ぐるっと長旅

魚津市でMagicショー開催?じゃぁ行こう!富山と長野を巡る旅[2日目①]三木金物と丹波篠山城址

22時40分に道の駅「ソレーネ湘南」を出た。夜を徹して走る。

約1時間40分後、68km地点にある出光(株)西日本宇佐美山陽支店2号大野SSで給油。0時20分から10分間ほどの小休止した。

それから68km、1時間30分走って、深夜の2時にセブンイレブン東広島光永店にクルマを駐めた。睡魔に襲われたためやむを得ずの停車だ。約30分仮眠した。

道の駅「笠岡ベイファーム」に到着

そして約2時間、91km走って、4時30分に道の駅「笠岡ベイファーム」(岡山県笠岡市)に到着。時間が時間だっただけに周囲はは真っ暗で何も見えなかった。

しかし、昼間だったら一面の菜の花とポピーが迎えてくれたはず。夏はひまわりになり、秋はコスモスが咲き誇るそうだ。直売所では、基本的に地域の漁師が出漁できない日を除く毎朝10時に名物イベント「魚の詰め放題」が開催される。バイキングレストランやカフェもあるらしい。今度は昼間に訪れてみたい。

ここでも30分の休憩時間をとり仮眠した。

3時間40分後の8時40分頃、笠岡ベイファームから155km走って、道の駅「みき」(兵庫県三木市)にに到着した。

金物と酒米のまちにある道の駅「みき」

さすがに、疲れが溜まったので、ささっと袋ラーメンを湯がいて食べ、3時間程度ベッドで熟睡した。

三木市で金物が発展した理由

目が覚めた後、道の駅「みき」を見学。さすがに全国的に有名な伝統ある金物の街だけあって2階の北西側には「金物展示即売館」がある。三木市が金物で有名になったのは、古い歴史が関係している。ある解説の一部を要約すると…

まずは5世紀中頃に、朝鮮半島の百済から三木の地にやってきた韓鍛冶と播州地方の大和鍛冶の高い技術が融合したこと。

次に15世紀の戦国時代に羽柴秀吉が三木合戦で三木のまちを破壊したのち、復興政策により全国から大工職人、鍛冶職人が集まるよう誘導したこと。

そして、復興が一段落付くと、大工職人の仕事が減り、仕事を求めて京や江戸に出稼ぎに行くようになったこと。そのとき携行した道具の素晴らしさ世間に知れ渡り、そこで販売をするようにもなっていったということだ。

伝統工芸品は長い歴史の中で、良い面はお互いの協力と融合、悪い面はそれをバネにプラスに転じながら発展させていくものなんだと改めて学ばされた。人生においてもかくのごとくありたいものだ。

十分に休憩して、13時20分に出発。

11km、20分走って、エネオスDr.Driveセルフ小野SSに13時40分に到着。10分間で給油。

その後、48kmを1時間10分で走り、物産館「ささやま」に着いた。

ここには広い駐車場があり、奥の方に大型車も停められる。

一旦、大型車駐車場に駐めたものの、無料駐車の条件を調べると物産館の利用者が対象で駐車時間は1時間以内と定められていた。1時間以上の駐車は1,000円の駐車料金が発生するようだ。それでは、落ち着いて周辺散策をすることができないので、別の駐車場を探すことにした。

トレーラー牽引時の駐車場探しはどうしてる?

駐車場探しには、Googleマップが便利だ。「無料駐車場」「公園」などのキーワードで検索する際、航空写真モードにしておくと、駐車場の形態、特にゲートの有無や広さ、縦に2台分の区画が利用できるかなどをある程度、写真で判断することができる。ただし、利用率まではわからないので、行ってみたが駐められないということもありうるが…。

繁華街ではなかなか見つからないので、郊外にある河川敷駐車場や公園駐車場などの無料駐車場にトレーラーだけ駐めておき、ヘッド車だけで回るという手もある。ただし、閉門時間などは事前にチェックしておかないと、出せなくなる可能性もある。要注意だ。

灯台もと暗し、良いところに良い駐車場があるではないか。丹波篠山城址にある三の丸西駐車場だ。トレーラーを引っ張っていても普通車料金で駐車できた。1日200円。

丹波篠山城の歴史に触れる

丹波篠山城は徳川家康が豊臣家と西国諸大名のおさえを目的に1609年に築かせた平山城。それにしても15カ国20大名の天下普請とはいえ、これだけの城を僅か6ヵ月間で完成さたというのは驚きだ。重機などがないこの時代に、いや、あったとしても、人や物や時間をどのように組み合わせて使えば実現できるのか、想像すらできない。

篠山城大書院

この写真の右手側に三の丸西駐車場がある。そこにトレーラーを駐め、正面の橋を渡ったところ鉄門虎口を通って大書院に向かう。

鉄門虎口

書院の入館受付で「4館共通入場券」(大人600円/高校・大学生300円/小・中学生150円)の存在を知った。4館とは、篠山城跡大書院、丹波篠山市立歴史美術館、青山歴史村、丹波篠山市立武家屋敷安間家史料館だ。個別に入場料を支払うと、大人の場合、順に400円、300円、300円、200円で合計1,200円となり、大書院ともう1ヶ所以上どちらかに行くのなら、共通券の方がお得になる。しかも、有効期間が2日間なので近くに泊まれば、2日掛けてじっくりと回ることができる。

しかし、私は宿泊せずに、今日は亀岡まで移動する予定だ。いずれの施設も閉館は17時なので、残り時間は1時間40分ほど。少し悩んだが、なんとか3ヶ所は回れそう、ということで共通券を購入した。

大書院は、1873年(明治6年)の廃城令に際しても解体を免れたが、1944年(昭和19年)1月6日の火災により残念ながら焼失。それを1996年からの4年の歳月を掛けて復興したそうだ。

それでも築20年とはとても思えないほど新しさを感じる美しい建物だ。

上段の間と次の間
大書院の南側の広場

一旦、北側から三の丸に出て、南門跡へ。

西馬出から出て、武家屋敷安間家史料館に向かった。

丹波篠山市立武家屋敷安間家史料館

16時20分到着。もうひとつ、青山歴史村にも行くためには、ここでの滞在時間を長くても15分以内に抑えなければならない。かなり急ぎ足で見て回る必要があった。

しかし、藁葺き屋根の門から中に入ると、趣のある和の雰囲気に包まれ、ゆったりと過ごしたいという衝動に駆られる。

武家屋敷安間家資料館は天保年間(1830~1843)に建てられた篠山藩の標準的な徒士住宅を、1995年(平成7)に全面的に改修したもので、当時の徒士武士の暮らしぶりが伺える食器や家具、古文書などが展示されている。

安間家の年収はいくらぐらい?

安間家は篠山藩主青山家の家臣で、「高12石3人扶持」の禄を得る下級武士の一家だったそうだ。

そこで、Webサイト「リファレンス協同データベース」にある質問「【加賀百万石】などの,江戸時代の1石(こく)は,現代の何円か。」に対する京都市図書館が示した回答のうちの2種類をみてみよう。

<回答1>『一目でわかる江戸時代 地図・グラフ・図解でみる』(竹内 誠/監修,市川 寛明/編 小学館 2004)p18~19【物価と米価,貨幣価値はどうだったのか?】では、『まず、米1石=金1両と考えても差し支えない。その上で、金1両の価値を現代の米の価値で換算すると「金1両=55,500円」、職人の給与で換算すると「金1両=約30万円」とかなり幅が出る。したがって、その中間の十数万円とみるのが適当』

<回答2>『武士の家計簿』(磯田 道史/著 新潮社 2003)p55【表2,江戸時代の貨幣と価値】によると『米1石=「現代感覚(現代の賃金から換算)」27万円,「現在価値(現在の米価から換算)」5万円「典拠:猪山家文書「入払帳」天保14年7月の両替データ」とあり。』

つまり、江戸時代には米価は高く、職人の労働給金は安かったということか…。

とにかく、米価だけで換算するのは不適切なので、物価を平均的に捕らえて、直感で決めつける。つまり「米1石=金1両=現在の価値20万円」と考えることにする。すると安間家は「高12石=240万円」+「3人扶持=5石4斗=108万円」(江戸時代には、武士1人1日の標準生計費用を米5合と算定して,1ヵ月に1斗5升,1年間に1石8斗,これを俵に直して米5俵を支給することを一人扶持(いちにんぶち)と呼んだ。)=「年収348万円」ということになる。

これは月収15万円弱ということだ。それでいて、お城(職場)の近くの庭付き一戸建ての平屋(4LDK+S)に住んで、日常生活を送ることができるのだ。米価は高値安定なら食費は嵩むだろうし、職人の給与が低いのなら、家の補修はたいした出費にならなかったということか?? ますます、江戸時代の暮らしへの関心が高まっていく。苦しかったのか、それとの楽しかったのか…。暇だったのか、忙しかったのか。空しかったのか…、満たされていたのか…。

こんなことを考えたのは、今回の旅を終え、ブログにアップするときになってのこと。当日は僅か15分程度の時間しかなく、焦る気持ちを抑えつつ母屋の展示物と庭を観て、後ろ髪を引かれながら次の青山歴史村へと急いだ、というのが実情だ。

土間から台所をみる。左奥が仏間
土間の横には板間があって、焼き物などを展示即売している
座敷からの庭の眺め
仏間、居間、納戸の横の庭
年代物の雛人形
正面は居間から仏間、座敷、庭を見る。右手は庭

名残惜しかったが、時間が限られているので、次の目的地、青山歴史村に向かった。

丹波篠山市立青山歴史村

御徒士町通りの突き当たりを右折すると、間もなく外堀に出る。さらに進むと左手に青山歴史村がある。

慌てると、ろくなことはない。入口の注意書きもよく読まず、奥に見える茅葺き屋根の建物「旧澤井家長屋門」の前に立った。「あれ、閉まってるのかな?」既に16時30分を5分ほど経過している。

「いくら入場が16時半まででも、入口が閉まるってことはないよな」

玄関の前に置いてある木製バリケードフレームには、「御用のある方はこちらに連絡をください」ということで電話番号が書いてあるのだが、こんなときに限って、携帯電話が充電切れになっている。

こんなことなら、安間家史料館で17時までもっとゆったり過ごせば良かっただの、いろんな思いが脳裏をよぎる。17時まで、あと20分程度…。焦る気持ちがピークに達する。

ふと右側を見ると、隣に大きな駐車場のある施設がある。そこに行って聞いてみることにした。

行ってみると、そこは「丹波篠山デカンショ館」。そして、ここが青山歴史村の入口になっていた。16時半は過ぎていたが、受付の人はすんなりと中に入れてくれた。短い時間だが、時間いっぱい使って展示物を見て回った。

17時過ぎに丹波篠山デカンショ館を出たときはみぞれが降っていた。

急いで三の丸西駐車場に戻り、京都・亀岡に向けて出発した。

三の丸西駐車場

<まとめ>

今回は時間が100分しかない中での丹波篠山城址と関連歴史館の訪問となった。それでも、4館共通入場券を利用したのは正解だった。残念ながら歴史美術館は訪問できなかったが、次回、チャンスがあれば最低4時間を確保してもう一度、じっくりゆったりと巡りたい。伝統的建造物保存地区は城の西と南側に広がっているし、北側にも興味を引くネーミングの施設が点在している。今度は城の周りを1周するつもりで訪れたい。

そして、一番大切なことは、いくら急いでいても各施設の入口に貼ってある注意書きには一通りさっと目を通すということだ。これで無駄な心配をせずに済む。

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