ぐるっと長旅

紅葉の高千穂・阿蘇・九重を訪ねて[2日目の午後]外輪山の様々な場所からの風景を楽しむ

昨夜遅くというべきか、今日の日付になって間もない頃の深夜というべきか、そんな真夜中の1時25分に大観望に到着した。そして、すぐに床に就いた。

今朝は大観望から日の出を見た。そして、ここからとここから外輪山を下っていく途中にある山田展望台から阿蘇谷の風景を見た。

一端は阿蘇谷に降りたのだが、トレーラーを道の駅に残し、ヘッド車だけで再び外輪山に登った。そして、昼食を焼肉水源で頂いた。では、その後はどう動いたのか…。その報告の始まり始まり…。

2020年11月9日(月)の午後の行動履歴

地図の源(阿蘇市) 13:41~14:21
↓ 車- 2.2 km 3 分 菊池阿蘇スカイライン/県道45号 経由
↓ 徒歩- 230 m 6 分
西湯浦園地展望所 14:30~14:50
↓ 徒歩- 290 m 14 分
↓ 車- 1.7 km 3 分 ミルクロード/県道339号 経由
かぶと岩展望所 15:07~15:20
↓ 車- 9.9 km 18 分 ミルクロード/県道339号 経由
参勤交代の道(豊後街道) 15:38~15:40
↓ 徒歩- 800 m 23 分
参勤交代の道(豊後街道) 16:02~16:06
↓ 車- 6.0 km 17 分 県道23号 and 国道57号 経由
南阿蘇村震災遺構 数鹿流崩れ跡 16:23~16:43
↓ 車- 19.6 km 38 分 国道57号 経由
道の駅阿蘇第2駐車場 17:21~18:02
↓ 車- 6.6 km 10 分 国道212号 経由
内牧駐車場 18:12~18:18
↓ 徒歩- 500 m 7 分
宝湯 18:25~19:21
↓ 徒歩- 190 m 3 分
内牧駐車場 19:23~18:25
↓ 車- 1.2 km 4 分 国道212号 経由
ダイレックス 阿蘇店 19:29~19:52
↓ 車- 5.5 km 15 分 国道212号 経由
道の駅阿蘇第2駐車場 20:07~20:13
↓ 車- 3.0 km 8 分 国道212号 経由
阿蘇市農村公園あぴか 20:21

焼肉水源を出て、大観望の方に引き返した。この辺3.0 kmほどの区間は道沿いでも紅葉が美しい。穴場スポットを探して、その区間を25分ほどうろうろしたところ

地図の源(阿蘇市)

という場所を発見した。13時41分だった。入口のところにはチェーンが張ってあり、クルマで進入することはできないようになっていたが、辛うじてチェーンの前に1台分のスペースがあった。

菊池阿蘇スカイライン/県道45号線沿いにこの看板を発見!

「地図の源」って何? そのスペースにクルマを駐めて、歩いて矢印の方向に進んでみた。

チェーンを超えて、このような道を奥へと進む
左手の木々は紅葉が美しかった

奥へ奥へと歩くと、何かのモニュメントがあるようだ。

建物ではなく、モニュメント
階段を降りて、近づくと中央に「地図の源」と標記

このモニュメントの中央には「地図の源」と標記され、左に説明書きで、右に関係者の名前が記載されている。

地図の源の説明書き

この説明書きは、2000年10月1日に立てられたその時点において、要約すると

  • 土地家屋調査士の制度が50周年 → つまりこの制度は1950年スタート
  • 伊能忠敬が日本地図作りのために測量の旅に出て200年 → 旅立ちは1800年
  • この位置(東経131度丁度、北緯33度丁度)は九州の大部分を含む平面直角座標系第Ⅱ系の中心であり、この範囲の建物などはすべてここを原点として、ここから東西方向の距離と南北方向の距離で位置を表すことが可能
  • 人工衛星による測量、すなわちGPSによる測量に変わってから、日本測地系と世界測地系の経緯度にズレがあることが判明
  • そのズレを一致させる修正作業の結果、修正後の原点は約400メートル南東に移動した
  • これまでの50年間、地図の源となったこの地を記念して碑を立てた

ということが記されている。

碑の前から左下に階段を降りると

これが平面直角座標系第Ⅱ系の中心「地図の源」
円柱形の上面に「地図の源」を表す図柄

実際にこの円筒形上面の中心にスマホを置き、Googleマップにスマホの現在地を記録した。ただその際、衛星の位置が良くなかったのか、現在地を示す青い点の周りに誤差の許容範囲を示す薄い青の円が若干残っていた。

でも、一応その点を保存した。それが下の航空写真の左上の黄色い点である。経緯度を調べると「33°00’12.0″N 130°59’51.6″E / 33.003343, 130.997653」と標記されている。次にGoogleマップの検索用テキストボックスに「131°00′00.0″e 33°00′00.0″n」と入力し、検索した場所が、赤い地点。

直線距離を調べると 432.05mとなっている。もちろん黄色の場所には誤差が含まれているし、赤の場所も直線距離を調べる点のプロット位置に誤差が生じるので、直線距離は近似値に過ぎない。でも、手軽にこれだけのことが調べられるようになったのは、技術の進歩といわざるを得ない。

左上の黄色の地点に「地図の源」モニュメントがあり、右下の赤い点が衛星測量による正確な地点

好奇心をそそられる興味深いところが見つかり、その上、道筋の紅葉も楽しめたので、益々いい気分になった。

道筋の紅葉
枝振りを観ると…
こんな感じ

ここを14時21分に出た。

↓ 車- 2.2 km 3 分 菊池阿蘇スカイライン/県道45号 経由

↓ 徒歩- 230 m 6 分

大観望方向に2.2 km、5分ほど走ったところの交差点にレストラン北山がある。そこの駐車場にクルマを駐め、歩いて

西湯浦園地展望所

に向かった。駐車場から250mほど。この展望所までの遊歩道の往復が心地良い。14時30分~14時50分頃までじっくりと歩いて写真を撮った。

外輪山のひだの間に色づく木々
駐車場から遊歩道が延び、先端に展望台がある
先端にある西湯浦園地展望台
反対に駐車場方面を観ると
ちょっとの間に陽の当たり方が変わっていく
北東方向の眺め 向こうに九重連山が見える
展望台から阿蘇中岳河口方面を観る
外輪山に貼り付いた木々の紅葉は美しい
ひだにまとわりつく木々の紅葉

往復500mちょっとの散策だ。

レストラン北山のところも展望スペースになっている

西湯浦園地展望台を満喫したあと、クルマに戻り、1.7 kmミルクロードを南下して

↓ 徒歩- 290 m 14 分

↓ 車- 1.7 km 3 分 ミルクロード/県道339号 経由

かぶと岩展望所

に到着。3分ほど走ってだけの15時07分だ。店の前の駐車場にクルマを駐め、まずは展望台へ。道路を横切って50mも行かないところに展望デッキがある。

展望デッキから阿蘇五岳を望む。快晴なので中岳の噴煙が目立つ
左手方向、外輪山とその向こうの九重連山が遠くなった印象
展望デッキから戻る途中から、店と駐車場を望む
駐車場の南側に「すすきの迷路」がある
背の高いすすきの間にこんな小道が作ってある
これが迷路になっている

50代のおじさんのひとり旅だと、こんな迷路があっても一部を黙々と、かつササッと通るだけである。そして、まぁこんなものだろうと分かったつもりになって、別に感動の気持ちなどは覚えないのだが、20代以下のカップルだと相当わくわくするんじゃないのかな。

いや、年齢ではなく、誰と一緒に通るかで、気分が変わるのだ。そうだそうだ。

駐車場から展望デッキに向かう通路はこんな感じ
店内の様子

最後にショップの中をぐるっとひとまわりした。写真の正面が飲み物や軽食の販売コーナー。食べ物はホットドッグやフランクフルト、フライドポテト、ソフトクリームなど。飲み物はコーヒー、カフェオレ、ココア、コーンスープなど…がある。

そして、窓側にテーブルと椅子が並べられており、景色を見ながら軽食をつまむことができるようになっているようだ。

手前は手作り小物やアクセサリ-類がところせましと並んでいる。

店を出て、クルマに向かった。このかぶと岩展望所の駐車場は24時間使用可能でトイレも利用できる。この点はキャンピングカーユーザーにとってはありがたいところだ。

15時20分に出発。

↓ 車- 9.9 km 18 分 ミルクロード/県道339号 経由

参勤交代の道(豊後街道)

の駐車スペースに到着。15時38分だった。

ここは、加藤清正公の時代から利用された豊後街道。その時代に思いを馳せながらしばし歩いてみることにした。

駐車場横にある説明板

ここから左手に下に続く石畳を歩いて行く。

くねくねと曲がりながら下へと続く石畳
説明版

石畳の敷設工事は区間ごとに村に割り当てられたようだ。きっと競ったんんだろうなぁ、出来映えと作業の早さを。

道が折れ曲がっているところは石垣も
乙護法の祠?

ここには、牛王の水の説明板が立てられている。

「牛王の水」名付けの由来?

Googleマップによると「牛王の水」は、この豊後街道石畳からさほど遠くない菊池赤水線/県道23号線沿いにあることが分かる。二重峠展望台のすぐ近くだ。

ということは、この看板によると、ここにある祠が、乙護法の祠ということになると思うが…。合ってる?

いやいや、合ってるなら、最初からそう書くよね。昔、この近辺に「乙護法の祠」があったのだ。分かることはそこまで…。

だいぶ降りてきた
降りたところから上を振り返った
ここで折り返して、元のところに戻ることにした
展望が開けた場所

↓ 徒歩- 800 m 23 分

参勤交代の道(豊後街道)

クルマに乗り込み、16時06分に駐車場を出た。さて、段々と太陽光が暖色側に変わってきた。あとどれくらい見て回れるか…。

従来の国道57号線も復旧している。そして、そこに赤橋の震災遺構が作られているんだった。それを見に行こう!

菊池赤水線/県道23号線をくだっていき、国道57号線を立野方面へ、

↓ 車- 6.0 km 17 分 県道23号 and 国道57号 経由

南阿蘇村震災遺構 数鹿流崩れ跡

に着いた。16時23分到着。

駐車スペースは2ヶ所あり、それぞれ十分広めに作られている。しかし、それらの写真を撮り忘れたので、ドラレコ画像で代用しておく。

石碑と説明板がある東側の駐車場<ドラレコ画像>
新しい阿蘇大橋が急ピッチで建設されている

崩れ落ちた山肌の広さと深さがよく分かる。

数鹿流崩れ跡と数鹿流崩之碑
数鹿流崩之碑と説明板
数鹿流崩れの説明板

説明板には、以下のようなことが記されている。

  • 以前、ここには阿蘇大橋があり、熊本市と南阿蘇を結ぶ交通の要所だった。
  • 2016年4月16日の熊本地震本震で大規模斜面崩壊が発生。豊肥本線・国道57号が埋没し、阿蘇大橋が崩落。通行中だったひとりの尊い命が犠牲となった。
  • 4年半の歳月を掛け、最先端の無人化施工技術を用いた懸命な復旧工事
  • 険しい自然と、それに立ち向かう人びとの挑戦の歴史を語り継ぐ遺構として整備し、「数鹿流崩れ」と命名した。

次に崩落した旧阿蘇大橋の説明板。これには、

  • 2016年4月16日1時25分、本震による山腹の大崩壊と揺れで落橋
  • 残った兄弟の一部は、立野峡谷中腹の岩盤に偶然安定する形で残った
  • 旧阿蘇大橋の建設時期1967.4.~1970.12.とサイズ(橋長205.96m、幅員8m、谷底からの高さ76m)、建設費3億1300万円

と言ったことが書かれている。

崩落した阿蘇大橋の残骸と説明板
向こう側が長陽村側

西側にあるもう一つの駐車スペースにクルマを移した。

西側の駐車場<ドラレコ画像>

何故か、建設中の阿蘇大橋側半分は立ち入り禁止になっている。そして、国道57号線にも歩道がない。

建設の様子を見せられない事情でもあるのだろうか???

新しい阿蘇大橋
少しだけ拡大して撮り直したもの
こちら側の駐車スペースからも旧阿蘇大橋は確認できる
崩落部分の拡大写真

それにしても次々に人が訪れては、石碑や説明板を観たり、旧阿蘇大橋の崩落現場をじっくりと眺めて、また出ていく。ここを通る誰もが意識的に立ち寄っているように見える。

災害はいつ発生するか分からない。だからこそ、過去の震災を振り返り、機を国とどめ、そのとき得た教訓を可能な限り未来に引き継いでいきたいという意思の表れだろう。

16時43分にここを出た。そして、遠回りだが、阿蘇長陽大橋を渡り、栃の木交差点を直進、県道149号線を通って、国道57号線下野交差点にでた。

↓ 車- 19.6 km 38 分 国道57号 経由

道の駅阿蘇第2駐車場

に到着。17時21分だった。

道の駅阿蘇の第2駐車場から第1駐車場側のトイレや情報コーナーへの徒歩での行き方は、基本的に2通りある。

ひとつは阿蘇駅前交差点の横断歩道を渡っていく方法(赤ルート)。もうひとつは国道下のトンネルをくぐって行く方法(青ルート)だ。下のGoogleマップ航空写真は、第2駐車場も新しいトイレと情報コーナーができる前のものなので、それらが写っていないが、大まかな位置は分かる。

計ってみると、赤ルートは278.22mで青ルートは199.25m。しかも、赤ルートは遠い上に信号で待たされる可能性もある。したがって、推奨ルートは青ルートだ。

私は青ルートを選んで往復した。

さてさて、昨日は結局、入浴を断念し、先を急ぐことを優先した。しかし、今日はそういうわけにはいかない。どこに行こうかと検討した結果、内牧温泉に行くことにした。

トレーラーを連れていくか悩んだが、このまま置いて、ヘッド車のみで温泉へ行くことにした。18時02分、出発。

↓ 車- 6.6 km 10 分 国道212号 経由

内牧駐車場

に到着。18時12分。ここは、結構広いのでトレーラーを牽引していても駐車できないことはない。ただ、無料の外来者用区画が決まっているので、それに注意して駐めなければならない。

18時18分に、クルマを降りて、徒歩で内牧温泉共同浴場「七福温泉」を目指した。とぼとぼと歩き、七福温泉の入口を目撃したとき、つまり黒川を渡ったところで、財布の中に100円玉が残っていないことを思い出した。

共同浴場は無人の場合が多く、自分で料金箱に代金を入れて入浴するスタイルが主流。たしか、七福温泉も入浴料200円を料金箱に入れる形だと、ネットからの情報を得ていた。

もう一度、財布の中を確認するも、硬貨は500円玉1枚と、十円玉や一円玉の端数しかない。困ったものだ。共同浴場に行くときは財布の中に100円玉と10円玉をたくさん用意しておくよう心掛けていたはずなのに…。

周囲にもコンビニや自動販売機は見当たらない。仕方がない。行き先を変えよう。入浴料は倍になるが、以前一度行ったことがある、宝湯に行くことにした。

↓ 徒歩- 500 m 7 分

宝湯

に到着。18時25分。

宝湯だと、入浴料は400円だがボディソープやリンスインシャンプーはもちろんのこと、フェィスタオルまで無料貸し出ししてくれる。手ぶらで行ける温泉だ。

女将さんからタオルを借りて、カゴに入ったリンスインシャンプーとボディシャンプーを持って風呂場に向かうと、先客がひとりおられた。

挨拶の後、私が小銭を持たずに七福温泉に行けず、こちらにきたことを伝えると、彼は
「あそこは、(湯温が)熱いよね。しかも、番台に座っている人が水でぬベルのを許さんのよね。だから、ゆっくり浸かってられない。こっちの方がいいよ。こっちだったらぬるいのでゆったりと浸かってられるからねぇ。」
「何度ぐらいあるんですか?」
「43度ぐらいあるんじゃないの?」
「私は先日、群馬の草津温泉に行ったんですけど、どこも熱くて、湯温の高いところは48度ぐらいあるそですよ。私は熱すぎて浸かれなかったんですけど、入るには要領があるそうです。」
「どんな要領?」
「掛かり湯をたくさんして身体を慣れさせるということがよく言われているけど、それでもダメな場合は足に冷水を掛けて冷やす。そのまま、ゆっくり湯に浸かる。決してお湯を動かさず、自分からだの回りにぬるいお湯の層をつくる。そうすれば熱くないそうです。もちろん、お湯から上がる瞬間は、相当熱いので、サッと上がって、洗い場でじっと座って、身体を冷やす。これが大事みたいです。でも、後日、その方法を試してみたんだけど、結局ダメでしたね。熱すぎては入れなかった。」
「やっぱり温泉はぬるい方がいいなぁ。長湯できないともったいない…。」
確かにそういう側面はある。一方熱いお湯は、身体の防衛反応が出るせいか、重篤な病気に効果が出たりする。草津温泉に行ったとき、たまたま一緒になった地元の方から、癌などの病気で余命宣告を受けた人が、草津に通って回復した話を4例ほど聞いた。ぬるい湯にも熱い湯にもそれぞれの良さがある。

あれ? ところで、七福温泉って番台に人がいるわけ? だったら小銭を持っていなくても両替できて、風呂にも入れたんじゃないの? 確かネット情報だと無人だと書いてあったので、中も覗かずに行き先を変更したんだけど、実際どうなのかはわからない。きちんと自分で確認だけはするべきだった。

宝湯の内湯
浴槽の向こうの扉が露天への出入り口
出入り口からみた露天風呂の様子
露天風呂の奥から
脱衣所の掲示板
温泉分析表
玄関から温泉への通路
途中にある休憩室

一時間ほど、ゆったりとぬる湯を楽しんだ後、19時21分に宝湯を出て、駐車場に向かった。宝湯を出て気付いたのだが、宝湯には10台ほど駐められる専用駐車場があった。

↓ 徒歩- 190 m 3 分

内牧駐車場

19:23~18:25

内牧駐車場入口の柱の絵

↓ 車- 1.2 km 4 分 国道212号 経由

ダイレックス 阿蘇店

についた。19時29分から19時52分で買い物を済ませ、再びクルマに乗った。道の駅に戻る途中、阿蘇市農村公園あぴかに寄ってみた。公園の北側の駐車場は午前中に見た南側駐車場よりも広大だ。しかし、停まっているクルマの台数はほんの少し。トイレもあるし、主要道路から入り込んだ場所にあるので実に静か…。駐車場が夜間閉鎖になるようなこともなさそうだ。こっちに泊まった方がいいかも…。

↓ 車- 5.5 km 15 分 国道212号 経由

道の駅阿蘇第2駐車場

に、20時07分に到着。ここに泊まるか、あぴかに移動するか若干迷ったが、移動してみることにした。トレーラーを繋いで、20時13分に出発。

↓ 車- 3.0 km 8 分 国道212号 経由

阿蘇市農村公園あぴか

に、20時21分に到着。昼にあれほどたらふく食べたのに、夜は夜できちんと腹が減る。というか、空腹感が増すような気がする。食い溜めができないものだ。

昼に栄養分は十分とったので、夜はインスタントラーメンで済ませることにした。

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