鬼滅の刃無限列車と阿蘇周遊[1~2日目]SL撮影、縄文の森、二辺塚城跡
道の駅きくすい
10時26分到着。ヘッド車をトレーラーの前に駐めた。クルマを降りて、駐車場の南西側を見ると…。階段の先には広場があり、その先には芝の斜面があり、作が貼られている。
柵の中には、何があるのだろう。斜面を登りたくなった。
斜面を登ったところの柵の内側は、展望台や広場になっているわけではなく、普通に水田だった。そして、その向こう側に、肥後古代の森(菊水地区)が広がっている。
↓ 徒歩- 3.2 km 2 時間 23 分
京塚古墳を降り、北に向かって歩くと、江田川に掛けられた「縄文橋」に出る。これは、PC吊床版橋という新しいタイプのつり橋だ。
縄文橋を渡って、左方向に進めば若園貝塚公園がある。
そこから縄文の森の北側をぐるっと回って歩いてみた。
遊歩道が縄文の森をぐるっと囲むように続いている、最近は歩く人が少ないのだろう、落ち葉が通路に溜まっている。それでも、遊歩道を進んでいくと、垣根の内側で作業中の男性から声を掛けられた。
「こんにちは~~、もしよろしければ、こちらをお参りして行かれませんか? お時間はありますか?」
もちろん、本日のメインイベントである午前中のSL撮影は終わっていたので、後は菊池を通って阿蘇方面に向かうつもり…。できたらドライブイン水源で昼食バイキングを食することが出来れば幸いだと、その程度のことしか考えていなかったので、時間があると言えばある。
垣根の中に行くと、その男性はこの「崇組青山之碑」の周囲を清掃されていて、秋分の日前後と年末の2回、ここの掃除に来ておられるそうだ。
この方から話を聞いたところ、この周辺が肥後古代の森公園ととして整備される造成工事の際、多数の人骨が出土したそうだ。身寄りのない人、行き倒れ、差別を受けていた人…、様々な事情でこの地に葬られた人びとの骨だそうだ。
それらの方々をここに集め、合祀し、崇組青山之碑を建立したと…。
私を呼び止めたこの方は、元パナソニックの技術者で、定年退職後に故郷であるこの地に戻り、実家の農業を継いでいるそうだ。
初めは、この碑の説明から会話が始まったが、農業の話、環境問題や新型コロナ対策など様々な問題で会話が弾んだ。
科学的な目でこれらの問題に切り込むと、施策の進め方や報道のあり方に疑問を感じることが多い。
縄文の森の遊歩道を往復しながら、約一時間ほど話をしたように思う。博学な方との会話は好奇心がうずく。あっという間に時間が過ぎ去った。
そうそう、この円形のくぼみは、たて穴住居跡だったのだが、縄文橋を渡ってすぐにここを歩いたとき、このサークルはいったい何なのかと違和感を感じつつ、ただボーッと通り過ぎていた。
それを、この元パナソニック技術者の地元男性と会話をしながら散策したおかげで縄文人の竪穴住居跡だったことが判明。元々はわらを使って再現されていたことが分かった。
わらがなくなったのはいつなのだろう。台風か何かで壊れたのだろうか。そして、自治体は再現し直すことを諦めたのだろうか…。
でもまぁ、それよりも、ここは縄文の森、説明を受けなくてもたて穴住居跡だってぐらい自分で気づいて良さそうなものだ。ちょっとボーッとしすぎだ。
崇組青山之碑付近まで戻って、男性と握手で別れたあと、元来た道を道の駅まで歩いて戻った。
道の駅きくすいの上の駐車場
にようやく戻ることができた。12時50分になっていた。それにしても、肥後古代の森(菊水地区)は広大だ。軽く小一時間歩いて腹を空かせ、正午前にドライブイン水源に移動。そして、バイキングをたらふく食べる、これが頭の中でなんとなくイメージしていた今後の行動プランだったのだが…。思い通りにはならないものだ。
まぁでも、元技術者男性との会話は楽しかったので、良しとしよう。
出発準備を整え、トレーラーを連結して、いざ出発。13時ちょうどだった。果たして、店は開いているのか? まだ、食べ物は残っているだろうか…。不安と期待の渦巻く中で、道の駅を出発した。
↓ 車- 40.3 km 1 時間 13 分 国道325号 経由