ふらり旅

九州キャンピングカーショー2021を皮切りに阿蘇と奥豊後のふらり旅[2日目]グランメッセ熊本へ行く前に、きやま食堂で酢豚定食

トレーラーをいつも駐めている駐車場から連れ出したのは、2日前の5月14日(金)。しかし、その日とその翌日の夕方までは、とてもふらり旅と呼ぶには、違和感があった…。なぜなら、行動がある程度予定されたものだったし、日常生活の延長だったりしたからだ。

そこで、今回のふらり旅は、昨日の夜、つまり2021年5月15日(土)20時20分に実家を出てからをスタートとした。今日はその翌日。今日は九州キャンピングカーショーに行くことだけが決定されている。さあ、どんな一日になるのか…。

2021年5月16日(日)

久留米市、熊本県、大分県
<車移動>84.1 km 2時間36分
ならのさこ温泉いやしの湯 前日の23:47
↓ 車- 15.1 km 27 分 国道325号 and 県道138号 経由
道の駅 泗水 0:14~13:02
 災害対応型多機能トイレ
 有朋の里孔子公園
 町名由来の碑
 祀聖亭と孔子の教え
 道の駅泗水を出発
↓ 車- 21.1 km 43 分 県道138号 経由
きやま食堂 13:45~14:44
↓ 車- 4.6 km 15 分 県道235号 and 第二空港線/県道36号 経由
グランメッセ熊本 14:59~16:40
↓ 車- 26.5 km 39 分 県道28号 経由
俵山トンネルを抜けたところの展望所 17:19~17:51
↓ 車- 6.0 km 8 分 県道28号 経由
道の駅 あそ望の郷くぎの 17:59~18:20
↓ 車- 8.0 km 17 分 県道28号 経由
高森湧水(水神碑) 18:36~18:53
↓ 車- 1.9 km 5 分 県道177号 経由
アスカショッピングセンター 18:58~19:26
↓ 車- 1.0 km 2 分 国道325号 経由
高森駅 19:28 

道の駅 泗水

には、0時14分に到着した。サシ飲みの残りをつまみに一人晩酌をして、そのまま就寝した。

翌朝、明るくなって外に出てみると、視界にリニューアルされた建物の様子が入ってきた。

リニューアルされた養生市場   9時48分撮影

災害対応型多機能トイレ

は、大規模災害時に、道の駅が一時避難所や救援活動の場として活用できるよう、非常電源や防災井戸が備えてられている。また、防災倉庫、ソーラー照明灯、防災コンセントも整備されている。今年2月に完成した道の駅「旭志」に続く熊本県内2番目の施設だそうだ。

その隣に新設された災害対応型多機能トイレ
左のリニューアルされた養生市場と右の災害対応型多機能トイレの間の歩道を向こうに行くと泗水公民館駐車場

養生市場をチラッと覗いて、そのまま有明の里孔子公園に行ってみた。

有朋の里孔子公園

一段高いところには中国宮廷建築様式で造られた美しい回廊と公園のシンボル、祀聖亭しせいていがある。その周囲には、様々な花が咲いている花壇や水路、橋、芝生や広場が配置されいる。そのところどころに設置されている論語百選の石版に目を通しながらゆったりと歩くのは結構楽しい。

「人無遠慮 必有近憂」衛霊公第十五

「人無遠慮 必有近憂」 衛霊公第十五
ひと とおき おもんばかり なければ かならず ちかき うれい あり
*孔子様がおっしゃいました。人は遠い将来のことまで考えておかないと、必ず手近なところで心配が起こったりするものだ。

孔子の里 泗水アラカルト 論語百選
公園のシンボルの祀聖亭しせいていと美しい回廊
衣装と楽器の展示館
「後生可畏 焉知来者之 不知今也」子罕第九

「後生可畏 焉知来者之 不知今也」 子罕第九
こうせい おそるべし いずくんぞ らいしゃの いまに しかざるを しらんや
*孔子様がおっしゃいました。若者は恐るべき存在だ。これからの人が今の自分に及ばないなどと、だれがわかるだろうか。

孔子の里 泗水アラカルト 論語百選
「吾十有五而志干學 三十而立 四十而不惑」

「吾十有五而志干學 三十而立 四十而不惑」 為政第二
われじゅうごにしてがくをこころざす さんじゅうにしてたつ しじゅうにしてまどわず
*孔子様がおっしゃいました。私は十五歳の頃に学問の道に入ろうと決意した。三十で学問に対する自分なりの見解が確立した。四十で何事に対しても戸惑うことがなくなった。

孔子の里 泗水アラカルト 論語百選
「衆惡之必察焉 衆好之必察焉」 衛霊公第十五

「衆惡之必察焉 衆好之必察焉」 衛霊公第十五
しゅう これを にくむる かならず さっす しゅう これを よみするも かならず さっす
*孔子様がおっしゃいました。大勢の人が悪く言うものでも、自分自身の目でそれを確かめてみる。逆に大勢がいいという場合でも、やはり自分で確かめてみる。世間の評判には惑わされないことだ。

孔子の里 泗水アラカルト 論語百選

町名由来の碑

町名由来の碑

町名由来の碑

 「泗水」町名がつけられて百周年を迎えるに当たり、その由来に諸説があって、一定せず。
 昭和61年5月2日、町議会でその由来について検討され、調査研究を町内各種団体に委嘱を行い、調査委員会が結成された。
 その調査委員会の数次に亘る検討の結果同年6月3日、議会で中国現地調査の件が検討され、委員会の中から17名を募り、訪中団を結成し、同年9月8日より訪中された。
「朋有り、遠方より来る、亦楽しからずや」
 泗水県長はじめ、丁重なる歓迎を受けた。特に孔林では、孔子並びに長男泗水候の墓碑に接し、墓地を囲む泗水川の清流を見た時、「泗水」のルーツは正しくここに有り、の確信を得、調査の結果をふまえ、答申書をとりまとめて、同年12月1日、有田町長 平井議会議長に答申書を提出された。
 泗水町議会はその答申に基づき「泗水」という町名は儒学の祖、孔子の生誕地であり、中国の聖地泗水の名をとり、初代村長西佐一郎氏が、郷土の発展を願って、明治22年4月1日村会に諮り、泗水と命名されたものであると考え、昭和61年12月18日、議会に於て町名の由来を答申通り議決した。
 平成元年(1989年)が百周年に当たる。
 ここに「有朋の里泗水」孔子公園の完成を記念し、後世の繁栄を願い記念碑を建立する。
     平成5年9月吉日
町名由来調査団記念碑設置者
<以下、省略>

有朋の里泗水孔子公園に接地されている「町名由来の碑」本文
「人不知而不慍 不亦君子乎」 学而第一

「人不知而不慍 不亦君子乎」 学而第一
ひとしらずしてうらみず またくんしならずや
*孔子様がおっしゃいました。人がわかってくれなくても気にかけない。いかにも君子だ。

孔子の里 泗水アラカルト 論語百選
「温故而知新 可以爲師矣」 為政第二 

「温故而知新 可以爲師矣」 為政第二
ふるきを たずねて あたらしきをしれば もって し たるべし
*孔子様がおっしゃいました。昔の古い事柄をよく習熟し、その上で新しいこともわきまえていれば、その人は師となる資格があるだろう。

孔子の里 泗水アラカルト 論語百選
「學而不思則罔 思而不學則殆」 為政第二

「學而不思則罔 思而不學則殆」 為政第二
まなびで おもわざれば すなわち くらし  おもいて まなばざれば すなわち あやうし
*孔子様がおっしゃいました。師や書物から学んでも自分で考えなければ、物事はよく理解できない。また、自分の考えばかりで外から学ぼうとしなければ、独断に陥ってしまう恐れがある。

孔子の里 泗水アラカルト 論語百選
「父母唯其疾之憂」 為政第二

「父母唯其疾之憂」 為政第二
ふぼは ただ そのやまいをこれうれう
*孔子様がおっしゃいました。父母はわが子の病気をただひたすら心配するものだ。だから健康に注意して病気にならないようにするのが親孝行だ。

孔子の里 泗水アラカルト 論語百選
「聞一 以知十」 公冶長第五

「聞一 以知十」 公冶長第五
いち を きいて じゅう を しる
*孔子様がおっしゃいました。一部を聞いて全体を把握すること。

孔子の里 泗水アラカルト 論語百選
「見賢思齊焉 見不賢而 内自省也」 里仁第四

「見賢思齊焉 見不賢而 内自省也」 里仁第四
けんをみては ひとしからんことを おもい  ふけんをみては うちにみずからかえりみるなり
*孔子様がおっしゃいました。優れた人を見たときには、同じようになろうと思い、つまらない人を見たときには、自分の心を振り返って反省することだ。

孔子の里 泗水アラカルト 論語百選
「見義不爲 無勇也」 為政第二

「見義不爲 無勇也」 為政第二
ぎをみて せざるは ゆう なきなり
*孔子様がおっしゃいました。その事柄を当然行うべきだとしりながら実行しないのは、臆病者である。

孔子の里 泗水アラカルト 論語百選
「君子不器」 為政第二

「君子不器」 為政第二
くんしは うつわならず
*孔子様がおっしゃいました。できた人物というものは、用途の限られた器物のようなものではない。云われたことしかできない人間ではなく、云われなくても応用できる人間のことだ。

孔子の里 泗水アラカルト 論語百選
「君子成人之美 不成人之惡」 顔淵第十二

「君子成人之美 不成人之惡」 顔淵第十二
くんしは ひとの びをなし  ひとの あくを なさず
*孔子様がおっしゃいました。君子は人の美点を奨励して伸ばさせ、人の悪い点については、それを正して成り立たせないようにする。

孔子の里 泗水アラカルト 論語百選

祀聖亭しせいてい(六角亭)と孔子の教え

祀聖亭(六角亭)の前にある「孔子の教え」の看板
「孔子の教え」の看板

孔子の教え
八徳 = 人として守るべき八つの行い

「孝」お父さん、お母さんの言うことをきき、心配をかけず親孝行すること。(親孝行が人間の道として一番大切です。)
「悌」兄弟仲良くして皆で助け合うこと
「忠」正しいまっすぐの心、自分にも、うそのない真心を持つこと。
「信」人に対してうそのない真心を持つこと。
「禮」礼儀正しくすること。
「義」正しい行いをして悪いことをしないこと。
「廉」欲張って物を欲しがることをせず、きれいな心でいること。
「恥」恥ずかしい行いをせず正しく進むこと。

「孔子の教え」の看板
祀聖亭(六角亭)の正面
祀聖亭に収められた孔子増 高さ3mの石像
祀聖亭から道の駅を望む
「過則 勿憚改」 学而第一

「過則 勿憚改」 学而第一
あやまちては すなわち  あらたむるに はばかることなかれ
*孔子様がおっしゃいました。自分の間違いに気付いたら、ぐずぐずせずにすぐ改めるようにしなければならない。

孔子の里 泗水アラカルト 論語百選
「有教無類」 衛霊公第十五

「有教無類」 衛霊公第十五
おしえ ありて るい なし
*孔子様がおっしゃいました。人間は教育が問題で、身分の違いは問題にならない。

孔子の里 泗水アラカルト 論語百選
「剛毅木訥 近仁」 子路第十三

「剛毅木訥 近仁」 子路第十三
ごうき ぼくとつは じんに ちかし
*孔子様がおっしゃいました。意志が強く何事にも屈しない勇気があり、質実で言葉を飾らない者は仁者に近い。

孔子の里 泗水アラカルト 論語百選

論語百選にじっくりと目を通しながら、公園をぐるっと巡った。最初は楽しいと思いながら、石版の文字を追っていったが、至極ごもっともと思いつつも、どれ一つも満足にできているのもは発見できず…。なんともいえない気分になった。果たして、残りの人生で、どれだけ溝を埋められるのか…。

道の駅泗水を出発

おっと…、後10分で13時になる。トレーラーに戻って、出発準備を整えた。

そして、13時02分に道の駅を出発。グランメッセ熊本を目指した。

↓ 車- 21.1 km 43 分 県道138号 経由

走りながら、興味深い食事処があったら即決して入店するつもりだったが、店の内容や人気度と駐車場の広さを瞬時に判断して、進路変更するのはかなり難しい。そうこうしているうちに、グランメッセ熊本に近づいた。

そこで、やむを得ず一旦停車して、Googleマップで定食屋を検索した。すると、きやま食堂がヒット。どうも、スーパーキッド益城店の右奥にあるらしい。行ってみることにした。

スーパーキッドの一番道路側の区画が縦に2台分開いていたので、そこに駐めた。出入りしやすい場所が確保できて助かった。

そして、クルマを降り、店の建物の右奥に歩いて行ってみたのだが見つからない…。おかしいなぁ。

今度は店の正面に戻り、左側から奥に進んで、裏道に出た。その道を右に進んで住宅街へ。スーパーキッドの裏手をGoogleの目的地方向に向かって歩いても、店らしきものがない。う~~む、どういうこと??

もう一度、トレーラーに戻り、今度は国道を隣の敷地に歩いてみると…。あっ、あった!じゃりの敷地にプレハブの建物が…。ここかぁ…。ここの店舗情報をGoogleマップに登録したのがどなたなのかはわからないが、せめて位置情報はもっと正確に設定していただきたいものだ。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

ということで

きやま食堂

には、13時45分入店。するとカウンターに白髭をはやした年配の男性が新聞を読んでおられ、そして厨房内に女性がおられたので、てっきり夫婦で切り盛りされている店だと思ったが、どうやら違っていたようだ。

「こんにちは~~、すみません、まだ食事できますか?」
と聞くと、女将さんが
「できますよ。どうぞ…」
と答えた。
「あ、ありがとうございます。それで…、クルマを隣のスーパーキッドに駐めてきたんですけど、こっちに移動させた方がいいですかねぇ?」
「まぁ、お互い様だからそのままでいいですよ。」
「あら、そうなんですねぇ~」
スーパーキッドのお客さんも時たまこちらに駐めたりすることもあるんだね。このお互いに許し合っている緩さがいい感じだ。

カウンター席に座って、テーブルに置いてあったメニューに目を通した。

日替わり定食は平日のみらしい。ならば…と。「酢豚定食をお願いします。」

料金は全体的に安い。日替わり定食は480円。とんかつ定食は550円。酢豚定食600円…。

「写真を撮らせてもらってもいいですかぁ?」
「えっ、厨房の中で?」
「いいえ、ここからですけど…。」
「だったらいいですよ。調理場の中で撮ったりしていると、嫌な思いをされるお客さんもいますからね…。」

以前、メディアの取材を受けたとき、カメラマンが厨房の中までドカドカと入ってきたことがあったらしい。

もともと食堂がこの付近にあって、熊本地震で被災。その後にプレハブの仮店舗で営業再開をしたと勝手に想像していたのだが、話を聞くとどうやら違うらしい。詳細は西日本新聞の2018年1月20日朝刊の記事を参照してほしいのだが、この店は2017年1月、震災の翌年にオープンしたのだ。

白い顎髭を蓄えた男性は、店主の中島泰司さん。益城町で30年以上鍵屋を営んでおられたが、震災で自宅兼店舗が全壊してしまい、その後1年以上テント生活を余儀なくされた。そのとき、被災家屋の解体や道路修復を行う作業員や被災者ケアに尽力するボランティアの方々へ「温かい食事を提供したい。」との思いから、飲食店で40年以上働いた経験を持つ、今のここの女将さん、岩崎すえみさんを誘って、この店を始めたそうだ。岩崎さんはこの店の店長だ。そして、きやま食道を含めたプレハブ店舗店は仮設商店街「いくばい益城笑店街」の中にある。

「テーブルに置いてあるメニューと壁に掲示されているメニューが違いますねぇ。」
と質問したら、女将さん(店長)は
「毎日、来てくれている作業員やボランティアの方々の栄養バランスを考えて、メニューを付け足していったらこうなった…。」と。もちろん、要望が出たわけではなく、女将さんがお客さんのことを考えてのことだった。

厨房で酢豚定食を作っておられる女将さん
調味料の後に貼られている用紙が元々のメニュー。壁にはそれ以外のメニューも貼られている。
カウンターにはメニュー表と運ばれてきた酢豚定食
これが酢豚定食600円

「朝は何時開店ですか?」と聞くと「5時から開けています。」と。最初、聞き間違い…あるいは、夜の部の開始時間と思ったが、どうやら朝、支度を開始する時間のようだ。朝早くから夜21時まで。ただそれもお客さんの状況によってはもっと遅くまでやっていたそうだ。一応、Googleマップには 7:00~14:30、17:00~21:00となっているが、状況で変動するようだ。

お客さん思いの頑張り屋さんの食事処だった。お腹も心もいっぱいになって店を出た。

14時44分。

↓ 車- 4.6 km 15 分 県道235号 and 第二空港線/県道36号 経由

グランメッセ熊本

には、14時59分に到着。駐車場も少し離れた場所ならガラガラ。トレーラーを牽引していても全く支障はない。

時節柄か閑散とした雰囲気

入館手続きが少々面倒になっていたが、問題なく入れた。

そして、館内の各展示ブースを遠巻きに見ながら、新しいエメロードを探した。

あったインディアナRVさんの展示ブースだ。私が7年前にエメロードを購入したときにお世話になった降旗社長の姿が見えた。

エメロード406の室内前方

降旗社長さんに挨拶した。
「こんにちは…、社長さんですよね。私は7年前にマリンメッセ福岡でのキャンピングカーショーの会場でお話を伺い、その場で購入手続きをさせていただいた者です。7年経って、だいぶあちこち傷んでは来ていますが、今もあちこちに引いて行っています。その節はお世話になりました。」
「あら、そうでしたか…。」
今は、コロナの影響もあってトレーラーのニーズは高まっているのに、生産国も自国優先にしているし、貿易も規制があって、いくら発注してもモノが入ってこないというとんでもない状態が続いているそうだ。エメロードを今発注しても、実際に入ってくるのは来年の10月頃だということだった。私が購入した2014年。展示車を購入したので、すぐにでも乗れるのかと思いきや、ヒッチメンバーの取付を始め、様々な整備と書類作成のために納車には3週間以上かかった。

その3週間がどれだけ待ち長かったか…。こどもが遠足の日を待ち遠しく数えるように、首を長くして待ったものだ。当時ですら、キャンピングカーショーで契約しても、展示車でなければ、取り寄せて、陸送して、整備して…、だから2~3ヵ月はかかると説明され、堪え性のない私にとっては「そんなにはとても待てないし、耐えられない。」と思ったほどだ。

それが、今は役20ヵ月待ち。余ほどしっかりとした自制心のある大人じゃないと耐えられないだろうし、もし今の私だったら、発注した記憶を留めておくことすら自信がない。

とても信じられないような状況だ。

さて、エメロード406と376との違いについて、降旗社長は「家族が1つのテーブルを囲んで座れるコの字型シート」と日本に相応しい「左扉」。そして、シャワー室がゆったり使えるように「取り外しの効くカセットトイレ」にしたと教えてくれた。これもトリガノ社と永年の取引実績で、ようやく設計変更の要望が受け入れられたそうだ。

話を終え、車内の見学をさせて貰った。「あっ、テレビが付いている…。いいなぁ…。」私も付けたい。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

エメロード406は、家具やシートの色が落ち着いた雰囲気にグレードアップされている。カーテンも付いている。そして、前方の座席が確かにコの字型になっていてテーブルを囲めるようになっていた。テーブルは1本の支柱で支えられており、天板が回転する造りになっている。

室内長を比較すると406は3,800mm、それに対して376は3,700mm。406が10cmだけ長くなっている。しかし、コの字型シートの奥は入りにくい。その上、テーブルがどうしても小さくなるし、1本足で支えられているので、回転できるとしても身体の大きい私にとっては出入りは難しかった。

もしかして、このテーブルの上げ下げが簡単にできるのかもしれないと思って、インディアナRVさんのエメロード406紹介動画を観てみたが、それには触れていなかった。

私のような基本的に1人か2人程度で使う者にとっては、天板の広い対面シートの方がいいようだ。それに従来型は奥の壁にテーブルの端を引っかけて、手前に1本足の点と線で支える構造なので、手前側の足だけを持ち上げて、座面との隙間を広げることも可能で、そうすると俄然、出入りが簡単になる。まぁ、もちろんテーブルの上に者がいっぱいだと難しいのだが…。

また、「日本には左扉」というニーズが根強くあるので、それを今回実現したという話だった。確かに私も、乗り始める前はそういう考えだった。しかし、実際に7年乗ってみると、トレーラーは右扉の方が便利だという結論になった。なぜなら、トレーラーには移動時に乗車することが認められていない。したがって、移動時にトレーラーの扉を気にするのはドライバーだけだ。例えば、トレーラーの扉の鍵をきちんとしめたか…。ヘッド車が右ハンドルの日本車ならば、トレーラーも同じ側に扉がある方が確認しやすいのだ。例えば、赤信号の停車中にパッと降りて確かめに行くことだって可能だ。ところが、左扉になると、反対側までぐるっと回らなければならなくなり、信号停車ぐらいでは行きにくい。同じ理由で、トレーラーに載せっぱなしのものをサッと取りに行くのにも、右扉の方が便利だ。

目的地に着いて、実際にトレーラーに出入りするときには、道端でないところで使用するので、扉がどっち向きかはさほど問題にはならないのだ。

そして、最後に取り外し式のカセットトイレだが…、これは実際に使ったことがないのでなんともいえない。ただ、そういった要望が強いので、この形態が導入されたのだろうと推察されるし、ユーザー毎にニーズは様々だ。

ただ、私自身はどうかというと現在のところ、トイレはいざというときのために必要不可欠と思っているが、シャワーコックを手洗いと洗顔以外、つまり本来のシャワーとして身体を洗うのに使ったことはない。水道と違って、積載できる水量はそれほど多くないので、洗顔や食器洗いでも常に節水を意識しながら使っている。シャワーとしての利用など想定外だ。もちろんあくまでも、個人の感想であり、見解だ。

それから、クローゼットにエアコンが付けられていたが、こうなるとクローゼットとしては利用できなくなってしまう。私はヘッドがアウトランダーPHEVなんで、どこに行っても外部電源が確保できるが、まだクーラーは設置しておらず、冷風扇どまりだ。しかし、これでもある程度スペースを圧迫しており、邪魔だ。もっと小型で高性能の製品がでてきてほしいものだ。

そして、基本的に、暑い季節は標高の高い場所に行くことを念頭に置いている。そうすれば、意外と過ごしやすくなる。もちろん、いつもそうできるほどの単純な問題ではないことぐらいはわかっているつもりだ。

クローゼットに設置されたエアコン
ポータブルトイレとシャワー室

確かにトイレは小さくて洗練されたデザインだ。

一方、下の写真はエメロード376。インテリアデザインは向上しているが、基本仕様はそれほど変わっていないご様子。いつの間にか保守的になってしまっている私にとっては、こちらの仕様の方が気に入っている。

もし、次に買い換えるとしても、エメロード376になる可能性が高い。ただ、後方の2段ベッドの上段は不要なので、できたらこれが初めから収納ボックスになっているバージョンを出して嬉しい。

それから、今回の展示車両にはバックモニターが付いていたが、これはすばらしいし、欲しい機能だ。夜や雨の日は、トレーラーを後に、あとどれだけ下げられるのか、サイドミラーだけでは、ほんと掴みにくい。今、ちょちょっとネット検索しただけで、バックカメラがたくさんヒットした。それほど費用もかからず、個人でも簡単に取り付けられそうだ。後ほど調べて、取付にもチャレンジしてみることにしよう。

エメロード376の背面
エメロード406の背面
手前が406、向こうが376、その向こうは軽キャンパーのようだ

このあとは、会場をぐるっと回ってから、念のために再入場チケットを貰った上で、外に出た。ほんとにマスクをしていると呼吸が困難で、人との会話もおっくうになる。とにかく外に出て、深呼吸をしなければ…。

駐車場の様子 入口近くにはクルマがいっぱい

結局は再入場することなしに、16時40分にグランメッセ熊本を後にした。

で、どちらに進む? とりあえず南阿蘇へ!

↓ 車- 26.5 km 39 分 県道28号 経由

俵山トンネルを抜けたところの展望所

には、17時19分に到着。天候はスッキリしないどころか、益々どんよりと分厚い雲になっていき、雨も降りだした。

この展望所から阿蘇五岳方向を見る
俵山トンネル方向

今日の宿泊地をどこにするか…。まだ決めていなかった。最近、決断力がかなり鈍ってきている。優柔不断になってきているのだ。

選択肢としては3つ。①道の駅あそ望の郷くぎのの上段駐車場、②高森湧水トンネル公園第3駐車場、③南阿蘇鉄道高森駅駐車場だ。いずれも無料で利用できるが…、①はここから一番近くて、トイレも飲料水も確保できる。しかし、スーパーマーケットが近くにない。②は隣接している公衆トイレが夜間閉鎖。③は街中で駐車スペースが3つのうち一番狭い。スーパーには一番近い。トイレは少し遠いが、駅北側にある。

とりあえず、①に行ってみることにした。

17時51分出発。

↓ 車- 6.0 km 8 分 県道28号 経由

道の駅 あそ望の郷くぎの

には、17時59分到着。

道の駅あそ望の郷くぎの、物産館と情報コーナーの間
上段駐車場に駐めていた

やはり、買い物は必要だ。②か③に移動することにした。18時20分、出発。

↓ 車- 8.0 km 17 分 県道28号 経由

そして、高森湧水トンネル公園第3駐車場には、18時36分に到着した。

まずは、水の確保だが、旅は始まったばかりなので、当座に必要な分だけに留める。自宅に持ち帰る分は、旅の終わりに給水する。燃費に影響するからだ。

高森湧水(水神碑)

で、10㍑ポリタンク1つと2㍑ペットボトル2本に水を溜めた。10㍑はトレーラーの清水タンク用。2㍑ペットはトレーラー内でコーヒーやお茶のためのお湯を沸かしたり、調理に用いる分だ。

給水蛇口は6ヶ所
左側に給水蛇口の上にある祠
ふくろうんの蛇口
湧水館入口

給水所の奥が、高森町湧水館。ここには、高森トンネルの歴史が出水事故の新聞記事や建設途中の坑内の写真などの当時を偲ばせる資料とともに展示されている。湧水トンネルは有料だが、こちらの入館料は無料である。「ご案内」の看板にあるように、開館時間は9時~16時。休館日は月曜日だ。

なので、今回は残念ながら入館できない。

高森トンネル湧水公園第3駐車場

水をトレーラーに補給し、ペットボトルを車内に入れてから、この周辺をちょっとだけ歩いた。

水汲み場
高森湧水トンネル公園は、水汲み場の真下にある

やはり、駐車場に併設されている公衆トイレは、すでに施錠されていた。夜間は使用できないようになっていた。

霧雨が降っているので、早々に切り上げて、クルマに戻り、18時53分に駐車場を出た。高森湧水トンネル公園についての高森町が出している情報はこちら

↓ 車- 1.9 km 5 分 県道177号 経由

高森駅付近を通り過ぎて、買い物のため先に

アスカショッピングセンター

に向かった。そして、18時58分に着いた。メンチカツ弁当と煮込みハンバーグ弁当がどちらも半額、惣菜が30%引きになっていたので早速ゲット。それ以外には、鍋用に豚の細切れ肉、白菜1/4、白ネギ、小松菜、糸こん、えのき…、それに締めのチャンポン麺を購入。キャッシュレス決済のiDで支払った。

正式名称はアスカショッピングセンターなのか、ショッピングセンターアスカなのか私にはわからなかったが、駐車場は広く生鮮食料品や弁当・惣菜が充実しているところは、旅人にとって嬉しい限りだ。そして、地域の人達にもベスト電器が併設されていることや衣料品店、本屋、靴屋、100円ショップなども入っているので、何でも揃って便利だと結構、評判がいいようだ。

アスカショッピングセンター

買い物を済ませて、19時26分に店を出た。

↓ 車- 1.0 km 2 分 国道325号 経由

結局、最終的には

高森駅

の駐車場で泊まることにした。19時28分到着。 

今日の夕食は、先ほど買ったばかりのメンチカツ弁当だ。レンジでチンしていただいた。

さてさて、今日は、いろんなものが刻々と変化していることを強く意識させられた一日だった。
道の駅泗水のリニューアルと防災対応型施設。益城町のきやま食堂のつぎつぎに追加されてきた新メニュー。九キャンで見たエメロード406のテーブルとコの字型シート、着脱式カセットトイレ、左扉、バックモニターなどなど…。

もっと昔のことまで持ち出せば、道の駅泗水やあそ望の郷くぎのなどのくるま旅にとって便利な施設が充実してきたことや、俵山トンネル開通で益城から南阿蘇の入るのが楽になったこと。高森トンネルが開通すれば国鉄高森線と高千保線が繋がって九州横断路線がもうひとつ増えていたのに、それが出水事故で頓挫し、今では湧水の取り出し口になっていることなど。ほとんど全てのことは着実に変化している。

だから、変化していないものを探しだす方が難しいのだ。

さて、ほとんど万事が変化しつづけているのだが、その一つひとつは果たして望ましい変化なのか…。それが実に悩ましい…。

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