ロケット打ち上げ見学のために内之浦へ[6日目]飫肥城址と周辺散策
観測ロケットS-520-31号機の再設定打上げ日時は、まだ発表されないまま、2日が経過した。もし、今日、発表されたとしても、実際の打上げは明後日辺り…。だとすると、その後に土曜日中に福岡に戻るのは、かなり厳しい。ならば、今回は内之浦に戻ることは考えず、ゆったりと北上していくことにしよう。
2021年7月22日(木)の行動記録
鹿児島県、宮崎県、熊本県、その他 1 個の地域 <車移動> 77.0 km 2時間9分 <徒歩移動> 5.7 km 2時間1分 道の駅くしま 8:14 ↓ 車- 27.6 km 57 分 国道220号 経由 宮崎三菱自動車 日南店 9:11~9:35 ↓ 徒歩- 550 m 7 分 ダイレックス 日南店 9:42~9:48 ↓ 徒歩- 850 m 10 分 宮崎三菱自動車 日南店 9:58~10:09 ↓ 車- 4.3 km 8 分 国道222号 経由 飫肥観光駐車場 10:17~11:44 ↓ 徒歩- 300 m 10 分 豫章館 11:55~12:08 ↓ 徒歩- 190 m 1 分 御数寄屋 12:10~12:33 ↓ 徒歩- 200 m 3 分 飫肥城 大手門 12:36~12:38 ↓ 徒歩- 170 m 5 分 松尾の丸御殿 12:43~14:05 ↓ 徒歩- 500 m 12 分 飫肥城歴史資料館 14:17~14:39 ↓ 徒歩- 130 m 2 分 日南市国際交流センター小村記念館 14:41~15:07 ↓ 徒歩- 160 m 7 分 おび天 蔵 15:14~15:53 ↓ 徒歩- 1.2 km 29 分 旧伊東伝左衛門家 16:21~16:25 ↓ 徒歩- 1.8 km 46 分 おび天 蔵 17:11~17:22 ↓ 徒歩- 190 m 2 分 飫肥観光駐車場 17:24~18:30 ↓ 車- 38.2 km 54 分 国道220号 経由 天然温泉かけ流し このはなの湯 [宮崎市自然休養村センター] 19:24~21:12 ↓ 車- 6.9 km 11 分 青島バイパス/国道220号 経由 道の駅 フェニックス 21:23
道の駅くしま
昨日からスッキリとしない天気が続いている。今朝、天候が回復していたならば、早朝から都井岬に行くことも考えた。しかし、どうやら一日中曇りで午後には雨が降る可能性もある。そうなら、このまま北上することにしよう。
出発準備を整えて、8時14分に道の駅を出た。
↓ 車- 27.6 km 57 分 国道220号 経由
ガソリン代高騰の折、燃料費を少しでも安くするために、EVモードでの走行距離を延ばしたい。それには、可能な限り、駆動用バッテリーに急速充電しなければならない。そこで
宮崎三菱自動車 日南店
に立ち寄ることにした。店舗前には、9時11分に到着した。ただ、ひと気が感じられない。もしかして、店休日なのだろうか?
充電コーナーは使用可能。ただ、車1台をバックで駐車させて、充電するタイプだ。だからトレーラーを牽引した状態では、入庫できない。さあ、どうする…。
よく見ると建物の隣が三菱の駐車場になっているようだ!駐められるか?
どうやら駐められそう…。ならば、少々手間がかかるが、ここにトレーラーだけを駐めて、ヘッド車に充電することにしよう。
駐車場と歩道の間で、作業員がふたり、コンクリートの塗り替え工事?をやっているようだが、駐車場への出入には支障がないようだ。チェーンなども張られていないし、進入禁止等の警告表示もない。
ということで、駐車場に車を進入させ、トレーラーを切り離した。そして、ヘッド車を移動し、急速充電器に繋いだ。
ところで、今日は何故、休業日?
宮崎三菱自動車日南店の店休日は、基本的にカレンダー通りの土日祝日のようだ。したがって、東京オリンピック2020の開催日程に伴う特別措置で、海の日が本来の19日(月)から、本日に移ってきたために、ここも店休日になったというわけだ。ちなみに明日の23日は10月11日のスポーツの日が移ってきていて祝日、そして、24日と25日は土日なので、多くの企業と同様、今日から4連休ということになる。
いつもならば、店舗内で充電時間を過ごすのだが、今日はそれができないので、トレーラー内で休んだ。
そして、周辺に何かないかとスマホのGoogleマップで調べると…。「おっ、裏手にダイレックスがあるじゃないか!」
ということで、この充電時間を利用して、軽いウォーキング+買い物に出掛けることにした。
スマホとカメラだけを持って、身軽な状態で外に出た。いつも言っているように、ダイレックスでの買い物はクレジットカード1枚あれば、レジ袋は1円なので、他に何も持っていく必要はないのだ。
すると、ホームセキュリティの制服を着た警備員が駆けつけていて、私に声を掛けてきた。
初めはなぜ、私は質問を受け、個人情報の確認をされる事態になっているのか、よく分からなかったが、警備員の話を聞いて、ようやく事態が飲み込めた。
どうやら、ここの駐車場は、休業日の場合、セキュリティが掛けられているのだが、今日はセメント工事をしている関係か何かで、たまたまゲートを開けていたようなのだ。そこへ、私がトレーラーを進入させたため、セキュリティが反応して、警備員が駆けつけたということらしい。
私は開いている三菱の駐車場にクルマを入れて、急速充電器を利用させてもらっただけだ。何の落ち度もない。警備員には事情を話して、理解してもらった。
セキュリティの警備員には、充電が終わったらヘッド車をこの駐車場に移動させて、トレーラーを連結。その後、出発するので、約30分後に2回、セキュリティが反応することを伝えた。
そして、9時35分に、買い物に出掛けた。
↓ 徒歩- 550 m 7 分
住宅街の道を歩いて
ダイレックス 日南店
には、9時42分に到着した。あまり時間的な余裕はないので、店舗内を早足でぐるっと回り、パンを3つ購入した。レジ袋1枚買って、パンを入れた。そして、9時48分に店を出た。
↓ 徒歩- 850 m 10 分
行き掛けとは違うルートで歩いたので
宮崎三菱自動車 日南店
には、9時58分に到着。充電は完了していたので、ヘッド車を駐車場に移動。ただちに連結した。
パンはいつでも食べられるように、サイドシートに置いて、10時09分にクルマを出した。そして、早速、メンチカツバーバーを食した。
NHKでは、映像の世紀プレミアム(15)「東京 夢と幻想の1964年」を放送していた。
↓ 車- 4.3 km 8 分 国道222号 経由
飫肥観光駐車場
には、10時17分に到着。映像の世紀プレミアム(15)は、まだ続いている。そこに映し出されていたのは、東京オリンピック1964に向けて都市機能を改善していこうとする1964年の東京の様子だ。世界一汚れた街と言われた東京。ゴミを道端や川にぽいぽい捨てていたり、公衆トイレに、あたかもゴミ箱のようにものを捨てていた。都心部の交通渋滞は凄まじく、酷いときには時速2㎞ののろのろ運転も当たり前。事故も多発していた。また、東京砂漠と言われた水飢饉なども発生。それらの様々な問題をオリンピックの開催日までにどのように解決していったのか…。その記録の映像であった。
先ほどのメンチカツバーバーだけでは物足りず、やきそばパンを食べながら、食い入るように番組に没頭した。とても60年にも満たない近年の日本の様子とは思えないほど、現代とはかけ離れた東京の状態だった。それを次々と解決していくアイデアや手腕にも感心させられた。
これに引き続いて放映されたのが、東京リボーン「スペクタクルシーンを凝縮 首都大改造の3年間」。外は時々雨が降っていたこともあるのだが、これにも、引き込まれていった。折角、飫肥に来ているのに、テレビに釘付けになるとは…。
このままだらだらと過ごしてはいけない。11時44分、気持ちを奮い立たせて、AV聞きとクルマのパワースイッチをオフ。車外に出た。
上の地図で説明するとP飫肥城観光駐車場から①飫肥城下町保存会事務所の前を通り⑤おび天 蔵 の角を左折すると、飫肥城の大手門が見える。その手前左にC 豫章館 の入口があった。
↓ 徒歩- 300 m 10 分
C 豫章館
の入口には、11:55に着いた。受付でA飫肥城歴史資料館 B松尾の丸 C豫章館 D小村記念館の4箇所共通券を購入し、中に入った。
お茶処 草 は、コロナの関係だろう、去年11月から営業を休止していた。12時08分。
↓ 徒歩- 190 m 1 分
さらに奥には御数寄屋がある。数寄屋とは茶室建築の手法・意匠を取り入れた和風建築のことで、化粧丸太や、丸太の曲面を生かした面皮柱など、自然の素材の持ち味を活かした材料の取り合わせ、繊細な意匠などが特徴となっているそうだ。
御数寄屋
に入ったのは、12時10分。
さらっと見て、次に行くつもりが、ここで結構激しい雨に見舞われた。傘を持っていなかったので、雨宿りで15分ほど、足止めされてしまった。その間、こどもふたりを連れた家族が訪れたが、さらっと見て、先に帰っていった。皆、傘を持っていた。
滑らないように用心して歩いた。
12時33分に豫章館を出て、次は大手門に向かった。
↓ 徒歩- 200 m 3 分
飫肥城 大手門
を、12時36分に通った。
この説明板によると、現在の大手門は、1978年(昭和53年)に、当時の城郭研究の第一人者であった故藤岡通夫博士の設計によって復元されたものだとある。
大手門から入って石段を上がる。左に行けば松尾の丸、右へ行けば資料館。まずは、松尾の丸へ行ってみる。
正面にあるしあわせ杉の解説木札には、日本語、英語、韓国語、中国語の4カ国語で、以下の文章が書かれている。
しあわせ杉
正面にある木札
4本の角にある4本の杉
対角線の中心に立つとPowerがもらえます。
“しあわせ杉”って、”四合わせ杉であり、“幸せ過ぎ”ということか?
4本の杉が合わさったところ…。いや、合わさることはないな。4本の杉からちょうど等距離にある点。4つの杉のパワーが重なって、“四合わせ杉”パワーとなるらしい。
ところで、この看板の日本語には“対角線の中心”とあるが、数学的にいえば、対角線には中心などない。あるのは、“対角線の交点”あるいは、対角線それぞれの“線分の中点”だ。一方、円に対しては、その中心が存在する。
4つの杉が植わっている平面上(地面上)の位置を点で表すと、その4点を結んで四角形を作ることができる。その四角形の4つの内角がすべて直角であるならば、その四角形は長方形である。
長方形の場合、2本の対角線は同じ長さとなり、対角線はおのおのの中点で交わることから、対角線の交点から、4頂点までは等距離になる。
また、四角形が長方形の場合は、対角の和が2直角、180°になることから、4頂点がひとつの円の周上に並ぶ。すなわち、長方形には1つの外接円が存在し、その外接円の中心、すなわち外心は、長方形の4頂点から等距離である。
したがって、この看板の表現に戻ると、“対角線の中心”ではなく、“対角線の交点”と書くとスッキリする。“4本杉を通る外接円の中心”と書くこともできるが、これでは分かりにくくて、なんのこっちゃと思われる方もおられるに違いないし、面倒臭い人だと一蹴されてしまう可能性もある。
そもそも、4本杉の地面上の位置を、ひとつの平面上にできる4点と捉え、しかも、それが長方形だった場合の話であって、四角形が長方形でない場合は、2本の対角線の交点は、それぞれの線分の中点ではなくなり、4頂点までが等距離ではなくなる。また、この4点を通る外接円が存在するためには、対角の和が180°の場合に限られるので、そうでない一般的な四角形ならば、そもそも4点までの距離が等しくなるような場所は存在しないのだ。
つまり、結論としては、“対角線”という文言を入れたいのであれば“対角線の交点”とするべきだろう。そして、そこまで厳密さを求めないのであれば、“4つの角にある4本杉 その中央に立つと…”という表現にすればよかったのだ。英文と同じように…。
更に言うと…。 いや、せからしいので、もう言うな…、と言う声も聞こえてきそうなのだが…。 もうちょっとだけ…。
杉から放たれているパワーは、4本から全く同じ出力なのか? 自然界のものならば個体差があることが一般的なので、まったく同じとは考えにくい。そうだとすると、“対角線の交点”とか、“外接円の中心”、“4点から等距離にある”は意味を成さない。
そして、杉からの距離によって、どの程度、パワーが減衰するのか? 浴びたパワーは効果がどれだけ持続するのか? こういった他の物理学的な要素にも影響を受ける。
4本とも出力は同じだと仮定しても、もし、パワーの減衰率が高くて、パワーは1㍍ごとに1/2になるとすると、2㍍で1/4になる。ということは、4本の中央までの距離が2㍍以上ある場合は、4本の中央よりも、どれかの1本のパワーを貰う方が有利だ。もし、減衰率が低くて、何メートル離れてもほとんど変わらないというのであれば、4本の中央にいる必要はなく、この周辺ならばどこにいてもパワーはほとんど変わらない。
なぜ、しあわせ杉のパワーを貰うには、4本の中央でなければならないのだろうか??
実は、4本からは別々の種類の異なるエネルギーが、同じ出力で放射されていて、その4種類が等距離のところで上手くブレンドされたとき、しあわせ杉パワーが発揮されるということなのだろうか???
まぁ、この辺でやめとこう。すでに泥沼に入っている…。
↓ 徒歩- 170 m 7 分
B松尾の丸御殿
には、12時43分に到着。玄関受付で共通券を提示し、建物内部に入った。
こちらの建物は、展示物も含めて、撮影自由だ。写真を撮りながら、順路に従って進んだ。展示物も手書きのものが多く、手作り感があって、クイズ形式などの工夫もある。十分楽しめる。
何時建ったの? 見どころは? 復元ですか? 屋敷の規模は? 名前の由来は? おどろき情報?
説明によると、「御殿かざり」は内裏を模した3月3日の雛飾り一種。この御殿かざりは明治から昭和初期に掛けての飫肥町を代表する財界人であった高橋源次郎氏が孫娘(後の料理研究家、堀江恭子氏)に送ったものだそうだ。現在は保管場所の制約によって、雛人形と飾りを取り除いた御殿だけの店時になっているが、来年の2月頃からは人形なども配置した御殿かざりを展示する予定だそうだ。
なが‐つぼね【長▽局】 宮中や江戸城大奥などで、長い1棟の中をいくつもの局(女房の部屋)に仕切った住まい。 また、そこに住む女房。 局町(つぼねまち)。
コトバンク
飫肥藩成り立ち物語 松寿院14歳で結婚/道後での伊藤一族の暮らし 猛将 島津義弘と飫肥城 伊東祐兵が羽柴秀吉に仕える 祐兵の弁当を取り上げた秀吉 戦国大名・伊東義祐(三位入道)の最期 伊東祐兵、飫肥城に入城《大大名への夢、潰える》 松尾の丸 浴室と蒸し風呂のお話 島津義弘と飫肥藩/江戸の外交官、松寿院
この土間に、わざわざ降りて、じっくりと釜や吸水口を観察していると、突然、ニホントカゲが現れた。何かを加えている。干からびた何かの生き物だ。カエルかな?分からない…。
ソテツは南九州独自の庭木ではなく、さまざまなルートで輸入された観賞用植物で、桃山時代から江戸時代に掛けて流行したそうだ。
約90分、松尾の丸をじっくりと見学して、14時05分にここを発った。展示品もさることながら、解説文が充実しているので、写真を撮ったり、文章を読みながら進むと、結構時間がかかる。この類いの施設を巡るときにはゆとりを持って行動しないと、勿体ないことになる。
末をの丸を出て、階段を下る。そして、小学校校庭の前の道を左に進んだ。こちらには、旧本丸跡がある。
階段を上り詰めたところが旧本丸跡。ここは、天に向かってまっすぐに伸びる樹齢140年の杉木立になっており、足下は苔生していて、まるで緑の絨毯を敷き詰めたようになっているて、訪れると気持ちが整えられて、スッキリとした心持ちになる。
まさに、「癒やしの森」と呼ばれるに相応しい場所だ。
↓ 徒歩- 500 m 12 分
もとの道を戻って、
A 飫肥城歴史資料館
に向かった。そして、14時17分に入館。
飫肥城城主の伊東家は、藤原氏南家の子孫で800年続いた由緒ある家柄。その19代伊東祐兵が1587年(天正15年)に豊臣秀吉から飫肥城を与えられて入城し、そこから廃藩置県が行われた1871年(明治4年)に至るまで、伊東家14代でこの地を治めた。その間に伊東家やその家臣達に伝えられてきた甲冑、刀剣、武具、古文書、衣服など飫肥藩ゆかりの品々や歴史資料約220点が、この飫肥城歴史資料館に展示されている。
ただ、館内の写真撮影が禁止されていたので、記録映像が全くない…。
「写真を撮るより、脳裏に焼き付けよう。」それはそうだが、記憶力を高めるには、相当なリハビリが必要となる。今まで、写真を撮って、それを頼りに記録してきたし、スマホまで高性能化した今日では、ますます簡便に記録映像が撮れるようになった。この環境で生きている限り、記憶力の回復は見込めないだろう。
カーナビを使い始めて、地図が頭に入らなくなったこと。ワープロソフトを使い始めて、益々、漢字が書けなくなったこと。コンピュータを使い始めて、手書きでの会計管理が出来なくなったこと。例を挙げれば、切りがない…。
展示品管理や入館者相互のマナーの問題もあるだろうが、できるだけ「フラッシュと三脚の使用禁止」ぐらいに留めて、写真撮影は条件付ででも許可していただきたいものだ。
結局、ひとまわり、さらっと見ただけで、そうそうに出てきてしまった。
由来
飫肥城の鐘復活期成会 木札の文章引用
飫肥城の鐘はその昔享保18年、旧藩伊東祐永公の代より二百余年に亘り軍用又は民間時報の使命を果たし、その情緒は住民に深く馴染まれてきた。然るに昭和18年6月大東亜戦争のため供出に遭い、爾来昭和36年飫肥区長会において復活期成会を結成し、市民の協賛を得て、昭和40年7月之を復活せり
14時39分、大手門を抜け、飫肥城址を後にした。
↓ 徒歩- 130 m 2 分
そして、大手門の向かい角にある
D 日南市国際交流センター小村記念館
に、14時41分に門を通った。庭園の向こうに見える家屋は、旧伊東祐正家住宅。
日南市飫肥重要伝統的建造物群保存地区
建物前に設置されている白い説明板の内容を転載
指定物件 旧伊東伝左衛門家住宅
国際交流センター小村記念館を含む屋敷地は、江戸時代の初めは松岡八郎左衛門、江戸時代末には川崎宮内が居住していたことが絵図によって判明している。いずれも上級家臣である。明治以降は、藩主であった伊東家の分家が住んだ。
現在の建物は明治初期の火災後建てられたものであるが、江戸時代の武家屋敷の様式をよく残している.当初は茅葺きであったが、昭和28年の改造で瓦葺になるとともに、建物規模の縮小が行われた。
現在、復元準備を検討している。
日南市教育委員会
旧伊東祐正家住宅の左側を通って、その奥に進むと小村記念館がある。
ここも、この等身大パネルを除いて、館内での写真撮影は禁止。
小村寿太郎は、明治期に世界の外交舞台で活躍し、日本に平和な繁栄をもたらした明治の外交官。この施設は、彼の没後80年を記念して平成5年に開設された。館内に展示されている資料やビデオなどを通して、彼の生涯や功績とその時代背景などを知ることができるようになっている。
15時07分に、小村記念館を後にした。
↓ 徒歩- 160 m 7 分
大手門通りから駐車場に戻る角に
おび天 蔵
という店がある。その入口に「この店に入ってみると面白い『魅力ある』『楽しみ』が一杯あります!」「店内 通り抜け御自由」という看板が目に止まった。
こういう看板は大好きだ。一気に敷居が低くなり、遠慮や迷いの気持ちが吹き飛んでしまう。早速、入店してみることにした。15時14分。
おび天を揚げている様子を見学していると、時間も時間、空腹感が襲ってきた。
それならば、ここできちんと食事をとることにした。隣の部屋の食堂に移動し、席に着いた。
定食 日南市飫肥地区の郷土料理を施肥ご笑味ください うどん・そば類と飫肥の名物 夏季限定メニュー 御来店・御予約お待ちしております
定食メニューの中から、郷土料理 おび天定食(松)1,500円を選んで、注文した。
しばらくして、食事が運ばれてきた。
1.おび天盛り合わせ(おび天とごぼうちぎり揚げ) 2.厚焼き玉子盛り皿(厚焼き玉子・かまぼこ・きんかんの甘露煮) 3.まだか漬け(千切り大根の甘酢漬け) 4.かに巻き汁(かにをすりつぶした味噌汁) 5.むかでのり(階層のみそ漬け) 6.ごはん(国産米) 7.漬物
おび天は、江戸時代から数百年続く飫肥の名物。日南海岸で水揚げされた新鮮な魚のすり身に手作りの豆腐と黒砂糖、味噌に秘伝のだしを合わせ油で揚げた独特の天ぷらだ。
厚焼き玉子は、冷ましてあって、なめらかな食感でやや甘い。デザート的。かつては殿様にも献上されていたらしい。
「まだか漬け」は、宮崎県の郷土料理で、あまりの美味しさに出来上がるのが待ち切れず「まだかぁ~」と言うからというのが名前の由来。切り干し大根、煎り大豆、人参、スルメ、昆布など体に良いものばかりで、特に胃腸が弱った時にうれしい一品だそうだ。作り方がこちらにあった。
かに巻き汁は、ワタリガニの甲羅を干してつぶしたものをみそと水で割り、調味して作ったお味噌汁。とても手間がかかる料理らしい。かにの出汁と香りが濃厚だ。
むかでのりは、宮崎県の日南海岸でとれる希少な海藻類を使った珍味。テングサの系統である海藻「トゲキリンサイ」を煮詰めて固めてから味噌漬けにしたものだ。材料であるトゲキリンサイがムカデのように見えるところから「むかでのり」と呼ばれるようになった。ぷるぷるとした寒天の様な食感の料理で、ご飯のおかずからつまみにお茶請けまで幅広く食べられているらしい。
豪華で美味い郷土料理の定食を堪能した。
15時53分に店を出た。お腹を満たしたので、次は運動…。町歩き…。
大手門通りを東に、空堀沿いに進む。
すると、小村寿太郎生家があった。坂道を上がるも、人の気配がない。
まだ、16時05分なのに、この日はすでに閉まっていて、関係者は誰も居ないようだった。本来ならば、16時30分まで入館できるはずなのだが、コロナの影響だろうか…。それでも、庭には入れたので、そこから窓越しに室内を見学した。
ここから、東へ進み、次の交差点を左折。そして、次を右折し、クランク状に進んだら、旧藩校振徳堂がある。しかし、ここも既に閉まっていた。開館時間を短縮する通知などはどこにも見当たらない。困ったものだ。
まぁ、外回りを始めた時間が遅すぎたのかもしれない…。
↓ 徒歩- 1.2 km 29 分
旧伊東伝左衛門家
の前には、16時21分に到着した。しかし、ここも同様、ひとけが感じられない。いや、玄関を閉める音がして、窓や雨戸を閉めている音が聞こえた。どうやら、今、戸締まりを行っているようだ。
ここもWebサイトの情報によると、16時30分が最終受付で、17時00分まで開館のハズなのだが、なぜ早めに閉めているのか…。特に早じまいする理由などは掲示されていない。遠くから来ている観光客もいるので、もし、担当者が勝手に早じまいさせているのだとしたら、甚だ遺憾なことだ。
この施設の内部構造が紹介している2012年のブログ記事はこちら。
そして、無田町通りを南下し、宮崎銀行の交差点を右折。後町通りを西へ進む。
「許可なく、釣った魚は放流しないで下さい。餌を与えないで下さい。 鯛飼育管理委員会」と書かれた注意書き。非常に難易度が高い。どういう意味なのだろう…。しばらく考え込んだ。
難しいのは、「許可なく」がどこにかかるのか? 「許可」を出すのは誰か? それと、釣った魚はどれを指しているのか? だ。
解釈① 「許可なく」は釣った魚にかかり、「許可」は一般の誰かが出し、魚は「ここの鯉ではなく、外部のもの」だとすると…
「勝手に外で釣ってきた魚は放流されると困るが、誰かの許可を受けて釣ってきた魚は放流しても構わない。」となる。
解釈② 「許可なく」は釣った魚にかかり、「許可」は鯉飼育管理委員会が出し、魚は「ここの鯉」だとすると
「許可なく勝手に、ここで釣ってしまった鯉は、放流しないでください。すなわち、リリースしないで持ち帰ってください。」となる。
解釈③ 「許可なく」は放流しないで下さいにかかり、「許可」は鯉飼育管理委員会が出し、魚は「ここの鯉」だとすると
「ここの鯉を釣ってしまった場合は、勝手にリリースせず、必ず許可を受けて下さい。」となる。
解釈④ 「許可なく」は放流しないで下さいにかかり、「許可」は鯉飼育管理委員会が出し 、魚は「ここの鯉ではなく、外部のもの」とすると
「外部から釣ってきた魚を、許可なく放流しないで下さい。」となる。
①~④を比較すれば、もっとも適切な解釈は④だと思うのだが、如何だろうか?
しかし、これでも、釣ってきた魚に限定する必要はないのではないだろうか? 購入して飼育していたが、これ以上育てられないので…と勝手に放流しようとする輩もいるだろう。だから、「ここに外部から持ち込んだ魚を勝手に放流しないで下さい。」と書くと誰も悩ませない明快な注意書きになるのではないだろうか。
何気なく前を通って、撮ったところは築140年の武家屋敷を改修した温泉旅館「Nazuna 飫肥 城下町温泉 -小鹿倉邸-」だった。これは、古民家、旧小鹿倉邸を改修し、地元商店会と連携した新たな観光の拠点として再生するプロジェクトのもと誕生した新しいタイプの旅館のようだ。
そして、その向かいにあるのが旧山本猪平家。明治40年代に豪商山本猪平が、隣接する小村寿太郎生家が没落した際に、土地を買い取り新築したものだ。建物についての詳しい解説はこちらのPDFで。
大手門通りを更に南に進んで、国道222号線にぶつかったところの角に恵比須神社がある。
その交差点の横断歩道を渡り、さらに南へ。
そして、この先にある勝目邸辺りまで歩いて、駐車場に引き返すことにした。
この勝目邸も新しいタイプの一棟貸しの宿だ。
↓ 徒歩- 1.8 km 46 分
駐車場に戻るとき、まだ
おび天 蔵
が営業中だったので、立ち寄って、厚焼き玉子の作り方を伺った。17時11分だった。
売店にいた年長の女性に質問したら、担当が違っていたらしく厨房にいる若い女性スタッフを呼んでくれた。たぶんまだ20歳代だ。
「お忙しいところにすみません。先ほど、こちらでおび天定食を頂いたのですが、それにあった厚焼き玉子の作り方を聞いておきたいと思いまして…。教えていただけますか?」
「ああ、そうなんですねぇ~。厚焼き玉子は。間瀬田さんが老舗です。材料は全卵のみで、 砂糖、みりん、塩を使います。」
「へえ~、全卵のみなんですね。」
「そうです。そして、それぞれの分量、配合する割合は秘密です。」
「企業秘密なんですね。」
「まあ、そうですね。というか上役しか知りません。たまごを混ぜて、寝かして、濾します。そして、焼く。混ぜは粗くてもやり過ぎてもダメです。濾すは普通のザルを使っています。焼くは銅板の専用器具を使います。昔は上と下から炭火て焼いたそうですが、今ではガスを使っています。分量の割合は上役しか知りません。合わせた後からは、従業員が引き継いで作ります。気温や湿度で火力や焼き時間を変えるなど微調整します。時々失敗するんですけどね。」
と謙虚にはにかんでいる姿が可愛かった。
仕事を中断して、親切に教えてくれたのだが、具体的な数字がほとんどないし、作ろうと思っている本人が料理の基本も出来ていないので、とても味の再現は不可能だろう。しかし、クックパッドを調べてみたら、少しアレンジしているようだが飫肥の厚焼き玉子のレシピがあった。これで試してみようかな?
17時22分におび天蔵を出た。
↓ 徒歩- 190 m 2 分
飫肥観光駐車場
には、17時24分に到着。この時間になると、残っている車はごく僅かだった。今度訪れるときには、城下町を各施設が開いている時間帯にじっくりと歩いて見たい。
かなり歩いたので、トレーラーで休憩しつつ、入浴施設を探した。そして、準備を整えて、18時30分に出発した。
↓ 車- 38.2 km 54 分 国道220号 経由
約1時間ほど走って、
天然温泉かけ流し このはなの湯 [宮崎市自然休養村センター]
に到着した。19時24分だった。しかし、すぐには車外に出ず、仮眠をした。ここまでの道中が、睡魔に襲われながらの必死に耐えながらの運転だったからだ。約10分ほど仮眠をし、このはなの湯に向かった。
すでに周囲は暗くなっていた。
玄関で入浴料420円を払って入館し、浴室に移動した。
風呂は、大浴槽と源泉風呂、いずれも源泉かけ流しで、大浴場は加温し、源泉風呂は源泉のまま。そして、歩行湯とサウナがあった。泉質はナトリウム―塩化物・炭酸水素塩温泉(低張性弱アルカリ性低温泉)でpHは 8.2。
とろっとしたお湯だ。今日一日歩き回った疲れを癒やすのに相応しいお湯だった。
ゆったりと使った後、風呂場を出た。
受付で、温泉成分表をコピーしていただいたが、後になってWebサイトをチェックするとそこにも詳しい情報が出ていたので、今となっては、お手数をお掛けしてまでコピーしてもらう必要はなかったのかもしれないと反省した。
21時12分にこのはなの湯を出た。今日は、少しでも早くクルマを駐めて、ゆっくりしたかったのでので、少し戻ることになるが、道の駅フェニックスで車中泊することにした。
↓ 車- 6.9 km 11 分 青島バイパス/国道220号 経由
道の駅 フェニックス
には、21時23分に到着した。ここは夜でも立ち寄る利用者が多い道の駅のようだ。
この道の駅の駐車区画は、大型バスのスペースが4台分。それ以外は、第2駐車場も含めて普通車区画約100台分あるのだが、縦に2台分の駐車スペースはない。したがって、トレーラーを連結したまま駐めるためには、大型バスの区画を使用せざるを得ない。
Webサイト「九州の道の駅」の設備・付帯施設のページでは、縦2台分のスペースも記載されているのだが、どうやら古い情報のようだ。その後に、区画の修正が行われたのだろう。現在の区画配置とは明らかに異なっている。
トレーラーは切り離さないで、大型バスの区画に駐めた。アウトリガーを設置し、電源ケーブルを結んだ。そして、道の駅の中を、第2駐車場までグルッとひとまわり歩いてみた。
中央に円筒形の建物があり、周囲にテーブルと椅子が配置されているが、夜中でもそれらの場所に集まっている人達がたくさん居た。
しかし、騒いでいる人などはなく、小声で喋っている程度で、静かな環境は守られていた。
トレーラーに戻り、早めに就寝した。