宮原線廃線跡を歩く[2日目①]肥後小国駅跡から北里駅跡まで遊歩道を歩く
道の駅小国は、かつて国鉄宮原線の終着駅「肥後小国駅」の跡地に建っている。
ここから国道387号線を北東方向に歩くと、県道187号線と交わるが、その先、国道は大きく右にカーブする。そこを国鉄宮原線跡はまっすぐに北東方向にのびいている。
実は最初、ここが宮原線跡の入り口だとは気づかなかった。あまりに坂が急だったため、鉄道跡らしくないと選択肢から除外してしまったのだ。
だからといって、国道沿いに右カーブを進んでいっても、鉄道跡らしき遊歩道入口が無い。改めてGoogleマップを確認すると、鉄道跡は確かに交差点からまっすぐ北東方向に延びている。おかしいなぁ。
気を取り直して、交差点に戻ってみると「国鉄宮原線跡入口」の立て札があるではないか! 見落としていた。
道幅がクルマ1台分の坂道、これを上がっていくと、かつて単線の鉄道が走っていたことを納得させるような風景になる。すぐに舗装がなくなり、背丈の短い草に覆われた道になった。
これは想像だが、入口の坂が不自然に急なのは、国道386号を通すときに緩やかな坂を削ったからだろう。
やがて、民家も見えなくなり、森の中を遊歩道だけが延びている。この遊歩道には急カーブも急なアップダウンもない。まさに鉄道跡だ。
整備された遊歩道だと想定していたのだが、廃線跡の遊歩道すら廃止されてしまったのかと思うほど、驚くほどに道は荒れ、自然に戻ろうとしている。
草は朝露で濡れているので、ズボンの裾も、靴のも泥や草の種で汚れてしまった。トレッキング用のレインウエアやシューズが必要だ。
小川というか、溝というか、道の左側を綺麗な水が流れている。その水が、ところどことで道に染み出ていて、ぬかるみになっており、注意しないと足を取られる。
照明スイッチを押すと蛍光灯が点く。出口で必ず消灯するように注意書きがある。忘れないようにしなければ…
トンネル内では、いたるところで天井から水が染み出ていて、足下にも水たまりができている。
さすがにトンネル内には草がまったく生えていない。光合成ができない場所では植物は生きていけないのだ。
トンネルを抜けると、さらに遊歩道が続いている。以前は道にウッドチップを敷いてあったような痕跡があるが、今ではほとんど土に戻っている。
ところどころに道をふさぐように蜘蛛が巣を張っている。気付かずに顔から突っ込むこともあるので、三脚を目の前に振り回しながら先に進んだ。
幸野川橋梁の手前の土手には柵がないので、滑落しないよう注意が必要だ。
8時30分になった。歩き始めて80分が経過した。さらに先に進む。
わだちがある。軽トラか何かが乗り入れているのか? 一面に草が生えているところでは、蛇がでないかとビクビクしていたが、わだちがあると少し安心。
右側に鉄道標識のような物があるが、文字が読み取れない。
イノシシが出るんだな。雰囲気から察しはしていたのだが、やはりそうだったか…。
8時52分。県道318号線と交差したので、一旦、県道に降りてみた。なんとなくホッとする。すでに、靴もズボンもぐちゃぐちゃ。
2つ目のトンネル、北里トンネルだ。照明スイッチを押しても灯りは点かなかった。中は真っ暗。でも、戻るわけにはいかない。せめて水たまりだけは避けたいので、スマホの灯りで足下を照らして慎重に進んでいく…。 今回は、照明消し忘れを心配する必要は全くない。
北里トンネルを抜けると、さらに道は荒れていた。
でも、間もなく視界が開け、北里の集落が目に入る。
9時26分。ようやく、北里柴三郎記念館の上の車道に出てきた。
ちょうどここで車道から左斜めに入る道が始まるが、これが宮原線跡の遊歩道だろう。そう思って進んでいくと、想定通りだ。北里橋梁を渡って、北里駅跡に出た。
9時40分に北里駅跡に建つ直売所「北里森のキオスク」に到着。
女将さんがお一人で店番をされていた。店内をぐるっとひとまわりしたあと、声をかけた。
「道の駅小国から宮原線跡の遊歩道を歩いて来たんですけど、かなり荒れてますね。地元の人達はここを歩いたりしないのですか?」
「あ~、地元の人達は歩きませんね。それに、今はコロナで観光で来る人もおらんからね。」
「草でズボンも靴も汚れました。」
「朝露が降りてるからね。」
普段、街で生活していると、朝露でズボンを濡らすことすら、意識が薄れて、対策を忘れてしまう…。というか、ここまで荒れているという想定ではなかったから…。
「2つ目のトンネルの照明スイッチが壊れていたらしく、電気が点かなかったんですよ。」
「あら~、地元の人は滅多に歩かんから気付かんよね~。役場に連絡しとこうかねぇ。」
女将さんも学生時代には、宮原線を使って小国まで通っていたそうだ。そして、2番目のお子さんが生まれたときに、廃線になったと…。
宮原線は1937年(昭和12年)6月27日に恵良~宝泉寺間の7.3kmが開業し、町田駅と宝泉寺駅が新設された。戦中、戦後の一時期「不要不急路線」として運行を休止された期間もあったが、1954年(昭和29年)3月15日に小国までの19.3kmが延伸開業し、麻生鶴駅、北里駅、肥後小国駅が新設された。
最近になって、「不要不急の…」という言葉が用いられているが、ほんとうに嫌な気持ちになる言葉だ。
少し話が逸れたが、元に戻すと…、それから30年間、宮原線を列車が走り続け、 1984年(昭和59年)12月1日に宮原線全線26.6kmが廃止された。
ということは、女将さんの2番目のお子さんは36歳前後…。なんのこっちゃ…。
薪ストーブの後のソファーに座って、火照った身体をクールダウンしようとアイスを食べた。少なくとも6㎞ぐらいは歩いてきたと思っていたのだが、宮原線の肥後小国駅と北里駅の間の営業距離はたったの4.1km。愕然とした。
地元産の食材には、興味があったが、荷物が増えると困るので、買い物は後回しにして、店を出た。
左は招き猫?、右はくまモン。大分くたびれてきてるね。
行きがけは旧国鉄宮原線遊歩道、つまり下の地図①と②の赤い線を歩いた。センナ途切れているところはトンネル。マップ①は道の駅小国(旧国鉄宮原線肥後小国駅)から幸野川橋梁まで。②は幸野川橋梁から北里森のキオスク(旧国鉄宮原線北里駅)までを示している。
うろうろしたり、蛇やイノシシなどに気を張っていたせいか、意外に疲れた。帰りはバスに乗りたいなぁ。
おかみさんの話では、森のキオスク前にはバスは通っていないそうだ。誰かがいたらサッと送ってあげるのにねぇ、と言いながら、利用しないのでわからないがとの前置きをして、旧道沿いには走っているのではないかということだった。私の推測もまったく同意見だった。奴留湯温泉に行けばバス停があるのではないか…。
なので、調べもせず、そのまま行ってみることにした。どうせ、バスの本数は少ないだろうから、待ち時間は長くなるに決まっている。その間にひとっ風呂浴びよう!という作戦を立てた。
店を出て、上のマップ②の黄色の線で共同浴場奴留湯温泉を目指した。
須永博士美術館の裏道(ようなところ)を下り、北里川を渡ってT字を右折。この辺にバス停がありそうだ。注意深く探しながら歩いた。
子育て支援施設や保育園、郵便局など公共性の高い建物が続いているのに、バス停がない…。
洗い場で手とズボンの裾を洗わせてもらった。しかし、バス停は発見できない。
奴留湯温泉に着いた。でも、バス停は見当たらない。
温泉を通り越し、先まで歩いてみた。しかし、バス停らしきものはない…。おかしいなぁ。
引き返して、今度はマップ②の綠の道に沿って歩き出す。
奴留湯温泉の横で住宅解体の作業をされていた方に聞いてみた。
「バス停がどこにあるかご存じないですか?」
「バス停? いや~、わかりませんねぇ~。おい、知ってるか?」
相棒の方にも聞いてくれたが、わからない様子。
「あれ違いますかねぇ」
相棒の人が遠くにある丸い標識のようなものを指さした。
「あ、なんかありますねぇ~。行ってみます。ありがとうございました。」
50㍍先にバス停のような物があったが、それは小国小学校スクールバス乗り場「奴留湯・湯本」バス停だった。
そのまま、もう一度、郵便局方面へ進んだのだが、今度は、畑仕事をしている高齢のおばあさんに出会った。
「すみません、この辺にバス停はありませんかぁ?」
「あ~、バスは通らなくなったんですよ。不便になりました。300円の乗合タクシーがあるんですけどね。病院に行くときはそれを使ってるけど、前日までに何時にどこに行くか予約しておかないといけないんですよ。」
そうなんだぁ、バスは廃止されたのか…。この瞬間に、覚悟が決まった。
「そうなんですねぇ~、ありがとうございました。」
お礼を言って、また逆戻り。下の写真の一番奥にある林の手前の左側、そこがおばあさんが畑仕事をされていた場所だ。そこから、Uターンして、ここまで戻り、このT字路で右に曲がり南下する。
それにしても不思議だった。ぐるぐると歩き回らなくても、Googleマップのストリートビューや九州産交バスのサイトにアクセスすれば情報は一発で得られたのに…。身体が疲れていると、頭も働かなくなって、さらに疲れる結果になることもあるんだと…。
でも、解体作業中の二人連れや、畑仕事中のおばあちゃんと直接会話を交わすのは、情報だけでなく、それ以外にも得られる物があって得した気分になる。地域の人達の生活振りや、相手を思いやる気持ちなどが伝わっている。これが、旅の醍醐味のひとつだ。
といいながら今度は、Googleマップで道の駅小国を検索し、徒歩ルートを割り出した。それが、マップ②→①の綠の道なのだが、見づらいので下に改めてマップを貼り付ける。
Googleマップは、ルートの前半を国道とは違う道で提案してきた。私はそれを受け容れ、その道を歩いた。
さすがに小国町は小国杉の産地だけあって、素人目で見ても手入れが行き届いていることがわかる。
国道386号線に出てからは、日陰がないことと横をクルマが通り過ぎるので、気分的にも疲れが増してくる。
Googleはそのまま、最後まで国道386号線を進むよう、ナビしてくるが、私としては細い道、何かありそうな道を歩きたい。国道442号線の分岐点手前から小国両神社を通るルートに変更した。
正一位稲荷大明神の鳥居がある。いつもだったらどんなところか、登ってみるのに、今回は足が棒のようになっていて余力が無い。次回、機会があればと、通り過ぎた。
このトトロは杉の葉で作られたアート作品だそうだ。そういえば、北里駅の前にもアート作品があったが、あれも杉の葉アートだったろうか?
トトロの向かいには杉の巨木がそびえていた。
ここで、カメラはまさかの電池切れ。写真が撮れなくなってしまった。
小国町役場を通って、杖立川の橋を渡り、道の駅小国に戻ってきた。クランクしている人道橋が架かっていた。
一枚分だけ電池回復。パチリ…
トレーラーに戻って、カメラバッテリーと自分の身体に充電した。