が出ることはなかった。どうやら元栓を締められているようだ。
この暑い盛りに、節水のためなのか?
説明板には、ヤブツバキのことがかいてある。
天草市指定文化財
ヤブツバキについての説明板より
ヤブツバキ
ヤブツバキは日本の温暖な土地に自生し、古くから日本人に親しまれてきた樹木です。また、これらを原種として、近世頃から観賞用として盛んに品種改良も行われてきました。ここ西平のヤブツバキは、観賞用というよりも人々の生活と深く関わって群生地が形成されたようです。ヤブツバキの実は多量に油分を含んでおり、上質の油を取ることができます。主に整髪料として使用され、生活に役立てられてきました。そのため、人々は昔からこのヤブツバキを伐ることなく大切に守り続け、その結果として熊本県下でも有数の群生地ができたと考えられます。
平成22年3月 天草市教育委員会
今日も一日、炎天下を歩き回って、汗だくだく…。16時16分になった。白鶴浜に行って汗を流そう!
↓ 車- 2.2 km 4 分
不覚にも道を間違え、
Uターン
した。16時45分。
↓ 車- 6.7 km 13 分 国道389号 経由
白鶴浜海水浴場
に到着したのは、16時59分。ここには、広い無料駐車場がある。
クルマの影で水着に着替える。トレーラーを引いてきていたら、こそこそする必要は無いのだが、今回はヘッド車だけで来てしまったので、運転席のドアと後部座席のドアを開けて、2つのドアの間でササッと着替えた。
透明度が高いし、水温も熱くもなく寒くもなくて気持ちがいい。代わりに30分ほど泳いだり浸かったりして過ごした。おかげで、さっぱり、すっきりできた。
クルマに戻り、短パンとTシャツに着替えた。シャワーも含めて、施設はまったく利用しなかった。そして、17時52分、ベースキャンプに向けて、クルマを出した。
↓ 車- 1.1 km 28 分
十三仏公園駐車場
に着いたのは、18時20分。
トレーラーに電源ケーブルを繋ぎ、しばらく休憩。べたつきを抑えるために、真水で身体を拭いた。これだけで、さっぱりできる。夏なら風呂がなくても、これで十分だ。
さあ、今日の夕陽はどのような表情を見せてくれるのだろうか。パソコンで夕陽スポットをちょっとだけ探しては見たものの、一日動き回った身体の方が「もうここでいいじゃないか」と訴えている。
「そうだな。今日はここで眺めよう。」
日没時間に併せて、展望所に向かった。
「さあ、始まるぞ!」
空に浮かぶ筋雲が、夕焼けの変化にアクセントを付けてくれている。昨日は赤が強かったが、今日はオレンジ色が主役だ。
「沈んだ…。」
画像に示した時間は、あくまでも画像ファイルの作成日時であり、すなわちデジタル一眼レフカメラOM-D E-M5 markⅡの内蔵時計の時刻なので、多少の誤差はある。
日の入り後も、空の色は刻々と変化していく…。とくに、雲の色が橙色から薄紫が混じってきて、なんともいえない美しさだ。
そして、駐車場の方向に目をやると、南の空に薄く、虹が掛かっていた。ブラボー!!!
トレーラーに戻って、パソコンを立ち上げる。記録を取ったり、写真を整理したり…。
腹が減ったら、夕食だ。玄米ご飯に鶏肉ともやしの炒め物。
今日は良く動いたので、眠りに落ちるのは早かった。23時になる前には意識を失ってしまったようだ。